後世への最大遺物 / 第二回・主義のために生涯を送った人
それはわれわれのなかにみな欲しい。今日われわれが正義の味方に立つときに、われわれ少数の人が正義のために立つときに、少くともこの夏期学校に来ている者くらいはともにその方に起ってもらいたい。それでドウゾ後世の人がわれわれについてこの人らは力もなかった、富もなかった、学問もなかった人であったけれども、己の一生涯をめいめい持っておった主義のために送ってくれたといわれたいではありませんか。これは誰にも遺すことのできる生涯ではないかと思います。それでその遺物を遺すことができたと思うと実にわれわれは嬉しい、たといわれわれの生涯はドンナ生涯であっても。
書き下し
それは、われわれのなかにみな欲しい。今日われわれが正義の味方に立つときに、われわれ少数の人が正義のために立つときに、少くともこの夏期学校に来ている者くらいは、ともにその方に起ってもらいたい。それで、どうぞ後世の人がわれわれについて、この人らは力もなかった、富もなかった、学問もなかった人であったけれども、己の一生涯をめいめい持っておった主義のために送ってくれた、といわれたいではありませんか。これは誰にも遺すことのできる生涯ではないかと思います。それでその遺物を遺すことができたと思うと、実にわれわれは嬉しい、たといわれわれの生涯はどんな生涯であっても。
現代語訳
それは私たちの中に皆ほしいものです。今日、私たちが正義の味方に立つとき、少数の私たちが正義のために立つとき、せめてこの夏期学校に来ている者くらいは、ともにその側に立ってもらいたい。そして、どうか後世の人が私たちについて、この人たちは力もなく、富もなく、学問もなかったけれども、自分の一生涯をそれぞれの持っていた主義のために送ってくれた、と言われたいではありませんか。これは誰にでも遺せる生涯ではないかと思います。その遺物を遺せたと思えば、私たちは実に嬉しい。たとえ私たちの生涯がどんな生涯であっても。
解説
後世の人にどう言われたいか、という形で最大遺物が言い直されます。力も富も学問もなかったけれども、自分の主義のために一生を送った。ここには成果が一つも入っていません。何を成したかではなく、何のために生きたかだけが残る。だからこそ誰にでも遺せる。講演の冒頭で、名を歴史に残したいという欲から始まった話が、名も成果も要らないところまで来ました。四つの遺物をたどった旅の終着点です。
この章句が説くこと
主義生涯後世無名万人
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