後世への最大遺物 / 第二回・報徳記を読まれんことを希望する
二宮金次郎先生の事業は大きくなかったけれども、彼の生涯はドレほどの生涯であったか知れませぬ。私ばかりでなく日本中幾万の人はこの人から「インスピレーション」を得たでありましょうと思います。あなたがたもこの人の伝を読んでごらんなさい。『少年文学』の中に『二宮尊徳翁』というのが出ておりますが、アレはつまらない本です。私のよく読みましたのは、農商務省で出版になりました、五百ページばかりの『報徳記』という本です。この本を諸君が読まれんことを切に希望します。この本はわれわれに新理想を与え、新希望を与えてくれる本であります。実にキリスト教の『バイブル』を読むような考えがいたします。ゆえにわれわれがもし事業を遺すことができずとも、二宮金次郎的の、すなわち独立生涯を躬行していったならば、われわれは実に大事業を遺す人ではないかと思います。
書き下し
二宮金次郎先生の事業は大きくなかったけれども、彼の生涯はどれほどの生涯であったか知れませぬ。私ばかりでなく、日本中幾万の人はこの人から霊感を得たでありましょうと思います。あなたがたもこの人の伝を読んでごらんなさい。『少年文学』のなかに『二宮尊徳翁』というのが出ておりますが、あれはつまらない本です。私のよく読みましたのは、農商務省で出版になりました、五百ページばかりの『報徳記』という本です。この本を諸君が読まれんことを切に希望します。この本はわれわれに新理想を与え、新希望を与えてくれる本であります。実にキリスト教の聖書を読むような考えがいたします。ゆえに、われわれがもし事業を遺すことができずとも、二宮金次郎的の、すなわち独立生涯を躬行していったならば、われわれは実に大事業を遺す人ではないかと思います。
現代語訳
二宮金次郎先生の事業は大きくありませんでしたが、その生涯はどれほどのものだったか知れません。私だけでなく、日本中の幾万の人がこの人から霊感を得たでしょう。皆さんもこの人の伝記を読んでごらんなさい。『少年文学』の中に『二宮尊徳翁』というものが出ていますが、あれはつまらない本です。私がよく読んだのは、農商務省から出版された五百ページほどの『報徳記』という本です。この本を皆さんが読まれることを切に希望します。この本は私たちに新しい理想を与え、新しい希望を与えてくれる本です。実にキリスト教の聖書を読むような思いがします。ですから、私たちがもし事業を遺せなくても、二宮金次郎的な、すなわち独立の生涯を自ら行っていけば、私たちは実に大事業を遺す人ではないかと思います。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『後世への最大遺物』第二回・二宮金次郎は生涯の贈物を遺した私は近世の日本の英傑、あるいは世界の英傑といってもよろしい人のお話をいたしましょう。この世界の英傑のなかに、ちょうどわれわれの留まっているこの箱根山の近所に生まれた人で、二宮金次郎という人がありました。この人の伝を読みましたときに、私は非常な感覚をもらった。それでどうも二宮金次郎先生には、私は現に負うところが実に多い。二宮金次郎氏の事業は、あまり日本にひろまってはおらぬ。それで彼のなした事業は、ことごとくこれを纏めてみましたならば、二十ヵ村か三十ヵ村の人民を救っただけに止まっていると考えます。しかしながら、この人の生涯が私を益し、それから今日日本の多くの人を益するわけは何であるかというと、何でもない、この人は事業の贈物にあらずして、生涯の贈物を遺した。
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『後世への最大遺物』第二回・人に頼らず天と己にたよるその考えを持ったばかりでなく、その考えを実行した。その話は長うございますけれども、ついには何万石という村々を改良して、自分の身をことごとく人のために使った。旧幕の末路にあたって、経済上、農業改良上について非常の功労のあった人であります。それでわれわれもそういう人の生涯、二宮金次郎先生のような人の生涯を見ますときに、「もしあの人にもああいうことができたならば、私にもできないことはない」という考えを起します。普通の考えではありますけれども、非常に価値のある考えであります。それで人に頼らずとも、われわれが神にたより己にたよって宇宙の法則に従えば、この世界はわれわれの望むとおりになり、この世界にわが考えを行うことができるという感覚が起ってくる。
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『後世への最大遺物』第二回・私の油のできるまでは本を読まぬこの人の生涯はすでにご承知の方もありましょうが、ちょっと申してみましょう。二宮金次郎氏は十四のときに父を失い、十六のときに母を失い、家が貧乏にして何物もなく、ためにごく残酷な伯父に預けられた人であります。それで一文の銭もなし、家産はことごとく傾き、弟一人、妹一人持っていた。身に一文もなくして孤児です。その人がどうして生涯を立てたか。伯父さんの家にあって、その手伝いをしている間に本が読みたくなった。そうしたときに本を読んでおったら、伯父さんに叱られた。この高い油を使って本を読むなどということは、まことに馬鹿馬鹿しいことだといって読ませぬ。そうすると、黙っていて伯父さんの油を使っては悪いということを聞きましたから、「それでは私は私の油のできるまでは本を読まぬ」という決心をした。
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『後世への最大遺物』第一回・百万両を神のために使ってみよう今日は神学生徒がキリスト信者のなかに十人あるかと思うと、実業家は一人もないです。百人あるかと思うと実業家は一人もない。あるいは千人あるかと思うと、一人おるかおらぬかというくらいであります。金をもって神と国とに事えようという清き考えを持つ青年がない。よく話に聴きまする、かの紀ノ国屋文左衛門が百万両溜めて百万両使ってみようなどという賤しい考えを持たないで、百万両溜めて百万両神のために使ってみようというような実業家になりたい。そういう実業家が欲しい。その百万両を国のために、社会のために遺して逝こうという希望は、実に清い希望だと思います。今日私が自身に持ちたい望みです。もし自身にできるならばしたいことですが、ふしあわせにその方の伎倆は私にはありませぬから、もし諸君のなかにその希望がありますならば、どうぞ今の教育事業とかに従事する人たちは、「汝の事業は下等の事業なり」などというて、その人を失望させぬように注意してもらいたい。
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二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)多田某(ただなにがし)に謂(い)ひて曰(いわ)く、我(われ)東照神君(とうしょうしんくん)の御遺訓と云(いう)物を見しに、曰く、我敵国に生れて、只(ただ)父祖の仇(あだ)を報ぜん事の願ひのみなりき、祐誉(ゆうよ)が教(おしえ)に依(よ)りて、国を安んじ民を救ふの、天理なる事を知(し)りてより、今日に至れり、子孫長く此(この)志を継ぐべし、若(もし)相背(あいそむ)くに於(おい)ては、我子孫にあらず、民は是(これ)国の本なればなりとあり、然(しか)れば其許(そのもと)が、遺言すべき処は、我過(あやま)ちて新金銀引替御用(ごよう)を勤め、自然増長して驕奢(きょうしゃ)に流れ、御用の種金(たねきん)を遣(つか)ひ込み大借(たいしゃく)に陥り、身代(しんだい)破滅に及ぶべき処、報徳の方法に因(よ)りて、莫大の恩恵を受け、此(かく)の如く安穏に相続する事を得たり、此報恩には、子孫代々驕奢安逸を厳に禁じ、節倹を尽し身代の半(なかば)を推譲(おしゆず)り、世益を心掛け、貧を救ひ、村里を富(と)ます事を勤むべし、若此遺言に背く者は、子孫たりといへども、子孫にあらざる故、速(すみやか)に放逐すべし、婿嫁(むこよめ)は速に離縁すべし、我家株(わがかかぶ)田畑は、本来報徳法方(ほうほう)の物なれば也(なり)と子孫に遺物(ゆいごん)せば、神君の思召(おぼしめし)と同一にして、孝なり忠なり仁なり義なり、其子孫、徳川氏の二代公三代公の如く、その遺言を守らば、其(その)功業量るべからず、汝(なんじ)が家の繁昌長久(はんじょうちょうきゅう)も、又限りあるべからず、能々(よくよく)思考せよ。
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『後世への最大遺物』第二回・著述と教育の二つあるいはそうでなくとも、それに似たような事業がございます。すなわち私がこの世の中に生きているあいだに、事業をなすことができなければ、私は青年を薫陶して私の思想を若い人に注いで、そうしてその人をして私の事業をなさしめることができる。すなわちこれを短くいいますれば、著述をするということと、学生を教えるということであります。著述をすることと教育のことと、二つをここで論じたい。しかしだいぶ時がかかりますから、ただその第一、すなわち思想を遺すということについて、私の文学的観察をお話ししたいと思います。すなわちわれわれの思想を遺すには、今の青年にわれわれの志を注いでゆくも一つの方法でございますけれども、しかしながら思想そのものだけを遺してゆくには、文学によるほかない。