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後世への最大遺物 / 第一回・百万両を神のために使ってみよう

今日は神学生徒がキリスト信者のなかに十人あるかと思うと、実業家は一人もないです。百人あるかと思うと実業家は一人もない。あるいは千人あるかと思うと、一人おるかおらぬかというくらいであります。金をもって神と国とに事えようという清き考えを持つ青年がない。よく話に聴きまするかの紀ノ国屋文左衛門が百万両溜めて百万両使ってみようなどという賤しい考えを持たないで、百万両溜めて百万両神のために使って見ようというような実業家になりたい。そういう実業家が欲しい。その百万両を国のために、社会のために遺して逝こうという希望は実に清い希望だと思います。今日私が自身に持ちたい望みです。もし自身にできるならばしたいことですが、ふしあわせにその方の伎倆は私にはありませぬから、もし諸君のなかにその希望がありますならば、ドウゾ今の教育事業とかに従事する人たちは、「汝の事業は下等の事業なり」などというて、その人を失望させぬように注意してもらいたい。

書き下し

今日は神学生徒がキリスト信者のなかに十人あるかと思うと、実業家は一人もないです。百人あるかと思うと実業家は一人もない。あるいは千人あるかと思うと、一人おるかおらぬかというくらいであります。金をもって神と国とに事えようという清き考えを持つ青年がない。よく話に聴きまする、かの紀ノ国屋文左衛門が百万両溜めて百万両使ってみようなどという賤しい考えを持たないで、百万両溜めて百万両神のために使ってみようというような実業家になりたい。そういう実業家が欲しい。その百万両を国のために、社会のために遺して逝こうという希望は、実に清い希望だと思います。今日私が自身に持ちたい望みです。もし自身にできるならばしたいことですが、ふしあわせにその方の伎倆は私にはありませぬから、もし諸君のなかにその希望がありますならば、どうぞ今の教育事業とかに従事する人たちは、「汝の事業は下等の事業なり」などというて、その人を失望させぬように注意してもらいたい。

現代語訳

今は神学生がキリスト者の中に十人いるかと思えば、実業家は一人もいません。百人いるかと思えば実業家は一人もいない。千人いるかと思っても、一人いるかいないかです。金をもって神と国に仕えようという清い考えを持つ青年がいない。よく話に聞く紀伊国屋文左衛門のように、百万両溜めて百万両使ってみようという賤しい考えではなく、百万両溜めて百万両を神のために使ってみよう、という実業家になりたい。そういう実業家が欲しい。その百万両を国のため、社会のために遺して逝こうという願いは、実に清い願いだと思います。今日、私自身が持ちたい望みです。自分にできるならしたいのですが、あいにくその方面の才能が私にはありませんから、もし皆さんの中にその願いがあるなら、どうか今の教育事業などに携わる人たちは、お前の仕事は下等な仕事だなどと言って、その人を失望させないよう気をつけてほしい。

解説

紀伊国屋文左衛門は豪遊で知られる元禄の豪商で、溜めて使い切った型の代表として引かれます。同じ百万両でも、遊びに使うか公に使うかで意味が変わる。そして段の最後で、内村は聴衆の中の教育者に釘を刺します。実業を志す若者に、君の仕事は下等だと言うな、と。前の段で宣教師が自分の志を摘んだ話を思い出せば、同じ構図が繰り返されていると分かります。志の芽を摘むのは、いつも教える側だという苦い観察です。

この章句が説くこと

実業公共教育摘む

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