後世への最大遺物 / 第二回・沼地に水を引いて稲を植えた
それでどうしたかというと、川辺の誰も知らないところへ行きまして、菜種を蒔いた。一ヵ年かかって菜種を五、六升も取った。それからその菜種を持っていって、油屋へ行って油と取換えてきまして、それからその油で本を見た。そうしたところがまた叱られた。「油ばかりお前のものであれば本を読んでもよいと思っては違う、お前の時間も私のものだ。本を読むなどという馬鹿なことをするならよいからその時間に縄を綯れ」といわれた。それからまた仕方がない、伯父さんのいうことであるから終日働いてあとで本を読んだ、……そういう苦学をした人であります。どうして自分の生涯を立てたかというに、村の人の遊ぶとき、ことにお祭り日などには、近所の畑のなかに洪水で沼になったところがあった、その沼地を伯父さんの時間でない、自分の時間に、その沼地よりことごとく水を引いてそこでもって小さい鍬で田地を拵えて、そこへ持っていって稲を植えた。
書き下し
それでどうしたかというと、川辺の誰も知らないところへ行きまして、菜種を蒔いた。一ヵ年かかって菜種を五、六升も取った。それからその菜種を持っていって、油屋へ行って油と取換えてきまして、それからその油で本を見た。そうしたところが、また叱られた。「油ばかりお前のものであれば本を読んでもよいと思っては違う、お前の時間も私のものだ。本を読むなどという馬鹿なことをするなら、よいからその時間に縄を綯え」といわれた。それからまた仕方がない、伯父さんのいうことであるから終日働いて、あとで本を読んだ、……そういう苦学をした人であります。どうして自分の生涯を立てたかというに、村の人の遊ぶとき、ことにお祭り日などには、近所の畑のなかに洪水で沼になったところがあった、その沼地を、伯父さんの時間でない、自分の時間に、その沼地よりことごとく水を引いて、そこでもって小さい鍬で田地を拵えて、そこへ持っていって稲を植えた。
現代語訳
それでどうしたかというと、川辺の誰も知らない場所へ行って菜種を蒔きました。一年かかって菜種を五、六升取った。その菜種を持って油屋へ行き、油と取り換えてきて、その油で本を読みました。するとまた叱られた。油だけお前のものなら本を読んでよいと思ったら違う、お前の時間も私のものだ。本を読むなどという馬鹿なことをするくらいなら、その時間に縄を綯え、と言われた。それでまた仕方がない、伯父の言うことだから終日働いて、そのあとで本を読んだ。そういう苦学をした人です。どうやって自分の一生を立てたかというと、村の人が遊ぶとき、とくに祭りの日などに、近所の畑の中に洪水で沼になった場所があった。その沼地を、伯父の時間ではなく自分の時間に、すっかり水を引いて、小さい鍬で田を作り、そこへ稲を植えました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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葉隠・聞書第一少々は見のがし聞きのがしがある故に、下々(しもじも)は安穩(あんのん)である。何某(なにがし)が当時、倹約を細かに仕(つかまつ)る由(よし)申し候えども、宜しからざる事である。藻(も)がらなどがある故、その蔭(かげ)に魚は隠れて、成長するのである。少々は、見のがし聞きのがしがある故に、下々は安穩なのである。人の身持(みも)ちなども、この心得があるべき事である。
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老子・第11章三十輻は一轂を共にす、其の無に当たりて、車の用有り。埴を埏ねて以て器と為す、其の無に当たりて、器の用有り。戸牖を鑿ちて以て室と為す、其の無に当たりて、室の用有り。故に有の以て利を為すは、無の以て用を為せばなり。
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老子・第22章曲なれば則ち全く、枉なれば則ち直く、窪なれば則ち盈ち、敝るれば則ち新たに、少なければ則ち得、多ければ則ち惑う。是を以て聖人は一を抱きて天下の式と為る。自ら見わさず、故に明らかなり。自ら是とせず、故に彰る。自ら伐らず、故に功有り。自ら矜らず、故に長し。夫れ唯だ争わず、故に天下能く之と争う莫し。古の所謂る曲なれば則ち全しとは、豈に虚言ならんや。誠に全くして之に帰す。
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『茶の本』第三章 道教と禅道・柔術は道徳経に名を借りた道教徒のこういう考え方は、剣道相撲の理論に至るまで、動作のあらゆる理論に非常な影響を及ぼした。日本の自衛術である柔術は、その名を道徳経のなかの一句に借りている。柔術では無抵抗すなわち虚によって敵の力を出し尽くそうと努め、一方おのれの力は最後の奮闘に勝利を得るために保存しておく。芸術においても同一原理の重要なことが、暗示の価値によってわかる。何物かを表わさずにおくところに、見る者はその考えを完成する機会を与えられる。かようにして大傑作は人の心を強くひきつけて、ついには人が実際にその作品の一部分となるように思われる。虚は美的感情の極致までも入って満たせとばかりに人を待っている。
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老子・第15章古の善く士たる者は、微妙玄通、深くして識るべからず。夫れ唯だ識るべからず、故に強いて之が容を為す。豫として冬に川を渉るが若く、猶として四隣を畏るるが若く、儼としてそれ客の若く、渙として氷の将に釈けんとするが若く、敦としてそれ樸の若く、曠としてそれ谷の若く、混としてそれ濁れるが若し。孰か能く濁りて以て之を静かにして徐ろに清まさん。孰か能く安んじて以て久しく之を動かして徐ろに生ぜん。此の道を保つ者は盈つるを欲せず。夫れ唯だ盈たず、故に能く蔽れて新たに成る。