後世への最大遺物 / 第二回・かの人にできたなら己にもできる
私にはそういう真似はできない、私はとてもそういう事業はできない」というて失望しましょう。すなわち私が今から五十年も百年も後の人間であったならば、今日の時代から学校を受け継いだかも知れない。教会を受け継いだかも知れませぬ。けれども私自身を働かせる原動力をばもらわない。大切なるものをばもらわないに相違ない。しかしもしここにつまらない教会が一つあるとすれば、そのつまらない教会の建物を売ってみたところがほとんどわずかの金の価値しかないかも知れませぬ。しかしながらその教会の建った歴史を聞いたときに、その歴史がこういう歴史であったと仮定めてごらんなさい……この教会を建てた人はまことに貧乏人であった、この教会を建てた人は学問も別にない人であった、それだけれどもこの人は己のすべての浪費を節して、すべての欲情を去って、まるで己の力だけにたよって、この教会を造ったものである。……こういう歴史を読むと私にも勇気が起ってくる。かの人にできたならば己にもできないことはない、われも一つやってみようというようになる。
書き下し
私にはそういう真似はできない、私はとてもそういう事業はできない」というて失望しましょう。すなわち、私が今から五十年も百年も後の人間であったならば、今日の時代から学校を受け継いだかも知れない。教会を受け継いだかも知れませぬ。けれども私自身を働かせる原動力をばもらわない。大切なるものをばもらわないに相違ない。しかし、もしここにつまらない教会が一つあるとすれば、そのつまらない教会の建物を売ってみたところが、ほとんどわずかの金の価値しかないかも知れませぬ。しかしながら、その教会の建った歴史を聞いたときに、その歴史がこういう歴史であったと仮定めてごらんなさい……この教会を建てた人はまことに貧乏人であった、この教会を建てた人は学問も別にない人であった、それだけれども、この人は己のすべての浪費を節して、すべての欲情を去って、まるで己の力だけにたよって、この教会を造ったものである。……こういう歴史を読むと私にも勇気が起ってくる。かの人にできたならば己にもできないことはない、われも一つやってみようというようになる。
現代語訳
自分にはそんな真似はできない、とてもそんな事業はできない、と言って失望するでしょう。つまり、私が今から五十年も百年も後の人間だったなら、今日の時代から学校を受け継いだかもしれない。教会を受け継いだかもしれない。けれども自分自身を働かせる原動力はもらえない。大切なものはもらえないに違いありません。しかし、もしここにつまらない教会が一つあるとして、その建物を売ってもわずかの金にしかならないかもしれない。しかしその教会が建った歴史を聞いたとき、その歴史がこういうものだったと想像してごらんなさい。この教会を建てた人はまことに貧乏だった、学問も特になかった。それでもこの人は自分のあらゆる浪費を節し、あらゆる欲を去って、ただ自分の力だけを頼りにこの教会を造ったのだ、と。こういう歴史を読むと、私にも勇気が起こってくる。あの人にできたのなら自分にもできないことはない、自分も一つやってみよう、というようになります。
解説

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論語・述而篇子、顔淵に謂いて曰く、「之を用うれば則ち行い、之を舎つれば則ち蔵る。惟だ我と爾と是れ有るかな。」子路曰く、「子、三軍を行らば、則ち誰と与にせん。」子曰く、「暴虎馮河、死して悔い無き者は、吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成す者なり。」
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『春秋左氏伝』文公二年 狼瞫、死所を得る瞫曰く、「《周志》に之れ有り、『勇にして則ち上を害するは、明堂に登らず』と。死して義ならざるは、勇に非ざるなり。共に用ゐらるる之を勇と謂ふ。吾勇を以って右を求む。勇無くして黜けらるるは、亦た其の所なり。上我を知らずと謂ふも、黜けられて宜ならば、乃ち我を知るなり。子姑く之を待て」と。彭衙に及びて既に陳し、其の屬を以って秦の師に馳せ、焉に死す。晉の師之に從ひ、大いに秦の師を敗る。君子謂ふ、狼瞫是に於いてか君子なり、と。《詩》に曰く、「君子如し怒らば、亂庶(こひねが)はくは遄(すみ)やかに沮(や)まん」と。又曰く、「王赫として斯れ怒り、爰に其の旅を整ふ」と。怒りて亂を作さず、而して以って師に從ふ、君子と謂ふ可し。秦伯猶ほ孟明を用ふ。孟明增して國政を脩め、重ねて民に施す。趙成子諸大夫に言ひて曰く、「秦の師又至らば、將に必ず之を辟けんとす。懼れて德を增す、當たる可からざるなり。《詩》に曰く、『爾が祖を念ふ毋からんや、聿(ここ)に厥の德を脩む』と。孟明之を念へり。德を念ひて怠らず、其れ敵す可けんや」と。
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