後世への最大遺物 / 第二回・百年後の人が読むとしたら
もちろんこのことはたいへんよいことであります。それでもしわれわれが今より百年後にこの世に生まれてきたと仮定して、明治二十七年の人の歴史を読むとすれば、ドウでしょう、これを読んできてわれわれにどういう感じが起りましょうか。なるほどここにも学校が建った、ここにも教会が建った、ここにも青年会館が建った、ドウして建ったろうといってだんだん読んでみますと、この人はアメリカへ行って金をもらってきて建てた、あるいはこの人はこういう運動をして建てたということがある。そこでわれわれがこれを読みますときに「アア、とても私にはそんなことはできない、今ではアメリカへ行っても金はもらえまい、また私にはそのように人と共同する力はない。
書き下し
もちろんこのことはたいへんよいことであります。それで、もしわれわれが今より百年後にこの世に生まれてきたと仮定して、明治二十七年の人の歴史を読むとすれば、どうでしょう、これを読んできてわれわれにどういう感じが起りましょうか。なるほどここにも学校が建った、ここにも教会が建った、ここにも青年会館が建った、どうして建ったろうといってだんだん読んでみますと、この人はアメリカへ行って金をもらってきて建てた、あるいはこの人はこういう運動をして建てたということがある。そこでわれわれがこれを読みますときに「ああ、とても私にはそんなことはできない、今ではアメリカへ行っても金はもらえまい、また私にはそのように人と共同する力はない。
現代語訳
もちろんこれは大変よいことです。ところで、もし私たちが今から百年後にこの世に生まれたと仮定して、明治二十七年の人の歴史を読むとしたら、どうでしょう。読んでいってどんな感じが起こるでしょうか。なるほどここにも学校が建った、ここにも教会が建った、ここにも青年会館が建った。どうして建ったのかとだんだん読んでみると、この人はアメリカへ行って金をもらってきて建てた、あるいはこの人はこういう運動をして建てた、とある。そこで私たちがこれを読むとき、ああ、とても自分にはそんなことはできない、今ではアメリカへ行っても金はもらえまい、自分にはそのように人と協力する力もない、と思うでしょう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『後世への最大遺物』第二回・かの人にできたなら己にもできる私にはそういう真似はできない、私はとてもそういう事業はできない」というて失望しましょう。すなわち、私が今から五十年も百年も後の人間であったならば、今日の時代から学校を受け継いだかも知れない。教会を受け継いだかも知れませぬ。けれども私自身を働かせる原動力をばもらわない。大切なるものをばもらわないに相違ない。しかし、もしここにつまらない教会が一つあるとすれば、そのつまらない教会の建物を売ってみたところが、ほとんどわずかの金の価値しかないかも知れませぬ。しかしながら、その教会の建った歴史を聞いたときに、その歴史がこういう歴史であったと仮定めてごらんなさい……この教会を建てた人はまことに貧乏人であった、この教会を建てた人は学問も別にない人であった、それだけれども、この人は己のすべての浪費を節して、すべての欲情を去って、まるで己の力だけにたよって、この教会を造ったものである。……こういう歴史を読むと私にも勇気が起ってくる。かの人にできたならば己にもできないことはない、われも一つやってみようというようになる。
-
『後世への最大遺物』第二回・誰にも遺すことのできる最大遺物ここにいたって、こういう問題が出てくる。文学者にもなれず、学校の先生にもなれなかったならば、それならば私は後世に何をも遺すことはできないかという問題が出てくる。何かほかに事業はないか、私もたびたびそれがために失望に陥ることがある。しからば私には何も遺すものはない。事業家にもなれず、金を溜めることもできず、本を書くこともできず、ものを教えることもできない。そうすれば私は無用の人間として、平凡の人間として消えてしまわなければならぬか。陸放翁のいったごとく「我死して骨すなわち朽ち、青史にまた名無し」と嘆じ、この悲嘆の声を発してわれわれが生涯を終るのではないかと思うて、失望の極に陥ることがある。しかれども、私はそれよりもっと大きい、今度は前の三つと違いまして、誰にも遺すことのできる最大遺物があると思う。
-
『後世への最大遺物』第二回・著述と教育の二つあるいはそうでなくとも、それに似たような事業がございます。すなわち私がこの世の中に生きているあいだに、事業をなすことができなければ、私は青年を薫陶して私の思想を若い人に注いで、そうしてその人をして私の事業をなさしめることができる。すなわちこれを短くいいますれば、著述をするということと、学生を教えるということであります。著述をすることと教育のことと、二つをここで論じたい。しかしだいぶ時がかかりますから、ただその第一、すなわち思想を遺すということについて、私の文学的観察をお話ししたいと思います。すなわちわれわれの思想を遺すには、今の青年にわれわれの志を注いでゆくも一つの方法でございますけれども、しかしながら思想そのものだけを遺してゆくには、文学によるほかない。
-
『後世への最大遺物』第二回・人に頼らず天と己にたよるその考えを持ったばかりでなく、その考えを実行した。その話は長うございますけれども、ついには何万石という村々を改良して、自分の身をことごとく人のために使った。旧幕の末路にあたって、経済上、農業改良上について非常の功労のあった人であります。それでわれわれもそういう人の生涯、二宮金次郎先生のような人の生涯を見ますときに、「もしあの人にもああいうことができたならば、私にもできないことはない」という考えを起します。普通の考えではありますけれども、非常に価値のある考えであります。それで人に頼らずとも、われわれが神にたより己にたよって宇宙の法則に従えば、この世界はわれわれの望むとおりになり、この世界にわが考えを行うことができるという感覚が起ってくる。
-
『後世への最大遺物』第一回・清いがつまらない生涯それで何となく厭世的の考えが起ってきた。すなわち、人間が千載青史に列するを得んというのは、まことにこれは肉欲的、不信者的、ヒーゼン的の考えである、クリスチャンなどは功名を欲することはなすべからざることである、われわれは後世に名を伝えるとかいうことは、根こそぎ取ってしまわなければならぬ、というような考えが出てきました。それゆえに私の生涯は、実に前の生涯より清い生涯になったかも知れませぬ。けれども前のよりは、つまらない生涯になった。まあどうか、なるだけ罪を犯さないように、なるだけ神に逆らって汚らわしいことをしないように、ただただ立派にこの生涯を終って、キリストによって天国に救われて、未来永遠の喜びを得んと欲する考えが起ってきました。
-
『後世への最大遺物』第二回・邪魔があるほど事業は大きいたびたびこういうような考えは起りませぬか。もし私に家族の関係がなかったならば、私にも大事業ができたであろう、あるいは、もし私に金があって大学を卒業し、欧米へ行って知識を磨いてきたならば、私にも大事業ができたであろう、もし私に良い友人があったならば大事業ができたであろう、こういう考えは人々に実際起る考えであります。しかれども、種々の不幸に打ち勝つことによって大事業というものができる、それが大事業であります。それゆえに、われわれがこの考えをもってみますと、われわれに邪魔のあるのはもっとも愉快なことであります。邪魔があればあるほど、われわれの事業ができる。勇ましい生涯と事業を後世に遺すことができる。とにかく反対があればあるほど面白い。