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後世への最大遺物 / 第二回・文学は独立的の事業である

それで金も遺すことができず、事業も遺すことができない人は、かならずや文学者または学校の先生となって思想を遺して逝くことができるかというに、それはそうはいかぬ。しかしながら文学と教育とは、工業をなすということ、金を溜めるということよりも、よほどやさしいことだと思います。なぜなれば独立でできることであるからです。ことに文学は独立的の事業である。今日のような学校にてはどこの学校にても、Mission School を始めとしてどこの官立学校にても、われわれの思想を伝えるといっても実際伝えることはできない。それゆえ学校事業は独立事業としてはずいぶん難い事業であります。しかしながら文学事業にいたっては社会はほとんどわれわれの自由に任せる。

書き下し

それで金も遺すことができず、事業も遺すことができない人は、かならずや文学者または学校の先生となって思想を遺して逝くことができるかというに、それはそうはいかぬ。しかしながら文学と教育とは、工業をなすということ、金を溜めるということよりも、よほどやさしいことだと思います。なぜなれば独立でできることであるからです。ことに文学は独立的の事業である。今日のような学校にてはどこの学校にても、ミッションスクールを始めとして、どこの官立学校にても、われわれの思想を伝えるといっても実際伝えることはできない。それゆえ学校事業は独立事業としては、ずいぶん難い事業であります。しかしながら文学事業にいたっては、社会はほとんどわれわれの自由に任せる。

現代語訳

では、金も遺せず事業も遺せない人は、必ず文学者か学校の先生になって思想を遺して逝けるかというと、そうはいきません。しかし文学と教育は、工業を営むことや金を溜めることよりは、よほどやさしいことだと思います。なぜなら一人でできることだからです。とくに文学は独立した事業です。今日のような学校では、ミッションスクールをはじめどの官立学校でも、自分の思想を伝えると言っても実際には伝えられません。ですから学校の仕事は、独立した事業としてはずいぶん難しい事業です。しかし文学の仕事となると、社会はほとんど私たちの自由に任せてくれます。

解説

教育と著述の違いが、独立という一語で仕分けられます。学校で教えるには組織の方針に従わねばならず、自分の思想をそのまま伝えることはできない。一方、書くことは誰の許可も要らない。内村がこの直後に教職を離れて著述と伝道に生きたことを思えば、これは一般論ではなく彼自身の進路の説明でもあります。不敬事件で教壇を追われた経験が、この判断の背後にあると読めます。

この章句が説くこと

独立文学教育組織自由

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