後世への最大遺物 / 第二回・伝えることは一つの技術である
しかしながら、とにかく先生は非常な力を持っておった人でした。どういう力であったかというに、すなわち植物学を青年の頭のなかへ注ぎ込んで、植物学という学問の Interest を起す力を持った人でありました。それゆえに植物学の先生としては非常に価値のあった人でありました。ゆえに学問さえすれば、われわれが先生になれるという考えをわれわれは持つべきでない。われわれに思想さえあれば、われわれがことごとく先生になれるという考えを抛却してしまわねばならぬ。先生になる人は学問ができるよりも――学問もなくてはなりませぬけれども――学問ができるよりも学問を青年に伝えることのできる人でなければならない。これを伝えることは一つの技術であります。短い言葉でありますけれども、このなかに非常の意味が含まっております。たといわれわれが文学者になりたい、学校の先生になりたいという望みがあっても、これかならずしも誰にもできるものではないと思います。
書き下し
しかしながら、とにかく先生は非常な力を持っておった人でした。どういう力であったかというに、すなわち植物学を青年の頭のなかへ注ぎ込んで、植物学という学問の興味を起す力を持った人でありました。それゆえに植物学の先生としては非常に価値のあった人でありました。ゆえに、学問さえすれば、われわれが先生になれるという考えを、われわれは持つべきでない。われわれに思想さえあれば、われわれがことごとく先生になれるという考えを抛却してしまわねばならぬ。先生になる人は、学問ができるよりも――学問もなくてはなりませぬけれども――学問ができるよりも、学問を青年に伝えることのできる人でなければならない。これを伝えることは一つの技術であります。短い言葉でありますけれども、このなかに非常の意味が含まっております。たといわれわれが文学者になりたい、学校の先生になりたいという望みがあっても、これかならずしも誰にもできるものではないと思います。
現代語訳
しかしとにかく先生は非常な力を持った人でした。どういう力かというと、植物学を青年の頭の中へ注ぎ込み、植物学という学問への興味を起こす力を持った人でした。ですから植物学の先生としては非常に価値のある人でした。ですから、学問さえすれば先生になれるという考えを持つべきではありません。思想さえあれば誰でも先生になれるという考えは捨てなければならない。先生になる人は、学問ができることよりも、学問も必要ではありますが、それよりも学問を青年に伝えられる人でなければならない。伝えることは一つの技術です。短い言葉ですが、この中に非常な意味が含まれています。たとえ文学者になりたい、学校の先生になりたいという望みがあっても、これは必ずしも誰にでもできるものではないと思います。
解説
この章句が説くこと
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『後世への最大遺物』第二回・クラーク先生の化の皮これはわれわれが深く考うべきことで、われわれが学校さえ卒業すれば、かならず先生になれるという考えを持ってはならぬ。学校の先生になるということは、一種特別の天職だと私は思っております。よい先生というものは、かならずしも大学者ではない。大島君もご承知でございますが、私どもが札幌におりましたときに、クラーク先生という人が教師であって、植物学を受け持っておりました。その時分にはほかに植物学者がおりませぬから、クラーク先生を第一等の植物学者だと思っておりました。この先生のいったことは、植物学上誤りのないことだと思っておりました。しかしながら彼の本国に行って聞いたら、先生だいぶ化の皮が現われた。かの国のある学者が、クラークが植物学について口を利くなどとは不思議だ、といって笑っておりました。
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『後世への最大遺物』第二回・学問を教えられる人は少ないたとえば、学校の先生……ある人がいうように、何でも大学に入って学士の称号を取り、あるいはその上にアメリカへでも往って学校を卒業さえしてくれば、それで先生になれると思うのと同じことであります。私はたびたび聞いて感じまして、今でも心に留めておりますが、私がたいへん世話になりましたアーマスト大学の教頭シーリー先生がいった言葉に「この学校で払うだけの給金を払えば、学者を得ることはいくらでも得られる。地質学を研究する人、動物学を研究する人はいくらもある。地質学者、動物学者はたくさんいる。しかしながら地質学、動物学を教えることのできる人は実に少い。文学者はたくさんいる、文学を教えることのできる人は少い。それゆえに、この学校に三、四十人の教授がいるけれども、その三、四十人の教師は非常に貴い、なぜなればこれらの人は学問を自分で知っているばかりでなく、それを教えることのできる人であります」と。
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『後世への最大遺物』第二回・著述と教育の二つあるいはそうでなくとも、それに似たような事業がございます。すなわち私がこの世の中に生きているあいだに、事業をなすことができなければ、私は青年を薫陶して私の思想を若い人に注いで、そうしてその人をして私の事業をなさしめることができる。すなわちこれを短くいいますれば、著述をするということと、学生を教えるということであります。著述をすることと教育のことと、二つをここで論じたい。しかしだいぶ時がかかりますから、ただその第一、すなわち思想を遺すということについて、私の文学的観察をお話ししたいと思います。すなわちわれわれの思想を遺すには、今の青年にわれわれの志を注いでゆくも一つの方法でございますけれども、しかしながら思想そのものだけを遺してゆくには、文学によるほかない。
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『後世への最大遺物』第二回・文学は独立的の事業であるそれで金も遺すことができず、事業も遺すことができない人は、かならずや文学者または学校の先生となって思想を遺して逝くことができるかというに、それはそうはいかぬ。しかしながら文学と教育とは、工業をなすということ、金を溜めるということよりも、よほどやさしいことだと思います。なぜなれば独立でできることであるからです。ことに文学は独立的の事業である。今日のような学校にてはどこの学校にても、ミッションスクールを始めとして、どこの官立学校にても、われわれの思想を伝えるといっても実際伝えることはできない。それゆえ学校事業は独立事業としては、ずいぶん難い事業であります。しかしながら文学事業にいたっては、社会はほとんどわれわれの自由に任せる。
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『後世への最大遺物』第二回・天才も位地もないときは昨晩は後世へわれわれが遺して逝くべきものについて、まず第一に金のことの話をいたし、その次に事業のお話をいたしました。ところで金を溜める天才もなし、またそれを使う天才もなし、かつまた事業の天才もなし、また事業をなすための社会の位地もないときには、われわれがこの世において何をいたしたらよろしかろうか。事業をなすにはわれわれに神から受けた特別の天才が要るばかりでなく、また社会上の位地が要る。われわれはあるときは、かの人は天才があるのに何故なんにもしないでいるかといって人を責めますけれども、それはたびたび起る酷な責め方だと思います。人は位地を得ますと、ずいぶんつまらない者でも大事業をいたすものであります。
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『後世への最大遺物』第二回・誰にも遺すことのできる最大遺物ここにいたって、こういう問題が出てくる。文学者にもなれず、学校の先生にもなれなかったならば、それならば私は後世に何をも遺すことはできないかという問題が出てくる。何かほかに事業はないか、私もたびたびそれがために失望に陥ることがある。しからば私には何も遺すものはない。事業家にもなれず、金を溜めることもできず、本を書くこともできず、ものを教えることもできない。そうすれば私は無用の人間として、平凡の人間として消えてしまわなければならぬか。陸放翁のいったごとく「我死して骨すなわち朽ち、青史にまた名無し」と嘆じ、この悲嘆の声を発してわれわれが生涯を終るのではないかと思うて、失望の極に陥ることがある。しかれども、私はそれよりもっと大きい、今度は前の三つと違いまして、誰にも遺すことのできる最大遺物があると思う。