後世への最大遺物 / 第二回・学問を教えられる人は少ない
たとえば、学校の先生……ある人がいうように何でも大学に入って学士の称号を取り、あるいはその上にアメリカへでも往って学校を卒業さえしてくれば、それで先生になれると思うのと同じことであります。私はたびたび聞いて感じまして、今でも心に留めておりますが、私がたいへん世話になりましたアーマスト大学の教頭シーリー先生がいった言葉に「この学校で払うだけの給金を払えば学者を得ることはいくらでも得られる。地質学を研究する人、動物学を研究する人はいくらもある。地質学者、動物学者はたくさんいる。しかしながら地質学、動物学を教えることのできる人は実に少い。文学者はたくさんいる、文学を教えることのできる人は少い。それゆえにこの学校に三、四十人の教授がいるけれども、その三、四十人の教師は非常に貴い、なぜなればこれらの人は学問を自分で知っているばかりでなく、それを教えることのできる人であります」と。
書き下し
たとえば、学校の先生……ある人がいうように、何でも大学に入って学士の称号を取り、あるいはその上にアメリカへでも往って学校を卒業さえしてくれば、それで先生になれると思うのと同じことであります。私はたびたび聞いて感じまして、今でも心に留めておりますが、私がたいへん世話になりましたアーマスト大学の教頭シーリー先生がいった言葉に「この学校で払うだけの給金を払えば、学者を得ることはいくらでも得られる。地質学を研究する人、動物学を研究する人はいくらもある。地質学者、動物学者はたくさんいる。しかしながら地質学、動物学を教えることのできる人は実に少い。文学者はたくさんいる、文学を教えることのできる人は少い。それゆえに、この学校に三、四十人の教授がいるけれども、その三、四十人の教師は非常に貴い、なぜなればこれらの人は学問を自分で知っているばかりでなく、それを教えることのできる人であります」と。
現代語訳
たとえば学校の先生。ある人が言うように、とにかく大学に入って学士の称号を取り、さらにアメリカへでも行って学校を卒業さえすれば、それで先生になれると思うのと同じことです。私は何度も聞いて感じ、今でも心に留めていますが、私が大変世話になったアマースト大学の教頭シーリー先生の言葉に、この学校で払うだけの給料を払えば、学者はいくらでも得られる。地質学を研究する人、動物学を研究する人はいくらもいる。地質学者、動物学者はたくさんいる。しかし地質学や動物学を教えられる人は実に少ない。文学者はたくさんいる、文学を教えられる人は少ない。だからこの学校に三、四十人の教授がいるが、その三、四十人の教師は非常に貴い。なぜならこの人たちは学問を自分で知っているだけでなく、それを教えられる人だからだ、というものがあります。
解説
この章句が説くこと
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『後世への最大遺物』第二回・伝えることは一つの技術であるしかしながら、とにかく先生は非常な力を持っておった人でした。どういう力であったかというに、すなわち植物学を青年の頭のなかへ注ぎ込んで、植物学という学問の興味を起す力を持った人でありました。それゆえに植物学の先生としては非常に価値のあった人でありました。ゆえに、学問さえすれば、われわれが先生になれるという考えを、われわれは持つべきでない。われわれに思想さえあれば、われわれがことごとく先生になれるという考えを抛却してしまわねばならぬ。先生になる人は、学問ができるよりも――学問もなくてはなりませぬけれども――学問ができるよりも、学問を青年に伝えることのできる人でなければならない。これを伝えることは一つの技術であります。短い言葉でありますけれども、このなかに非常の意味が含まっております。たといわれわれが文学者になりたい、学校の先生になりたいという望みがあっても、これかならずしも誰にもできるものではないと思います。
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『後世への最大遺物』第二回・クラーク先生の化の皮これはわれわれが深く考うべきことで、われわれが学校さえ卒業すれば、かならず先生になれるという考えを持ってはならぬ。学校の先生になるということは、一種特別の天職だと私は思っております。よい先生というものは、かならずしも大学者ではない。大島君もご承知でございますが、私どもが札幌におりましたときに、クラーク先生という人が教師であって、植物学を受け持っておりました。その時分にはほかに植物学者がおりませぬから、クラーク先生を第一等の植物学者だと思っておりました。この先生のいったことは、植物学上誤りのないことだと思っておりました。しかしながら彼の本国に行って聞いたら、先生だいぶ化の皮が現われた。かの国のある学者が、クラークが植物学について口を利くなどとは不思議だ、といって笑っておりました。
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『後世への最大遺物』第二回・著述と教育の二つあるいはそうでなくとも、それに似たような事業がございます。すなわち私がこの世の中に生きているあいだに、事業をなすことができなければ、私は青年を薫陶して私の思想を若い人に注いで、そうしてその人をして私の事業をなさしめることができる。すなわちこれを短くいいますれば、著述をするということと、学生を教えるということであります。著述をすることと教育のことと、二つをここで論じたい。しかしだいぶ時がかかりますから、ただその第一、すなわち思想を遺すということについて、私の文学的観察をお話ししたいと思います。すなわちわれわれの思想を遺すには、今の青年にわれわれの志を注いでゆくも一つの方法でございますけれども、しかしながら思想そのものだけを遺してゆくには、文学によるほかない。
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『後世への最大遺物』第二回・文学は独立的の事業であるそれで金も遺すことができず、事業も遺すことができない人は、かならずや文学者または学校の先生となって思想を遺して逝くことができるかというに、それはそうはいかぬ。しかしながら文学と教育とは、工業をなすということ、金を溜めるということよりも、よほどやさしいことだと思います。なぜなれば独立でできることであるからです。ことに文学は独立的の事業である。今日のような学校にてはどこの学校にても、ミッションスクールを始めとして、どこの官立学校にても、われわれの思想を伝えるといっても実際伝えることはできない。それゆえ学校事業は独立事業としては、ずいぶん難い事業であります。しかしながら文学事業にいたっては、社会はほとんどわれわれの自由に任せる。
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『後世への最大遺物』第二回・マウント・ホリヨーク女学校私は時が長くなりましたからもうしまいにいたしますが、常に私の生涯に深い感覚を与える一つの言葉を、皆様の前に繰り返したい。ことに、われわれのなかに一人、アメリカのマサチューセッツ州マウント・ホリヨーク・セミナリーという学校へ行って卒業してきた方がおりますが、この女学校は古い女学校であります。たいへんよい女学校であります。しかしながら、もし私をしてその女学校を評せしむれば、今の教育上、ことに知育上においては、私はけっしてアメリカ第一等の女学校とは思わない。米国にはたくさんよい女学校がございます。スミス女学校というような大きな学校もあります。またボストンのウェレスレー学校、フィラデルフィアのブリンモアー学校というようなものがございます。
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『後世への最大遺物』第一回・宗派の教師は入れるなそれで妙な癖があった人とみえまして、教会というものをたいそう嫌ったのです。それで「おれは別にこの金を使うことについて条件はつけないけれども、おれの建ったところの孤児院のなかに、デノミネーションすなわち宗派の教師は誰でも入れてはならぬ」という稀代な条件をつけて死んでしまった。それゆえに、今でもメソジストの教師でも、監督教会の教師でも、組合教会の教師でも、この孤児院にはいることはお気の毒でございますけれどもできませぬ。そのほかは誰でもそこにはいることができる。それでこの孤児院の組織のことは長いことでございますから、今ここにお話し申しませぬけれども、前に述べた二百万ドルをもって買い集めましたところの山です。