後世への最大遺物 / 第二回・天才も位地もないときは
昨晩は後世へわれわれが遺して逝くべきものについて、まず第一に金のことの話をいたし、その次に事業のお話をいたしました。ところで金を溜める天才もなし、またそれを使う天才もなし、かつまた事業の天才もなし、また事業をなすための社会の位地もないときには、われわれがこの世において何をいたしたらよろしかろうか。事業をなすにはわれわれに神から受けた特別の天才が要るばかりでなく、また社会上の位地が要る。われわれはあるときはかの人は天才があるのに何故なんにもしないでいるかといって人を責めますけれども、それはたびたび起る酷な責め方だと思います。人は位地を得ますとずいぶんつまらない者でも大事業をいたすものであります。
書き下し
昨晩は後世へわれわれが遺して逝くべきものについて、まず第一に金のことの話をいたし、その次に事業のお話をいたしました。ところで金を溜める天才もなし、またそれを使う天才もなし、かつまた事業の天才もなし、また事業をなすための社会の位地もないときには、われわれがこの世において何をいたしたらよろしかろうか。事業をなすにはわれわれに神から受けた特別の天才が要るばかりでなく、また社会上の位地が要る。われわれはあるときは、かの人は天才があるのに何故なんにもしないでいるかといって人を責めますけれども、それはたびたび起る酷な責め方だと思います。人は位地を得ますと、ずいぶんつまらない者でも大事業をいたすものであります。
現代語訳
昨晩は、後世に私たちが遺して逝くべきものについて、まず第一に金の話をし、次に事業の話をしました。ところで、金を溜める天分もなく、それを使う天分もなく、さらに事業の天分もなく、事業をなすための社会的な地位もないとき、私たちはこの世で何をしたらよいでしょうか。事業をなすには、神から受けた特別の天分が要るだけでなく、社会的な地位も要ります。私たちは時に、あの人は才能があるのになぜ何もしないのか、と人を責めますが、それはしばしば酷な責め方だと思います。人は地位を得ると、ずいぶんつまらない者でも大事業をするものです。
解説
二日目の冒頭で、内村は前夜の二つの答えを自分で突き崩します。金にも事業にも天分と地位が要る、と。そして、才能があるのに何もしない、と人を責めるのは酷だと言う。地位がなければ才能は形にならないという現実を、内村は言い訳としてではなく事実として認めます。ここが講演の転回点で、条件に恵まれた人しか遺物を遺せないのか、という問いが立つ。このあと思想、そして生涯へと、条件の要らない答えへ降りていきます。
この章句が説くこと
天分地位機会条件評価
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