後世への最大遺物 / 第二回・三日月様に豆腐を供える
その女が手紙を書くのを側で見ていますと、非常な手紙です。筆を横に取って、仮名で、土佐言葉で書く。今あとで坂本さんが出て土佐言葉の標本を諸君に示すかも知れませぬ(大笑拍手)。ずいぶん面白い言葉であります。仮名で書くのですから、土佐言葉がソックリそのままで出てくる。それで彼女は長い手紙を書きます。実に読むのに骨が折れる。しかしながら私はいつでもそれを見て喜びます。その女は信者でも何でもない。毎月三日月様になりますと私のところへ参って「ドウゾ旦那さまお銭を六厘」という。「何に使うか」というと、黙っている。「何でもよいから」という。やると豆腐を買ってきまして、三日月様に豆腐を供える。後で聞いてみると「旦那さまのために三日月様に祈っておかぬと運が悪い」と申します。
書き下し
その女が手紙を書くのを側で見ていますと、非常な手紙です。筆を横に取って、仮名で、土佐言葉で書く。今あとで坂本さんが出て、土佐言葉の標本を諸君に示すかも知れませぬ。ずいぶん面白い言葉であります。仮名で書くのですから、土佐言葉がそっくりそのままで出てくる。それで彼女は長い手紙を書きます。実に読むのに骨が折れる。しかしながら私はいつでもそれを見て喜びます。その女は信者でも何でもない。毎月三日月様になりますと、私のところへ参って「どうぞ旦那さま、お銭を六厘」という。「何に使うか」というと、黙っている。「何でもよいから」という。やると豆腐を買ってきまして、三日月様に豆腐を供える。後で聞いてみると「旦那さまのために三日月様に祈っておかぬと運が悪い」と申します。
現代語訳
その女中が手紙を書くのを傍で見ていると、すごい手紙です。筆を横に持って、仮名で、土佐言葉で書く。あとで坂本さんが出てきて、土佐言葉の見本を皆さんに示すかもしれません。ずいぶん面白い言葉です。仮名で書くので、土佐言葉がそっくりそのまま出てきます。それで彼女は長い手紙を書く。読むのに実に骨が折れます。しかし私はいつもそれを見て喜びます。その女中は信者でも何でもありません。毎月三日月になると、私のところへ来て、どうぞ旦那さま、お金を六厘、と言う。何に使うのかと聞くと黙っている。何でもよいから、と言う。渡すと豆腐を買ってきて、三日月様に豆腐を供える。あとで聞いてみると、旦那さまのために三日月様に祈っておかないと運が悪いのです、と言います。
解説
この章句が説くこと
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『後世への最大遺物』第二回・下女の手紙が本当の文学私は感謝していつでも六厘差し出します。それから七夕様がきますと、いつでも私のために七夕様に団子だの梨だの柿などを供えます。私はいつもそれを喜んで供えさせます。その女が書いてくれる手紙を、私は実に多くの立派な学者先生の文学を『六合雑誌』などに拝見するよりも、喜んで見まする。それが本当の文学で、それが私の心情に訴える文学。……文学とは何でもない、われわれの心情に訴えるものであります。文学というものはそういうものであるならば……そういうものでなくてはならぬ……それならば、われわれはなろうと思えば文学者になることができます。われわれの文学者になれないのは、筆が執れないからなれないのではない、われわれに漢文が書けないから文学者になれないのでもない。
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『後世への最大遺物』第二回・青年よりは青年の思うとおりを私の欲するところと社会の欲するところは、女よりは女のいうようなことを聴きたい、男よりは男のいうようなことを聴きたい、青年よりは青年の思っているとおりのことを聴きたい、老人よりは老人の思っているとおりのことを聴きたい。それが文学です。それゆえに、ただわれわれの心のままを表白してごらんなさい。そうしてゆけば、いくら文法は間違っておっても、世の中の人が読んでくれる。それがわれわれの遺物です。もし何もすることができなければ、われわれの思うままを書けばよろしいのです。私は高知から来た一人の下女を持っています。非常に面白い下女で、私のところに参りましてから、いろいろの世話をいたします。ある時はほとんど私の母のように私の世話をしてくれます。
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『後世への最大遺物』第二回・一俵の米は百万の価値があったこうして初めて一俵の米を取った。その人の自伝によりますれば、「米を一俵取ったときの私の喜びは何ともいえなかった。これ天が初めて私に直接に授けたものにして、その一俵は私にとっては百万の価値があった」というてある。それからその方法をだんだん続けまして、二十歳のときに伯父さんの家を辞した。そのときには三、四俵の米を持っておった。それから仕上げた人であります。それでこの人の生涯を初めから終りまで見ますと、「この宇宙というものは実に、天の造ってくださったもので、天というものは実に恩恵の深いもので、人間を助けよう助けようとばかり思っている。それだから、もしわれわれがこの身を天と地とに委ねて天の法則に従っていったならば、われわれは欲せずといえども天がわれわれを助けてくれる」という、こういう考えであります。
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『後世への最大遺物』第二回・『基督教青年』を厠へ持っていく今ここに丹羽さんがいませぬから、少し丹羽さんの悪口をいいましょう……後でいいつけてはいけませんよ。丹羽さんが青年会において『基督教青年』という雑誌を出した。それで私のところへもだいぶ送ってきた。そこで私が先日東京へ出ましたときに、先生が「どうです内村君、あなたは『基督教青年』をどうお考えなさいますか」と問われたから、私は真面目に、また明白に答えた。「失礼ながら『基督教青年』は私のところへきますと、私はすぐそれを厠へ持っていって置いてきます。」ところが先生たいへん怒った。それから私はそのわけをいいました。あの『基督教青年』を私が汚穢い用に用いるのは何であるかというに、実につまらぬ雑誌であるからです。
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『後世への最大遺物』はしがき・箱根の夏期学校で述べし講話この小冊子は、明治二十七年七月、相州箱根駅において開設せられしキリスト教徒第六夏期学校において述べし余の講話を、同校委員諸子の承諾を得て、ここに印刷に附せしものなり。事、キリスト教と学生とにかんすること多し、しかれども、また多少一般の人生問題を論究せざるにあらず。これけだし、余の親友、京都便利堂主人がしいてこれを発刊せしゆえなるべし。読者の寛容を待つ。明治三十年六月二十日、東京青山において。内村鑑三
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『後世への最大遺物』第二回・人に頼らず天と己にたよるその考えを持ったばかりでなく、その考えを実行した。その話は長うございますけれども、ついには何万石という村々を改良して、自分の身をことごとく人のために使った。旧幕の末路にあたって、経済上、農業改良上について非常の功労のあった人であります。それでわれわれもそういう人の生涯、二宮金次郎先生のような人の生涯を見ますときに、「もしあの人にもああいうことができたならば、私にもできないことはない」という考えを起します。普通の考えではありますけれども、非常に価値のある考えであります。それで人に頼らずとも、われわれが神にたより己にたよって宇宙の法則に従えば、この世界はわれわれの望むとおりになり、この世界にわが考えを行うことができるという感覚が起ってくる。