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後世への最大遺物 / 第二回・わが思うそのままを書く

ことにクエーカーの書いた本でありますから文法上の誤謬がたくさんある。しかるにバンヤンは始めから終りまでこの本を読んだ。彼は申しました。「私はプラトンの本もまたアリストテレスの本も読んだことはない、ただイエス・キリストの恩恵にあずかった憐れなる罪人であるから、ただわが思うそのままを書くのである」といって、“Pilgrim's Progress”(『天路歴程』)という有名なる本を書いた。それでたぶんイギリス文学の批評家中で第一番という人……このあいだ死んだフランス人、テーヌという人であります……その人がバンヤンのこの著を評して何といったかというと「たぶん純粋という点から英語を論じたときにはジョン・バンヤンの“Pilgrim's Progress”に及ぶ文章はあるまい。

書き下し

ことにクエーカーの書いた本でありますから、文法上の誤謬がたくさんある。しかるにバンヤンは始めから終りまでこの本を読んだ。彼は申しました。「私はプラトンの本も、またアリストテレスの本も読んだことはない、ただイエス・キリストの恩恵にあずかった憐れなる罪人であるから、ただわが思うそのままを書くのである」といって、『天路歴程』という有名なる本を書いた。それでたぶんイギリス文学の批評家中で第一番という人……このあいだ死んだフランス人、テーヌという人であります……その人がバンヤンのこの著を評して何といったかというと「たぶん純粋という点から英語を論じたときには、ジョン・バンヤンの『天路歴程』に及ぶ文章はあるまい。

現代語訳

とくにクエーカーの書いた本ですから、文法上の誤りがたくさんあります。それでもバンヤンは初めから終わりまでこの本を読みました。彼は言いました。私はプラトンの本もアリストテレスの本も読んだことがない、ただイエス・キリストの恵みにあずかった憐れな罪人であるから、ただ自分の思うそのままを書くのだ、と言って、『天路歴程』という有名な本を書きました。おそらくイギリス文学の批評家の中で第一人者という人、先ごろ亡くなったフランス人のテーヌという人ですが、その人がバンヤンのこの著作を評して何と言ったかというと、おそらく純粋という点から英語を論じるなら、ジョン・バンヤンの『天路歴程』に及ぶ文章はあるまい、と。

解説

書く資格についての、この講演でもっとも明快な答えです。プラトンもアリストテレスも読んでいない、ただ思うそのままを書く。それが結果として、批評家が英語の純粋さの頂点と呼ぶ文章になった。教養が文体を作るのではなく、借り物のない言葉が文体を作るという逆転です。前段で名文と比べて失望した人に対する、具体的な処方がここに置かれています。読んだ本の数ではなく、自分の経験の量が元手になります。

この章句が説くこと

文学率直無学文体経験

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