後世への最大遺物 / 第二回・わが思うそのままを書く
ことにクエーカーの書いた本でありますから文法上の誤謬がたくさんある。しかるにバンヤンは始めから終りまでこの本を読んだ。彼は申しました。「私はプラトンの本もまたアリストテレスの本も読んだことはない、ただイエス・キリストの恩恵にあずかった憐れなる罪人であるから、ただわが思うそのままを書くのである」といって、“Pilgrim's Progress”(『天路歴程』)という有名なる本を書いた。それでたぶんイギリス文学の批評家中で第一番という人……このあいだ死んだフランス人、テーヌという人であります……その人がバンヤンのこの著を評して何といったかというと「たぶん純粋という点から英語を論じたときにはジョン・バンヤンの“Pilgrim's Progress”に及ぶ文章はあるまい。
書き下し
ことにクエーカーの書いた本でありますから、文法上の誤謬がたくさんある。しかるにバンヤンは始めから終りまでこの本を読んだ。彼は申しました。「私はプラトンの本も、またアリストテレスの本も読んだことはない、ただイエス・キリストの恩恵にあずかった憐れなる罪人であるから、ただわが思うそのままを書くのである」といって、『天路歴程』という有名なる本を書いた。それでたぶんイギリス文学の批評家中で第一番という人……このあいだ死んだフランス人、テーヌという人であります……その人がバンヤンのこの著を評して何といったかというと「たぶん純粋という点から英語を論じたときには、ジョン・バンヤンの『天路歴程』に及ぶ文章はあるまい。
現代語訳
とくにクエーカーの書いた本ですから、文法上の誤りがたくさんあります。それでもバンヤンは初めから終わりまでこの本を読みました。彼は言いました。私はプラトンの本もアリストテレスの本も読んだことがない、ただイエス・キリストの恵みにあずかった憐れな罪人であるから、ただ自分の思うそのままを書くのだ、と言って、『天路歴程』という有名な本を書きました。おそらくイギリス文学の批評家の中で第一人者という人、先ごろ亡くなったフランス人のテーヌという人ですが、その人がバンヤンのこの著作を評して何と言ったかというと、おそらく純粋という点から英語を論じるなら、ジョン・バンヤンの『天路歴程』に及ぶ文章はあるまい、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、「鬼神なる者は、固より有ること無し」と。旦暮に以て天下に教誨を為し、天下の衆を之れ疑わしめ、天下の衆をして皆な鬼神の有無の别に疑惑せしむ。是を以て天下亂る。是の故に子墨子曰く、今、天下の王公大人・士君子、實に将に天下の利を興し、天下の害を除かんことを求め欲せば、故に當に鬼神の有ると無きとの别、以て将に此を眀察せざる可からざる者と為すべきなり。既に鬼神の有無の别を以て察せざる可からずと為し已わる。然らば則ち吾れ此を眀察するを為すに、其の説、将に奈何にして可ならんとするや。子墨子曰く、是れ天下の以て有ると無きとを察知する所の道なる者と、必ず衆の耳目の實を以て有無を知るを儀と為す者なり。請に之を聞き之を見るに惑わば、則ち必ず以て無しと為さん。是くの若くんば何ぞ嘗みに一鄉一里に入りて之を問わざる。古より以て今に及ぶまで、生民より以來の者、亦た嘗て鬼神の物を見、鬼神の聲を聞くこと有らば、則ち鬼神、無しと謂う可けんや。若し聞く莫く見る莫くんば、則ち鬼神、有りと謂う可けんや。
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論語・為政篇子曰く、「故きを温めて新しきを知らば、以て師と為るべし。」
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尚書・秦誓猷ほ兹の黃髪に詢わば、則ち愆つ所罔からん。
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『後世への最大遺物』第二回・心のままを書けばそれが文学これはまったく外からの雑りのない、もっとも純粋なる英語であるだろう」と申しました。そうして、かくも有名なる本は何であるかというと、無学者の書いた本であります。それで、もしわれわれにジョン・バンヤンの精神がありますならば、すなわちわれわれが他人から聞いたつまらない説を伝えるのでなく、自分の拵えた神学説を伝えるでなくして、私はこう感じた、私はこう苦しんだ、私はこう喜んだ、ということを書くならば、世間の人はどれだけ喜んでこれを読むか知れませぬ。今の人が読むのみならず、後世の人も実に喜んで読みます。バンヤンは実に「真面目なる宗教家」であります。心の実験を真面目に表わしたものが英国第一等の文学であります。それだによって、われわれのなかに文学者になりたいと思う観念を持つ人がありまするならば、バンヤンのような心を持たなくてはなりません。彼のような心を持ったならば、実に文学者になれぬ人はないと思います。
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葉隠・聞書第十一多久圖書病中、嬉野十左衞門見舞ひ申され候へば、「御子息美作(みまさか)殿御器量にて候。」と申され候へば、「器量にても未だ功が入(い)らず候。我等は若輩の時分、日峯(にっぽう)様より奉行中への中使(なかづかい)仰付けられ、御取次仕り候が、今存じ候に、さてさて功に成る事共にて候。いづれ功を積み候はでは、御用に立ちがたく候。」と御申し候由。
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・姑の鑑遠からず嫁の時にあり豈これを人間家内の道と言うべけんや。余かつて言えることあり。「姑の鑑遠からず嫁の時にあり」と。姑もし嫁を窘しめんと欲せば、己がかつて嫁たりし時を想うべきなり。右は上下貴賤の名分より生じたる悪弊にて、夫婦親子の二例を示したるなり。世間にこの悪弊の行なわるるははなはだ広く、事々物々、人間の交際に浸潤せざるはなし。なおその例は次編に記すべし。