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後世への最大遺物 / 第二回・私は文学者になれないという失望

こういう事業ならばあるいはわれわれも行ってみたいと思う。こう申しますると、諸君のなかにまたこういう人があります。「ドウモしかしながら文学などは私らにはとてもできない、ドウモ私は今まで筆を執ったことがない。また私は学問が少い、とても私は文学者になることはできない」。それで『源氏物語』を見てとてもこういう流暢なる文は書けないと思い、マコーレーの文を見てとてもこれを学ぶことはできぬと考え、山陽の文を見てとてもこういうものは書けないと思い、ドウしても私は文学者になることはできないといって失望する人がある。文学者は特別の天職を持った人であって文学はとてもわれわれ平凡の人間にできることではないと思う人があります。

書き下し

こういう事業ならば、あるいはわれわれも行ってみたいと思う。こう申しますると、諸君のなかにまたこういう人があります。「どうもしかしながら文学などは私らにはとてもできない、どうも私は今まで筆を執ったことがない。また私は学問が少い、とても私は文学者になることはできない」。それで『源氏物語』を見てとてもこういう流暢なる文は書けないと思い、マコーレーの文を見てとてもこれを学ぶことはできぬと考え、山陽の文を見てとてもこういうものは書けないと思い、どうしても私は文学者になることはできないといって失望する人がある。文学者は特別の天職を持った人であって、文学はとてもわれわれ平凡の人間にできることではないと思う人があります。

現代語訳

こういう事業なら、私たちもやってみたいと思う。こう言うと、皆さんの中にはまたこういう人がいます。どうも文学などは自分にはとてもできない、これまで筆を執ったことがない、学問も少ない、とても文学者にはなれない、と。そして『源氏物語』を見てとてもこんな流暢な文は書けないと思い、マコーレーの文を見てとても学べないと考え、山陽の文を見てとてもこんなものは書けないと思い、どうしても自分は文学者になれないと言って失望する人がいます。「文学者は特別の天職を持った人であって、文学など私たち平凡な人間にできることではない」と思う人がいます。

解説

第三の答えにも関門があった、という自己批判です。書けばよいと言われても、名文と比べて自分には無理だと思う人がいる。内村はその失望を、実際の声として引いてみせます。前の段で文学者の事業を羨むべきものと持ち上げた直後に、それでは届かない人がいることを認める。四つの遺物が順に敷居を下げていく構造の中で、ここは第三の答えの限界を自分で示した箇所です。次の段で、その失望の出どころが名指しされます。

この章句が説くこと

失望比較文学断念平凡

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