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後世への最大遺物 / 第二回・文学は惰け書生の玩具ではない

それゆえに思想を遺すということは大事業であります。もしわれわれが事業を遺すことができぬならば、思想を遺してそうして将来にいたってわれわれの事業をなすことができると思う。そこで私はここでご注意を申しておかねばならぬことがある。われわれのなかに文学者という奴がある。誰でも筆を把ってそうして雑誌か何かに批評でも載すれば、それが文学者だと思う人がある。それで文学というものは惰け書生の一つの玩具になっている。誰でも文学はできる。それで日本人の考えに文学というものはまことに気楽なもののように思われている。山に引っ込んで文筆に従事するなどは実に羨しいことのように考えられている。福地源一郎君が不忍の池のほとりに別荘を建てて日蓮上人の脚本を書いている。

書き下し

それゆえに思想を遺すということは大事業であります。もしわれわれが事業を遺すことができぬならば、思想を遺して、そうして将来にいたってわれわれの事業をなすことができると思う。そこで私はここでご注意を申しておかねばならぬことがある。われわれのなかに文学者という奴がある。誰でも筆を把って、そうして雑誌か何かに批評でも載すれば、それが文学者だと思う人がある。それで文学というものは、惰け書生の一つの玩具になっている。誰でも文学はできる。それで日本人の考えに、文学というものはまことに気楽なもののように思われている。山に引っ込んで文筆に従事するなどは、実に羨しいことのように考えられている。福地源一郎君が不忍の池のほとりに別荘を建てて、日蓮上人の脚本を書いている。

現代語訳

ですから思想を遺すことは大事業です。もし私たちが事業を遺せないなら、思想を遺して、将来になって自分の事業をなすことができると思います。そこで一つ注意しておかねばならないことがあります。私たちの中に文学者という連中がいます。誰でも筆を取って雑誌か何かに批評でも載せれば、それで文学者だと思う人がいる。それで文学というものが、怠け書生の玩具になっている。誰にでも文学はできる。それで日本人の考えでは、文学はまことに気楽なもののように思われている。山に引っ込んで文筆に従事するなど、実に羨ましいことのように考えられている。福地源一郎君が不忍池のほとりに別荘を建てて、日蓮上人の脚本を書いている。

解説

思想を遺す道を勧めた直後に、その道が安易に受け取られることへ釘を刺します。批評を一本載せれば文学者だと思う風潮、文筆を気楽な隠居仕事と見る見方。福地源一郎は幕末から明治の文筆家・劇作家で、実名を挙げて風流に見える暮らしぶりを槍玉に挙げています。前の三つの遺物には資金や才能という関門がありましたが、思想には関門がない。だからこそ内村はここで別の関門を立てます。次の段でそれが何かが示されます。

この章句が説くこと

文学安易風潮批判著述

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