後世への最大遺物 / 第二回・山陽の日本外史
山陽ほどの先見のない人はそれを実行しようとして戦場の露と消えてしまったに相違ない。しかし山陽はソンナ馬鹿ではなかった。彼は彼の在世中とてもこのことのできないことを知っていたから、自身の志を『日本外史』に述べた。そこで日本の歴史を述ぶるに当っても特別に王室を保護するようには書かなかった。外家の歴史を書いてその中にはっきりといわずとも、ただ勤王家の精神をもって源平以来の外家の歴史を書いてわれわれに遺してくれた。今日の王政復古を持ち来した原動力は何であったかといえば、多くの歴史家がいうとおり山陽の『日本外史』がその一つでありしことはよくわかっている。山陽はその思想を遺して日本を復活させた。今日の王政復古前後の歴史をことごとく調べてみると山陽の功の非常に多いことがわかる。
書き下し
山陽ほどの先見のない人は、それを実行しようとして戦場の露と消えてしまったに相違ない。しかし山陽はそんな馬鹿ではなかった。彼は彼の在世中とても、このことのできないことを知っていたから、自身の志を『日本外史』に述べた。そこで日本の歴史を述ぶるに当っても、特別に王室を保護するようには書かなかった。外家の歴史を書いて、そのなかにはっきりといわずとも、ただ勤王家の精神をもって源平以来の外家の歴史を書いて、われわれに遺してくれた。今日の王政復古を持ち来した原動力は何であったかといえば、多くの歴史家がいうとおり、山陽の『日本外史』がその一つでありしことはよくわかっている。山陽はその思想を遺して日本を復活させた。今日の王政復古前後の歴史をことごとく調べてみると、山陽の功の非常に多いことがわかる。
現代語訳
山陽ほどの先見がない人なら、それを実行しようとして戦場の露と消えてしまったに違いありません。しかし山陽はそんな愚か者ではなかった。彼は自分の生きている間にはこれができないと知っていたので、自分の志を『日本外史』に述べました。ですから日本の歴史を述べるにあたっても、とくに皇室を持ち上げるようには書かなかった。武家の歴史を書き、その中ではっきりとは言わずに、ただ勤王の精神で源平以来の武家の歴史を書いて、私たちに遺してくれた。今日の王政復古をもたらした原動力は何かといえば、多くの歴史家が言うとおり、山陽の『日本外史』がその一つだったことはよく分かっています。山陽はその思想を遺して日本をよみがえらせた。今日の王政復古前後の歴史をすべて調べてみると、山陽の功績が非常に大きいことが分かります。
解説

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