後世への最大遺物 / 第二回・第三の遺物は思想である
位地がありませぬとエライ人でも志を抱いて空しく山間に終ってしまった者もたくさんあります。それゆえに事業をもって人を評することはできないことは明かなることだろうと思います。それゆえに私に事業の天才もなし、またこれをなすの位地もなし、友達もなし、社会の賛成もなかったならば、私は身を滅ぼして死んでしまい、世の中に何も遺すことはできないかという問題が起ってくる。それでもし私に金を溜めることができず、また社会は私の事業をすることを許さなければ、私はまだ一つ遺すものを持っています。何であるかというと、私の思想です。もしこの世の中において私が私の考えを実行することができなければ、私はこれを実行する精神を筆と墨とをもって紙の上に遺すことができる。
書き下し
位地がありませぬと、えらい人でも志を抱いて空しく山間に終ってしまった者もたくさんあります。それゆえに事業をもって人を評することはできないことは、明かなることだろうと思います。それゆえに私に事業の天才もなし、またこれをなすの位地もなし、友達もなし、社会の賛成もなかったならば、私は身を滅ぼして死んでしまい、世の中に何も遺すことはできないかという問題が起ってくる。それでもし私に金を溜めることができず、また社会は私の事業をすることを許さなければ、私はまだ一つ遺すものを持っています。何であるかというと、私の思想です。もしこの世の中において私が私の考えを実行することができなければ、私はこれを実行する精神を、筆と墨とをもって紙の上に遺すことができる。
現代語訳
地位がなければ、偉い人でも志を抱いたまま空しく山間に終わってしまった者がたくさんいます。ですから、事業によって人を評価することはできないのは明らかでしょう。ですから、私に事業の天分もなく、それをなす地位もなく、友もなく、社会の賛同もなかったら、私は身を滅ぼして死に、世の中に何も遺せないのか、という問題が起こります。もし私が金を溜められず、社会が私の事業を許さないとしても、私にはまだ一つ遺すものがあります。何かというと、私の思想です。もしこの世で自分の考えを実行できないなら、私はそれを実行する精神を、筆と墨で紙の上に遺すことができます。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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『墨子』貴義子墨子曰く、古の聖王、其の道を後世に傳えんと欲す。是の故に之を竹帛に書し、之を金石に鏤み、後世の子孫に傳え遺す。後世の子孫の之を法とせんことを欲すればなり。今、先王の遺を聞きて為さざるは、是れ先王の傳を廢するなり。
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『呻吟語』内篇・修身・義を見て為さず、之を眾に違ふに托す義を見て為さず、又た之を眾に違ふに托す。此れ力行する者の大戒なり。若し肯へて務實し、又た自ら名を逃れば、術無きを患へず。吾竊かに以て自ら恨む。
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『後世への最大遺物』第二回・人に頼らず天と己にたよるその考えを持ったばかりでなく、その考えを実行した。その話は長うございますけれども、ついには何万石という村々を改良して、自分の身をことごとく人のために使った。旧幕の末路にあたって、経済上、農業改良上について非常の功労のあった人であります。それでわれわれもそういう人の生涯、二宮金次郎先生のような人の生涯を見ますときに、「もしあの人にもああいうことができたならば、私にもできないことはない」という考えを起します。普通の考えではありますけれども、非常に価値のある考えであります。それで人に頼らずとも、われわれが神にたより己にたよって宇宙の法則に従えば、この世界はわれわれの望むとおりになり、この世界にわが考えを行うことができるという感覚が起ってくる。
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論語・子罕篇子曰く、之に語げて惰らざる者は、其れ回なるか。
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『講孟余話』盡心下 第八章・第九章夫れより秋田を経、津軽に入る。秋田・津軽の界は、即ち陸奥の界にして、矢立嶺と云ふを踰えて下れば津軽の碇関なり。此処にては関法も更に厳に見え、余も奇策を得ずして、銭二百孔ばかりを出して切手を受け得たり。津軽領内何れの旅舎にても切手の有無を問ひて然る後宿を許す。故に此処にて切手を受けずんば頗る窮することあるべきに、二百孔を費やして大いに幸ひを得たり。已にして其の城下弘前にて又切手を改めて受く、時に又銭を要すること前の如し。夫れより馬門関に至り切手を納め了る、此処は津軽・南部の界なり。後に是れを詳らかにするに、荘内・秋田・津軽・南部・仙台等、切手の法大同小異にて、皆関にて銭を要することなり。然れども奥羽は商賈の往来夥しき所故、商賈を待つが為めにして、士人は大抵見通しにすることと見ゆ。独り津軽最も僻遠の地に在るを以て其の法頑固なり。其の他感ずべきは米沢なり。米沢の切手は津軽に同じけれども、関吏曾て一銭を要せず、是れ真に暴を禦ぐの法なり。他藩暴を為す者と同日の論にあらず。第九章 「身道を行はざれば、妻子に行はれず。人を使ふに道を以てせざれば、妻子に行はるる能はず」、言近くして旨遠し。論弁を待たず、只実行を要するのみ。
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