後世への最大遺物 / 第一回・デビッド・リビングストン
もし私は金を溜めることができなかったならば、あるいはまた土木事業を起すことができぬならば、私はデビッド・リビングストンのような事業をしたいと思います。この人はスコットランドのグラスゴーの機屋の子でありまして、若いときからして公共事業に非常に注意しました。「どこかに私は」……デビッド・リビングストンの考えまするに……「どこかに私は一事業を起してみたい」という考えで、始めは支那に往きたいという考えでありまして、その望みをもって英国の伝道会社に訴えてみたところが、支那に遣る必要がないといって許されなかった。ついにアフリカにはいって、三十七年間己れの生命をアフリカのために差し出し、始めのうちはおもに伝道をしておりました。
書き下し
もし私は金を溜めることができなかったならば、あるいはまた土木事業を起すことができぬならば、私はデビッド・リビングストンのような事業をしたいと思います。この人はスコットランドのグラスゴーの機屋の子でありまして、若いときからして公共事業に非常に注意しました。「どこかに私は」……デビッド・リビングストンの考えまするに……「どこかに私は一事業を起してみたい」という考えで、始めは支那に往きたいという考えでありまして、その望みをもって英国の伝道会社に訴えてみたところが、支那に遣る必要がないといって許されなかった。ついにアフリカにはいって、三十七年間己れの生命をアフリカのために差し出し、始めのうちはおもに伝道をしておりました。
現代語訳
もし私が金を溜められなかったなら、あるいは土木事業を起こせないなら、私はデビッド・リビングストンのような事業をしたいと思います。この人はスコットランドのグラスゴーの織物工場の子で、若いころから公共の事業に非常に心を向けていました。どこかで自分は一つ事業を起こしてみたい、という考えで、初めは中国へ行きたいと望み、その願いを英国の伝道会社に訴えてみたところ、中国へ遣る必要はないと言われて許されませんでした。ついにアフリカに入り、三十七年間自分の命をアフリカのために差し出し、初めのうちは主に伝道をしていました。
解説
志が最初の希望どおりには通らなかった、という点にこの段の意味があります。リビングストンは中国へ行きたかったのに許されず、アフリカへ回された。そして回された先で三十七年を費やした。望んだ場所ではないところで、望んだ以上のものを遺したことになります。工場の子という出自も添えられていて、金も家柄もない人の道筋として示されている。希望が通らなかったときにどうするかという問いが、この人物の選択に込められています。
この章句が説くこと
志転向公共忍耐アフリカ
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