武士道 / 第十四章 婦人の教育と地位・母なるの故を以て跪く
これ即ち彼等がマトロナたり、母たりしが故に非ずや。戰士たり、立法家たるが故に非ず、唯だ其母なるの故を以て、羅馬人は其前に跪きたり。吾人も亦た然り。父夫の家門を去つて、戰塲に臨み、列伍に在るや、齊家保育の務は擧げて母妻の掌中に歸し、幼者の教育は固より、彼等を衞護するの任も亦た全く婦人に存したり。彼の女子の武藝の如きも、要するに其兒子を教育して過無きを得んことを旨としたるものなり。一和半解の外人往々膚淺の觀察を下し、日本人の概ね其妻を稱するに『愛妻』『愚妻』等の語を以てするは即ち女子を輕侮し、毫も之を尊重すること無きを證するものなりと云ふあり。唯だ此輩に告げて日へ、吾人は又た常に『愚父』、『豚兒』、『拙者』等の語を用ふと、他復た何ぞ辯を加ふることを須ひんや。
新字:これ即ち彼等がマトロナたり、母たりしが故に非ずや。戦士たり、立法家たるが故に非ず、唯だ其母なるの故を以て、羅馬人は其前に跪きたり。吾人も亦た然り。父夫の家門を去つて、戦塲に臨み、列伍に在るや、斉家保育の務は挙げて母妻の掌中に帰し、幼者の教育は固より、彼等を衛護するの任も亦た全く婦人に存したり。彼の女子の武芸の如きも、要するに其児子を教育して過無きを得んことを旨としたるものなり。一和半解の外人往々膚浅の観察を下し、日本人の概ね其妻を称するに『愛妻』『愚妻』等の語を以てするは即ち女子を軽侮し、毫も之を尊重すること無きを證するものなりと云ふあり。唯だ此輩に告げて日へ、吾人は又た常に『愚父』、『豚児』、『拙者』等の語を用ふと、他復た何ぞ弁を加ふることを須ひんや。
書き下し
これ即ち彼等がマトローナたり、母たりしが故に非ずや。戦士たり、立法家たるが故に非ず、ただ其母なるの故を以て、羅馬人は其前に跪きたり。吾人も亦た然り。父夫の家門を去つて戦場に臨み、列伍に在るや、斉家保育の務は挙げて母妻の掌中に帰し、幼者の教育はもとより、彼等を衛護するの任も亦た全く婦人に存したり。彼の女子の武芸の如きも、要するに其児子を教育して過無きを得んことを旨としたるものなり。一知半解の外人往々膚浅の観察を下し、日本人の概ね其妻を称するに『愛妻』『愚妻』等の語を以てするは、即ち女子を軽侮し、毫も之を尊重すること無きを証するものなりと云ふあり。ただ此輩に告げて曰へ、吾人は又た常に『愚父』『豚児』『拙者』等の語を用ふと。他また何ぞ弁を加ふることを須ひんや。
現代語訳
これはつまり彼女たちが家母であり母であったからではないでしょうか。戦士だから、立法者だからではなく、ただその母であるという理由で、ローマ人は彼女たちの前に跪きました。私たちもまた同じです。父や夫が家の門を出て戦場に臨み、隊列に加わるとき、家を整え子を育てる務めはすべて母と妻の手に帰し、幼い者の教育はもちろん、彼らを守る任務もまったく婦人にありました。あの女性の武芸なども、要するに子どもを教育して過ちがないようにすることを目的としたものです。中途半端な知識の外国人がしばしば浅い観察を下して、日本人が自分の妻を愚妻などと呼ぶのは女性を軽んじ少しも尊重していない証拠だ、と言うことがあります。ただこの人たちに告げましょう。私たちはまた常に、愚父、豚児、拙者といった語を用いる、と。それ以上、何を弁じる必要がありましょうか。
解説
この章句が説くこと
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説苑・尊賢孔子閒居して、喟然として歎じて曰く、「銅鞮伯華にして死する無くんば、天下其れ定まる有らん」と。子路曰く、「願わくは其の人と為りの何如なるかを聞かん」と。孔子曰く、「其の幼きや敏にして学を好み、其の壮んなるや勇有りて屈せず、其の老いたるや道有りて能く以て人に下る」と。子路曰く、「其の幼きや敏にして学を好むは則ち可なり、其の壮んなるや勇有りて屈せざるは則ち可なり。夫れ道有らば又誰にか下らんや」と。孔子曰く、「由よ、知らざるなり。吾之を聞く、衆を以て寡を攻めて消えざる無く、貴を以て賤に下りて得ざる無しと。昔周公旦天下の政を制するに在りて士七十人に下る、豈道無からんや。士を得んと欲するの故なり。夫れ道有りて能く天下の士に下る、君子なるかな」と。
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説苑・說叢賢を欲する者は人に下るに如くは莫く、財を貪る者は身を全うするに如くは莫し。財は義の高きに如かず、勢は德の尊きに如かず。父は無益の子を愛する能わず、君は不軌の民を愛する能わず。君は無功の臣を賞する能わず、臣は無德の君に死する能わず。善く御する者を問わば馬に如くは莫く、善く治むる者を問わば民に如くは莫し。卑を以て尊と為し、屈を以て伸と為すは、聖人の因る所、上は天に法る。
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人物志・釋爭卑讓降下は、茂進の遂ぐる路なり。矜奮侵陵は、毀塞の険しき途なり。
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説苑・貴德斉の桓公北のかた山戎氏を伐つ、其の道燕を過ぐ、燕君逆へて境を出づ、桓公管仲に問ひて曰く、「諸侯相逆ふるは固より境を出づるか」と。管仲曰く、「天子に非ざれば境を出でず」と。桓公曰く、「然らば則ち燕君畏れて礼を失へるなり、寡人不道にして燕君をして礼を失はしむ」と、乃ち燕君の至れる所の地を割きて以て燕君に与ふ。諸侯之を聞き、皆斉に朝す。詩に云く、「爾の位を靖恭し、是の正直を好めば、神之を聴き、爾に景福を介けん」と。此を之れ謂ふなり。
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説苑・尊賢魏の文侯、中山より安邑に奔命す。田子方之に従う。夫子撃(太子撃)之に過ぐるに、車を下りて趨る。子方坐乗すること故の如し。太子に告げて曰く、「我が為に君に請え、我が朝歌するを待て」と。太子説ばず、因りて子方の為に曰く、「貧窮なる者の人に驕るを識らざるか、富貴なる者の人に驕るをや」と。子方曰く、「貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや。人主人に驕りて其の国を亡ぼす、吾未だ国を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。大夫人に驕りて其の家を亡ぼす、吾未だ家を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。貧窮なる者若し意を得ずんば、履を納れて去る、安くに往くとして貧窮を得ざらんや。貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや」と。太子及び文侯、田子方の語を道う。文侯歎じて曰く、「吾が子の故に非ずんば、吾安んぞ賢人の言を聞くを得んや。吾子方に下るに行を以てし、得て之を友とせり。吾子方を友としてより、君臣益々親しみ、百姓益々附す、吾是を以て士を友とするの功を得たり。我中山を伐たんと欲するに、吾武を以て楽羊に下る、三年にして中山我に献ぜらる、我是を以て武を有つの功を得たり。吾此に少しく進む所以の者は、吾未だ智を以て我に驕る者を見ざればなり。若し智を以て我に驕る者を得ば、豈古の人に及ばざらんや」と。
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論語・雍也篇子曰く、孟之反は伐らず。奔りて殿たり。将に門に入らんとして、其の馬に策うちて曰く、『敢えて後れたるに非ず、馬進まざればなり』と。