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後世への最大遺物 / 第一回・安治川を切った人

大阪の天保山を切ったのも近ごろのことでございます。かの安治川を切った人は実に日本にとって非常な功績をなした人であると思います。安治川があるために大阪の木津川の流れを北の方に取りまして、水を速くして、それがために水害の患を取り除いてしまったばかりでなく、深い港を拵えて九州、四国から来る船をことごとくアソコに繋ぐようになったのでございます。また秀吉の時代に切った吉野川は昔は大阪の裏を流れておって人民を艱ましたのを、堺と住吉の間に開鑿しまして、それがために大和川の水害というものがなくなって、何十ヵ村という村が大阪の城の後ろにできました。これまた非常な事業です。それから有名の越後の阿賀川を切ったことでございます。

書き下し

大阪の天保山を切ったのも近ごろのことでございます。かの安治川を切った人は、実に日本にとって非常な功績をなした人であると思います。安治川があるために、大阪の木津川の流れを北の方に取りまして、水を速くして、それがために水害の患を取り除いてしまったばかりでなく、深い港を拵えて、九州、四国から来る船をことごとくあそこに繋ぐようになったのでございます。また秀吉の時代に切った吉野川は、昔は大阪の裏を流れておって人民を艱ましたのを、堺と住吉の間に開鑿しまして、それがために大和川の水害というものがなくなって、何十ヵ村という村が大阪の城の後ろにできました。これまた非常な事業です。それから有名の越後の阿賀川を切ったことでございます。

現代語訳

大阪の天保山を切ったのも近ごろのことです。あの安治川を切った人は、実に日本にとって大きな功績をなした人だと思います。安治川があるおかげで、大阪の木津川の流れを北に取り、水を速くして、それによって水害の憂いを取り除いたばかりでなく、深い港を作って、九州や四国から来る船をすべてあそこに繋ぐようになりました。また秀吉の時代に切った吉野川は、昔は大阪の裏を流れて人々を苦しめていたのを、堺と住吉の間に掘り開き、それによって大和川の水害がなくなって、何十か村という村が大阪城の後ろにできました。これもまた大変な事業です。それから有名な越後の阿賀川を切ったことがあります。

解説

箱根の兄弟に続いて、河川の付け替えが並べられます。安治川の開削は元禄十一年に河村瑞賢が行ったもので、水害を防ぎ港を開いた。なお内村はここで、堺と住吉の間を掘って大和川の水害をなくした工事を秀吉の時代としていますが、これは宝永元年の大和川付け替えで、中甚兵衛らが五十年近く嘆願を重ねて実現した工事です。人名も年代も講演の場の記憶に頼っており、事実としては読み替えが要ります。土木が後世を養うという主張そのものは、いずれの例でも変わりません。

この章句が説くこと

土木治水河川功績後世

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