後世への最大遺物 / 第一回・私はその兄弟に真似たい
ことに湖水の流れるところでありますから、旱魃ということを感じたことはございません。実にその兄弟はしあわせの人間であったと思います。もし私が何にもできないならば、私はその兄弟に真似たいと思います。これは非常な遺物です。たぶん今往ってみましたならば、その穴は長さたぶん十町かそこらの穴でありましょうが、そのころは煙硝もない、ダイナマイトもないときでございましたから、アノ穴を掘ることは実に非常なことでございましたろう。
書き下し
ことに湖水の流れるところでありますから、旱魃ということを感じたことはございません。実にその兄弟はしあわせの人間であったと思います。もし私が何にもできないならば、私はその兄弟に真似たいと思います。これは非常な遺物です。たぶん今往ってみましたならば、その穴は長さたぶん十町かそこらの穴でありましょうが、そのころは煙硝もない、ダイナマイトもないときでございましたから、あの穴を掘ることは実に非常なことでございましたろう。
現代語訳
とくに湖の水が流れるところですから、日照りを感じたことはありません。実にその兄弟は幸せな人間だったと思います。もし私に何もできないなら、私はその兄弟を真似たいと思います。これは非常な遺物です。たぶん今行ってみれば、その穴は長さ十町ほどでしょうが、当時は火薬もダイナマイトもない時代でしたから、あの穴を掘るのは実に大変なことだったでしょう。
解説
内村がこの兄弟を、偉い人ではなく幸せな人間と呼んでいることに注意したい。名も残らず、褒められもせず、一生を穴掘りに費やした二人を、内村は同情ではなく羨望の目で見ています。そして、もし自分に何もできないならこの兄弟を真似たい、と言う。金も事業の地位もない場合の最終手段として、この話が置かれているわけです。火薬もない時代にという補足は、道具の乏しさを強調して、持続だけで成し遂げられたことをもう一度確かめるためのものです。
この章句が説くこと
遺物幸福模倣持続無名
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