後世への最大遺物 / 第一回・箱根の兄弟が掘った隧道
その隧道を通って、この湖水の水が沼津の方に落ちまして、二千石乃至三千石の田地を灌漑しているということを聞きました。昨日ある友人に会うて、あの穴を掘った話を聞きました。その話を聞いたときに私は実に嬉しかった。あの穴を掘った人は今からちょうど六百年も前の人であったろうということでございますが、誰が掘ったかわからない。ただこれだけの伝説が遺っているのでございます。すなわち箱根のある近所に百姓の兄弟があって、まことに沈着であって、その兄弟が互いに相語っていうに、「われわれはこの有難き国に生まれてきて、何か後世に遺して逝かなければならぬ、それゆえに何かわれわれにできることをやろうではないか」と。しかし兄なる者はいうた。
書き下し
その隧道を通って、この湖水の水が沼津の方に落ちまして、二千石ないし三千石の田地を灌漑しているということを聞きました。昨日ある友人に会うて、あの穴を掘った話を聞きました。その話を聞いたときに私は実に嬉しかった。あの穴を掘った人は今からちょうど六百年も前の人であったろうということでございますが、誰が掘ったかわからない。ただこれだけの伝説が遺っているのでございます。すなわち箱根のある近所に百姓の兄弟があって、まことに沈着であって、その兄弟が互いに相語っていうに、「われわれはこの有難き国に生まれてきて、何か後世に遺して逝かなければならぬ、それゆえに何かわれわれにできることをやろうではないか」と。しかし兄なる者はいうた。
現代語訳
その隧道を通って、この湖の水が沼津の方へ落ち、二千石から三千石の田を潤していると聞きました。昨日ある友人に会って、あの穴を掘った話を聞きました。その話を聞いたとき、私は実に嬉しかった。あの穴を掘った人は、今からちょうど六百年も前の人だっただろうということですが、誰が掘ったかは分かりません。ただこれだけの伝説が遺っています。箱根のある近くに百姓の兄弟がいて、まことに落ち着いた人たちで、その兄弟が互いに語り合って言うには、私たちはこの有難い国に生まれてきて、何か後世に遺して逝かねばならない、だから何か自分たちにできることをやろうではないか、と。しかし兄が言いました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『後世への最大遺物』第一回・人が見ておらないときに何十年でございますか、その年は忘れましたけれども、下の方から掘ってきたものは、湖水の方から掘っていった者の四尺上に往ったそうでございます。四尺上に往きましたけれども、ご承知の通り、水は高うございますから、やはり竜吐水のように向こうの方によく落ちるのです。生涯かかって、人が見ておらないときに、後世に事業を遺そうというところの奇特の心より、二人の兄弟はこの大事業をなしました。人が見てもくれない、褒めてもくれないのに、生涯を費してこの穴を掘ったのは、それは今日にいたってもわれわれを励ます所業ではありませぬか。それから今の五ヵ村が何千石だか、どれだけ人口があるか忘れましたが、五ヵ村が頼朝時代から今日にいたるまで、年々米を取ってきました。
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『後世への最大遺物』第一回・私はその兄弟に真似たいことに湖水の流れるところでありますから、旱魃ということを感じたことはございません。実にその兄弟はしあわせの人間であったと思います。もし私が何にもできないならば、私はその兄弟に真似たいと思います。これは非常な遺物です。たぶん今往ってみましたならば、その穴は長さたぶん十町かそこらの穴でありましょうが、そのころは煙硝もない、ダイナマイトもないときでございましたから、あの穴を掘ることは実に非常なことでございましたろう。
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『後世への最大遺物』第一回・上から掘れ、おれは下から掘る「われわれのような貧乏人で、貧乏人には何も大事業を遺して逝くことはできない」というと、弟が兄に向っていうには、「この山をくり抜いて湖水の水をとり、水田を興してやったならば、それが後世への大なる遺物ではないか」というた。兄は「それは非常に面白いことだ、それではお前は上の方から掘れ、おれは下の方から掘ろう。一生涯かかってもこの穴を掘ろうじゃないか」といって掘り始めた。それでどういうふうにしてやりましたかというと、そのころは測量器械もないから、山の上に標を立てて、両方から掘っていったとみえる。それから兄弟が生涯かかって何もせずに……たぶん自分の職業になるだけの仕事はしたでございましょう……兄弟して両方からして、毎年毎年掘っていった。
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『後世への最大遺物』第一回・土木事業を遺すそれですから金を溜めて金を遺すことができないならば、あるいは神が私に事業をなす天才を与えてくださったかも知れませぬ。もしそうならば、私は金を遺すことができませぬとも、事業を遺せば充分満足します。それで事業をなすということは、美しいことであるはもちろんです。どういう事業が一番誰にもわかるかというと、土木的の事業です。私は土木学者ではありませぬけれども、土木事業を見ることが非常に好きでございます。一つの土木事業を遺すことは、実にわれわれにとっても快楽であるし、また永遠の喜びと富とを後世に遺すことではないかと思います。今日も船に乗って、湖水の向こうまで往きました。その南の方に当って水門がある。その水門というは、山の裾をくぐっている一つの隧道であります。
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『後世への最大遺物』第二回・二宮金次郎は生涯の贈物を遺した私は近世の日本の英傑、あるいは世界の英傑といってもよろしい人のお話をいたしましょう。この世界の英傑のなかに、ちょうどわれわれの留まっているこの箱根山の近所に生まれた人で、二宮金次郎という人がありました。この人の伝を読みましたときに、私は非常な感覚をもらった。それでどうも二宮金次郎先生には、私は現に負うところが実に多い。二宮金次郎氏の事業は、あまり日本にひろまってはおらぬ。それで彼のなした事業は、ことごとくこれを纏めてみましたならば、二十ヵ村か三十ヵ村の人民を救っただけに止まっていると考えます。しかしながら、この人の生涯が私を益し、それから今日日本の多くの人を益するわけは何であるかというと、何でもない、この人は事業の贈物にあらずして、生涯の贈物を遺した。
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『後世への最大遺物』はしがき・箱根の夏期学校で述べし講話この小冊子は、明治二十七年七月、相州箱根駅において開設せられしキリスト教徒第六夏期学校において述べし余の講話を、同校委員諸子の承諾を得て、ここに印刷に附せしものなり。事、キリスト教と学生とにかんすること多し、しかれども、また多少一般の人生問題を論究せざるにあらず。これけだし、余の親友、京都便利堂主人がしいてこれを発刊せしゆえなるべし。読者の寛容を待つ。明治三十年六月二十日、東京青山において。内村鑑三