後世への最大遺物 / 第一回・金よりよい遺物は事業である
さて、私のように金を溜めることの下手なもの、あるいは溜めてもそれが使えない人は、後世の遺物に何を遺そうか。私はとうてい金持ちになる望みはない、ゆえにほとんど十年前にその考えをば捨ててしまった。それでもし金を遺すことができませぬならば、何を遺そうかという実際問題が出てきます。それで私が金よりもよい遺物は何であるかと考えて見ますと、事業です。事業とは、すなわち金を使うことです。金は労力を代表するものでありますから、労力を使ってこれを事業に変じ、事業を遺して逝くことができる。金を得る力のない人で事業家はたくさんあります。金持ちと事業家は二つ別物のように見える。商売する人と金を溜める人とは人物が違うように見えます。
書き下し
さて、私のように金を溜めることの下手なもの、あるいは溜めてもそれが使えない人は、後世の遺物に何を遺そうか。私はとうてい金持ちになる望みはない、ゆえにほとんど十年前にその考えをば捨ててしまった。それでもし金を遺すことができませぬならば、何を遺そうかという実際問題が出てきます。それで私が、金よりもよい遺物は何であるかと考えて見ますと、事業です。事業とは、すなわち金を使うことです。金は労力を代表するものでありますから、労力を使ってこれを事業に変じ、事業を遺して逝くことができる。金を得る力のない人で、事業家はたくさんあります。金持ちと事業家は二つ別物のように見える。商売する人と金を溜める人とは、人物が違うように見えます。
現代語訳
さて、私のように金を溜めるのが下手な者、あるいは溜めても使えない人は、後世の遺物に何を遺そうか。私は到底金持ちになる見込みがないので、ほとんど十年前にその考えを捨ててしまいました。では金を遺せないなら何を遺すのか、という実際の問題が出てきます。そこで私が、金よりよい遺物は何かと考えてみると、事業です。事業とはつまり金を使うことです。金は労力を代表するものですから、労力を使ってそれを事業に変え、事業を遺して逝くことができる。金を得る力のない人でも、事業家はたくさんいます。金持ちと事業家は別物のように見える。商売する人と金を溜める人とは、人柄が違うように見えます。
解説
この章句が説くこと
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『後世への最大遺物』第二回・天才も位地もないときは昨晩は後世へわれわれが遺して逝くべきものについて、まず第一に金のことの話をいたし、その次に事業のお話をいたしました。ところで金を溜める天才もなし、またそれを使う天才もなし、かつまた事業の天才もなし、また事業をなすための社会の位地もないときには、われわれがこの世において何をいたしたらよろしかろうか。事業をなすにはわれわれに神から受けた特別の天才が要るばかりでなく、また社会上の位地が要る。われわれはあるときは、かの人は天才があるのに何故なんにもしないでいるかといって人を責めますけれども、それはたびたび起る酷な責め方だと思います。人は位地を得ますと、ずいぶんつまらない者でも大事業をいたすものであります。
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『後世への最大遺物』第一回・土木事業を遺すそれですから金を溜めて金を遺すことができないならば、あるいは神が私に事業をなす天才を与えてくださったかも知れませぬ。もしそうならば、私は金を遺すことができませぬとも、事業を遺せば充分満足します。それで事業をなすということは、美しいことであるはもちろんです。どういう事業が一番誰にもわかるかというと、土木的の事業です。私は土木学者ではありませぬけれども、土木事業を見ることが非常に好きでございます。一つの土木事業を遺すことは、実にわれわれにとっても快楽であるし、また永遠の喜びと富とを後世に遺すことではないかと思います。今日も船に乗って、湖水の向こうまで往きました。その南の方に当って水門がある。その水門というは、山の裾をくぐっている一つの隧道であります。
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『後世への最大遺物』第一回・第一の遺物は金である後世へわれわれの遺すもののなかに、まず第一番に大切のものがある。何であるかというと金です。われわれが死ぬときに遺産金を社会に遺して逝く、己の子供に遺して逝くばかりでなく、社会に遺して逝くということです。それは多くの人の考えにあるところではないかと思います。それでそういうことをキリスト信者の前にいいますると、金を遺すなどということは実につまらないことではないか、という反対がじきに出るだろうと思います。私は覚えております。明治十六年に初めて札幌から山男になって東京に出てきました。その時分に東京には奇体な現象があって、それを名づけてリバイバルというたのです。その時分、私は後世に何を遺さんかと思っておりしかというに、私は実業教育を受けたものであったから、もちろん金を遺したかった、億万の富を日本に遺して、日本を救ってやりたいという考えをもっておりました。
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『後世への最大遺物』第二回・金も事業も文学も最大ではないそれは実に最大遺物であります。金も実に一つの遺物でありますけれども、私はこれを最大遺物と名づけることはできない。事業も実に大遺物たるには相違ない、ほとんど最大遺物というてもようございますけれども、いまだこれを本当の最大遺物ということはできない。文学も先刻お話ししたとおり実に貴いものであって、わが思想を書いたものは実に後世への価値ある遺物と思いますけれども、私がこれをもって最大遺物ということはできない。最大遺物ということのできないわけは、一つは誰にも遺すことのできる遺物でないから、最大遺物ということはできないのではないかと思う。そればかりでなく、その結果はかならずしも害のないものではない。昨日もお話ししたとおり、金は用い方によってたいへん利益がありますけれども、用い方が悪いと、またたいへん害を来すものである。
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『後世への最大遺物』第一回・精神を籠めてすれば大きくなる実にえらい事業でございます。有名の新発田の十万石、今は日本においてたぶん富の中心点であるだろうという所でございます。これらの大事業を考えてみるときに、私の心のなかに起るところの考えは、もし金を後世に遺すことができぬならば、私は事業を遺したいとの考えです。また土木事業ばかりでなく、その他の事業でも、もしわれわれが精神を籠めてするときは、われわれの事業は、ちょうど金に利息がつき、利息に利息が加わってきて、だんだん多くなってくるように、一つの事業がだんだん大きくなって、終りには非常なる事業となります。
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『後世への最大遺物』第二回・誰にも遺すことのできる最大遺物ここにいたって、こういう問題が出てくる。文学者にもなれず、学校の先生にもなれなかったならば、それならば私は後世に何をも遺すことはできないかという問題が出てくる。何かほかに事業はないか、私もたびたびそれがために失望に陥ることがある。しからば私には何も遺すものはない。事業家にもなれず、金を溜めることもできず、本を書くこともできず、ものを教えることもできない。そうすれば私は無用の人間として、平凡の人間として消えてしまわなければならぬか。陸放翁のいったごとく「我死して骨すなわち朽ち、青史にまた名無し」と嘆じ、この悲嘆の声を発してわれわれが生涯を終るのではないかと思うて、失望の極に陥ることがある。しかれども、私はそれよりもっと大きい、今度は前の三つと違いまして、誰にも遺すことのできる最大遺物があると思う。