後世への最大遺物 / 第一回・第一の遺物は金である
後世へわれわれの遺すもののなかにまず第一番に大切のものがある。何であるかというと金です。われわれが死ぬときに遺産金を社会に遺して逝く、己の子供に遺して逝くばかりでなく、社会に遺して逝くということです、それは多くの人の考えにあるところではないかと思います。それでソウいうことをキリスト信者の前にいいますると、金を遺すなどということは実につまらないことではないかという反対がジキに出るだろうと思います。私は覚えております。明治十六年に初めて札幌から山男になって東京に出てきました。その時分に東京には奇体な現象があって、それを名づけてリバイバルというたのです。その時分私は後世に何を遺さんかと思っておりしかというに、私は実業教育を受けたものであったから、もちろん金を遺したかった、億万の富を日本に遺して、日本を救ってやりたいという考えをもっておりました。
書き下し
後世へわれわれの遺すもののなかに、まず第一番に大切のものがある。何であるかというと金です。われわれが死ぬときに遺産金を社会に遺して逝く、己の子供に遺して逝くばかりでなく、社会に遺して逝くということです。それは多くの人の考えにあるところではないかと思います。それでそういうことをキリスト信者の前にいいますると、金を遺すなどということは実につまらないことではないか、という反対がじきに出るだろうと思います。私は覚えております。明治十六年に初めて札幌から山男になって東京に出てきました。その時分に東京には奇体な現象があって、それを名づけてリバイバルというたのです。その時分、私は後世に何を遺さんかと思っておりしかというに、私は実業教育を受けたものであったから、もちろん金を遺したかった、億万の富を日本に遺して、日本を救ってやりたいという考えをもっておりました。
現代語訳
後世に私たちが遺すもののうち、まず第一に大切なものがあります。何かというと金です。死ぬときに遺産を社会に遺して逝く。自分の子供に遺すだけでなく、社会に遺して逝くということです。それは多くの人が思いつくところでしょう。ところがそれをキリスト者の前で言うと、金を遺すなどつまらないことではないか、という反対がすぐに出るでしょう。私は覚えています。明治十六年、初めて札幌から山男として東京に出てきました。そのころ東京には奇妙な現象があって、それをリバイバルと呼んでいました。そのころ私が後世に何を遺そうと思っていたかといえば、実業教育を受けた者でしたから、もちろん金を遺したかった。億万の富を日本に遺して、日本を救ってやりたいと考えていました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・微子篇柳下恵、士師と為り、三たび黜けらる。人曰く、「子未だ以て去る可からざるか。」曰く、「道を直くして人に事うれば、焉くに往くとして三たび黜けられざらん。道を枉げて人に事うれば、何ぞ必ずしも父母の邦を去らん。」
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『後世への最大遺物』第二回・誰でも文学者になれるわけではないそう申しますと、またこういう問題が出てきます。われわれは金を溜めることができず、また事業をなすことができない。それからまた、それならばといって、あなたがたがみな文学者になったらば、たぶん活版屋では喜ぶかもしれませぬけれども、社会では喜ばない。文学者の世の中にふえるということは、ただ活版屋と紙製造所を喜ばすだけで、あまり社会に益をなさないかも知れない。ゆえに、もしわれわれが文学者となることができず、またなる考えもなし、バンヤンのような思想を持っておっても、バンヤンのように綴ることができないときには、別に後世への遺物はないかという問題が起る。それは私にもたびたび起った問題であります。なるほど文学者になることは、私が前に述べましたとおりやさしいこととは思いますけれども、しかし誰でも文学者になるということは、実は望むべからざることであります。
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『学問のすゝめ』六編・国法の貴きを論ず・敵討ちと敵討ちとにてはてしもあらずかくありてこそはじめて真の義士とも称すべきはずなるに、かつてこの理を知らず、身は国民の地位にいながら国法の重きを顧みずしてみだりに上野介を殺したるは、国民の職分を誤り、政府の権を犯して、私に人の罪を裁決したるものと言うべし。幸いにしてその時、徳川の政府にてこの乱暴人を刑に処したればこそ無事に治まりたれども、もしもこれを免すことあらば、吉良家の一族また敵討ちとて赤穂の家来を殺すことは必定なり。しかるときはこの家来の一族、また敵討ちとて吉良の一族を攻むるならん。敵討ちと敵討ちとにて、はてしもあらず、ついに双方の一族朋友死し尽くるに至らざれば止まず。いわゆる無政無法の世の中とはこのことなるべし。私裁の国を害することかくのごとし。謹まざるべからざるなり。
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『茶の本』第五章 芸術鑑賞・社会の幹から大琴を作らんことを同時代美術の要求は、人生の重要な計画において、いかなるものにもこれを無視することはできない。今日の美術は真にわれわれに属するものである、それはわれわれみずからの反映である。これを罵倒する時は、ただ自己を罵倒するのである。今の世に美術無し、というが、これが責めを負うべき者はたれぞ。古人に対しては熱狂的に嘆賞するにもかかわらず、自己の可能性にはほとんど注意しないことは恥ずべきことである。世に認められようとして苦しむ美術家たち、冷たき軽侮の影に逡巡している疲れた人々よ。などというが、この自己本位の世の中に、われわれは彼らに対してどれほどの鼓舞激励を与えているか。過去がわれらの文化の貧弱を哀れむのも道理である。未来はわが美術の貧弱を笑うであろう。われわれは人生の美しい物を破壊することによって美術を破壊している。ねがわくは、ある大妖術者が出現して、社会の幹から、天才の手に触れて始めて鳴り渡る弦をそなえた大琴を作らんことを祈る。
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