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後世への最大遺物 / 第一回・牧師に叱られても変えなかった

自分には明治二十七年になったら、夏期学校の講師に選ばれるという考えは、その時分にはチットもなかったのです(満場大笑)。金を遺したい、金満家になりたい、という希望を持っておったのです。ところがこのことをあるリバイバルに非常に熱心の牧師先生に話したところが、その牧師さんに私は非常に叱られました。「金を遺したい、というイクジのない、そんなものはドウにもなるから、君は福音のために働きたまえ」というて戒められた。しかし私はその決心を変更しなかった。今でも変更しない。金を遺すものを賤しめるような人はやはり金のことに賤しい人であります、吝嗇な人であります。金というものは、ここで金の価値について長い講釈をするには及びませぬけれども、しかしながら金というものの必要は、あなたがた十分に認めておいでなさるだろうと思います。

書き下し

自分には明治二十七年になったら、夏期学校の講師に選ばれるという考えは、その時分にはちっともなかったのです。金を遺したい、金満家になりたい、という希望を持っておったのです。ところがこのことを、あるリバイバルに非常に熱心の牧師先生に話したところが、その牧師さんに私は非常に叱られました。「金を遺したい、というイクジのない、そんなものはどうにもなるから、君は福音のために働きたまえ」というて戒められた。しかし私はその決心を変更しなかった。今でも変更しない。金を遺すものを賤しめるような人は、やはり金のことに賤しい人であります、吝嗇な人であります。金というものは、ここで金の価値について長い講釈をするには及びませぬけれども、しかしながら金というものの必要は、あなたがた十分に認めておいでなさるだろうと思います。

現代語訳

自分が明治二十七年になったら夏期学校の講師に選ばれるなどとは、そのころ少しも思っていませんでした。金を遺したい、金持ちになりたいという望みを持っていたのです。ところがこのことを、リバイバルに大変熱心なある牧師に話したところ、その牧師にひどく叱られました。金を遺したいなどとは意気地がない、そんなものはどうにでもなるから、君は福音のために働きたまえ、と戒められた。しかし私はその決心を変えませんでした。今でも変えません。金を遺す者を賤しめるような人は、やはり金のことで賤しい人であり、けちな人です。金というものについて、ここで長く講釈するには及びませんが、金の必要は、皆さん十分に認めておられるでしょう。

解説

叱られても変えなかった、という一点がこの段の骨です。しかも十一年後の今も変えていないと重ねる。内村がここで放つ反論は鋭く、金を遺す者を賤しめる人は金のことで賤しい人だ、と言います。金を汚いものとして遠ざける態度そのものが、金に囚われている証拠だという指摘です。志の高さを金を扱わないことで示そうとする人への、痛烈な当てこすりでもあります。理想を語る場ほど金の話が軽んじられるという事情は、今も変わりません。

この章句が説くこと

吝嗇決心反論福音

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