後世への最大遺物 / 第一回・そんなら今拵えてみたまえ
金は宇宙のものであるから、金というものはいつでもできるものだという人に向って、フランクリンは答えて「そんなら今拵えてみたまえ」と申しました。それで私に金などは要らないというた牧師先生はドウいう人であったかというに、後で聞いてみると、やはりずいぶん金を欲しがっている人だそうです。それで金というものは、いつでも得られるものであるということは、われわれが始終持っている考えでございますけれども、実際金の要るときになってから金というものは得るに非常にむずかしいものです。そうしてあるときは富というものは、どこでも得られるように、空中にでも懸っているもののように思いますけれども、その富を一つに集めることのできるものは、これは非常に神の助けを受くる人でなければできないことであります。
書き下し
金は宇宙のものであるから、金というものはいつでもできるものだという人に向って、フランクリンは答えて「そんなら今拵えてみたまえ」と申しました。それで私に金などは要らないというた牧師先生はどういう人であったかというに、後で聞いてみると、やはりずいぶん金を欲しがっている人だそうです。それで金というものは、いつでも得られるものであるということは、われわれが始終持っている考えでございますけれども、実際、金の要るときになってから、金というものは得るに非常にむずかしいものです。そうしてあるときは富というものは、どこでも得られるように、空中にでも懸っているもののように思いますけれども、その富を一つに集めることのできるものは、これは非常に神の助けを受くる人でなければできないことであります。
現代語訳
金は世の中にあるものだから、金などいつでも作れると言う人に向かって、フランクリンは、それなら今作ってみたまえ、と答えました。ところで、私に金など要らないと言ったあの牧師はどういう人だったかというと、あとで聞いてみれば、やはりずいぶん金を欲しがっている人だそうです。金はいつでも手に入るものだ、という考えを私たちは始終持っていますが、実際に金が要るときになってみると、金は得るのが非常にむずかしいものです。ときには富がどこにでもある、空中に懸かっているもののように思えますが、その富を一つに集められるのは、よほど神の助けを受ける人でなければできないことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』貴義子墨子曰く、言、以て行いを遷すに足る者は、之を常とす。以て行いを遷すに足らざる者は、常とする勿かれ。以て行いを遷して之を常とするは、是れ口を蕩かすなり。
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『墨子』耕柱子墨子曰く、「言、以て行いを復するに足る者は、之を常とす。以て行いを舉ぐるに足らざる者は、常とする勿かれ。以て行いを舉ぐるに足らずして之を常とするは、是れ口を蕩かすなり」と。
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『正法眼蔵随聞記』巻六古人の云く、言は天下に満れども口過なく、行天下に遍けれども怨害なしと、是れ即ち云べき所を云ひ、行ふべき事を行ふ故なり、是れは至徳要道の言行なり、世間の言行も、私曲を以てはからひ行ふは、おそらくは過のみあらん、納子の言行は先證是れ定れり、私曲を存ずべからず、仏祖行じ来れる道なり、
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『塩鉄論』能言篇大夫曰く、盲者は口に能く白黑を言うも、目の以て之を別つ無し。儒者は口に能く治亂を言うも、能く以て之を行う無し。夫れ坐して言いて行わざれば、則ち牧童も烏獲の力を兼ね、蓬頭も堯・舜の德を苞まん。故に言をして近からしめば、則ち儒者何ぞ治亂を患えん、而して盲人何ぞ白黑を患えんや。言の出ださざるは、躬の逮ばざるを恥ずればなり。故に卑くして高きを言い、能く言いて能く行わざる者は、君子之を恥ず。
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説苑・說叢君子の言は寡くして實あり、小人の言は多くして虛あり。君子の學や、耳に入り、心に藏し、之を行うに身を以てす。君子の治や、見るに足らざるに始まり、及ぶべからざるに終わる。君子は福を慮ること及ばず、禍を慮ること之を百にす。君子は人を擇びて取り、人を擇ばずして與う。君子は實なること虛の如く、有ること無きが如し。
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易経・繋辞上子曰く、「君子其の室に居りて、其の言を出だすに、善なれば則ち千里の外も之に応ず。況んや其の邇(ちか)き者をや。其の室に居りて、其の言を出だすに善ならざれば、則ち千里の外も之に違(たが)う。況んや其の邇き者をや。言は身より出でて、民に加わり、行いは邇きより発して、遠きに見(あら)わる。言行は君子の枢機(すうき)なり。枢機の発するは、栄辱の主なり。言行は、君子の天地を動かす所以なり。慎まざるべけんや」と。