茶の本 / 第五章 芸術鑑賞・社会の幹から大琴を作らんことを
同時代美術の要求は、人生の重要な計画において、いかなるものにもこれを無視することはできない。今日の美術は真にわれわれに属するものである、それはわれわれみずからの反映である。これを罵倒する時は、ただ自己を罵倒するのである。今の世に美術無し、というが、これが責めを負うべき者はたれぞ。古人に対しては、熱狂的に嘆賞するにもかかわらず、自己の可能性にはほとんど注意しないことは恥ずべきことである。世に認められようとして苦しむ美術家たち、冷たき軽侮の影に逡巡している疲れた人々よ! などというが、この自己本位の世の中に、われわれは彼らに対してどれほどの鼓舞激励を与えているか。過去がわれらの文化の貧弱を哀れむのも道理である。未来はわが美術の貧弱を笑うであろう。われわれは人生の美しい物を破壊することによって美術を破壊している。ねがわくは、ある大妖術者が出現して、社会の幹から、天才の手に触れて始めて鳴り渡る弦をそなえた大琴を作らんことを祈る。
書き下し
同時代美術の要求は、人生の重要な計画において、いかなるものにもこれを無視することはできない。今日の美術は真にわれわれに属するものである、それはわれわれみずからの反映である。これを罵倒する時は、ただ自己を罵倒するのである。今の世に美術無し、というが、これが責めを負うべき者はたれぞ。古人に対しては熱狂的に嘆賞するにもかかわらず、自己の可能性にはほとんど注意しないことは恥ずべきことである。世に認められようとして苦しむ美術家たち、冷たき軽侮の影に逡巡している疲れた人々よ。などというが、この自己本位の世の中に、われわれは彼らに対してどれほどの鼓舞激励を与えているか。過去がわれらの文化の貧弱を哀れむのも道理である。未来はわが美術の貧弱を笑うであろう。われわれは人生の美しい物を破壊することによって美術を破壊している。ねがわくは、ある大妖術者が出現して、社会の幹から、天才の手に触れて始めて鳴り渡る弦をそなえた大琴を作らんことを祈る。
現代語訳
同時代の美術の求めは、人生の重要な計画において、何をもってしても無視できません。今日の美術は真に私たちのものであり、私たち自身の映しです。これを罵倒するときは、ただ自分を罵倒しているのです。今の世に美術はないと言いますが、その責めを負うべきは誰でしょうか。古人に対しては熱狂的に感嘆するのに、自分たちの可能性にはほとんど注意しないのは恥ずべきことです。世に認められようとして苦しむ美術家たち、冷たい侮りの影でためらっている疲れた人々よ、などと言いますが、この自己本位の世の中で、私たちは彼らにどれほどの励ましを与えているでしょうか。過去が私たちの文化の貧しさを哀れむのも道理です。未来は私たちの美術の貧しさを笑うでしょう。私たちは人生の美しいものを破壊することによって、美術を破壊しているのです。願うのは、ある大いなる妖術者が現れて、社会の幹から、天才の手が触れて初めて鳴り渡る弦を備えた大琴を作ってくれることです。
解説

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