後世への最大遺物 / 第一回・何か一つ事業を成し遂げて
われわれが死ぬまでにはこの世の中を少しなりとも善くして死にたいではありませんか。何か一つ事業を成し遂げて、できるならばわれわれの生まれたときよりもこの日本を少しなりともよくして逝きたいではありませんか。この点についてはわれわれ皆々同意であろうと思います。
書き下し
われわれが死ぬまでには、この世の中を少しなりとも善くして死にたいではありませんか。何か一つ事業を成し遂げて、できるならば、われわれの生まれたときよりも、この日本を少しなりともよくして逝きたいではありませんか。この点については、われわれ皆々同意であろうと思います。
現代語訳
私たちが死ぬまでには、この世を少しでも善くして死にたいではありませんか。何か一つ事業を成し遂げて、できるなら、自分が生まれたときよりもこの日本を少しでもよくして逝きたいではありませんか。この点については、私たちは皆同意でしょう。
解説
ここまでの議論を三行に畳んで、聞き手の同意を取り付ける段です。ハーシェルの言葉は世界に向けられていましたが、内村はそれをこの日本をと言い換え、自分たちの持ち場に引き寄せます。そして皆々同意であろうと確認して、話を次へ進める。この同意が取れたからこそ、では何を遺すのかという各論に入れるわけで、講演の構成としてはここが第一の節目です。目標を掲げる前に、目標に同意できているかを確かめる手順が踏まれています。
この章句が説くこと
事業日本合意目標改善
関連する章句
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『後世への最大遺物』第一回・生まれたときより世を善くして往くしかるに今われわれは、世界というこの学校を去りまするときに、われわれは何もここに遺さずに往くのでございますか。その点からいうと、やはり私には、千載青史に列するを得んという望みが残っている。私は何かこの地球に Memento を置いて逝きたい、私がこの地球を愛した証拠を置いて逝きたい、私が同胞を愛した記念碑を置いて逝きたい。それゆえに、お互いにここに生まれてきた以上は、われわれが喜ばしい国に往くかも知れませぬけれども、しかしわれわれがこの世の中にあるあいだは、少しなりともこの世の中を善くして往きたいです。この世の中にわれわれの Memento を遺して逝きたいです。有名なる天文学者のハーシェルが二十歳ばかりのときに、彼の友人に語って「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより、世の中を少しなりともよくして往こうではないか」といった。
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『後世への最大遺物』第一回・地球に記念を遺したいしかしながら、私にここに一つの希望がある。この世の中をずっと通り過ぎて安らかに天国に往き、私の予備学校を卒業して天国なる大学校にはいってしまったならば、それでたくさんかと己れの心に問うてみると、そのときに私の心に清い欲が一つ起ってくる。すなわち、私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起ってくる。どうぞ私は、死んでからただに天国に往くばかりでなく、私はここに一つの何かを遺して往きたい。それで、何もかならずしも後世の人が私を褒めたててくれというのではない、私の名誉を遺したいというのではない、ただ私がどれほどこの地球を愛し、どれだけこの世界を愛し、どれだけ私の同胞を思ったかという記念物を、この世に置いて往きたいのである。すなわち英語でいう Memento を残したいのである。
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『後世への最大遺物』第一回・何を置いて逝くかそれでこの次は遺物のことです。何を置いて逝こう、という問題です。何を置いてわれわれがこの愛する地球を去ろうかというのです。そのことについて私も考えた、考えたばかりでなく、たびたびやってみた。何か遺したい希望があって、これを遺そうと思いました。それで後世への遺物もたくさんあるだろうと思います。それを一々お話しすることはできないことでございます。けれども、このなかに第一番にわれわれの思考に浮ぶものからお話しをいたしたいと思います。
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『後世への最大遺物』第一回・ハーシェルは南天の星を描いた実に美しい青年の希望ではありませんか。「この世の中を、私が死ぬときは、私の生まれたときよりは少しなりともよくして逝こうじゃないか」と。ハーシェルの伝記を読んでごらんなさい。彼はこの世の中を非常によくして逝った人であります。今まで知られない天体を全く描いて逝った人であります。南半球の星を、何年間かアフリカの希望峰植民地に行きまして、すっかり図に載せましたゆえに、今日の天文学者の知識はハーシェルによってどれだけ利益を得たか知れない。それがために航海が開け、商業が開け、人類が進歩し、ついには宣教師を外国にやることができ、キリスト教伝播の直接間接の助けにどれだけなったか知れませぬ。われわれもハーシェルと同じに、互いにみな希望 Ambition を遂げとうはございませぬか。
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『後世への最大遺物』第二回・誰にも遺すことのできる最大遺物ここにいたって、こういう問題が出てくる。文学者にもなれず、学校の先生にもなれなかったならば、それならば私は後世に何をも遺すことはできないかという問題が出てくる。何かほかに事業はないか、私もたびたびそれがために失望に陥ることがある。しからば私には何も遺すものはない。事業家にもなれず、金を溜めることもできず、本を書くこともできず、ものを教えることもできない。そうすれば私は無用の人間として、平凡の人間として消えてしまわなければならぬか。陸放翁のいったごとく「我死して骨すなわち朽ち、青史にまた名無し」と嘆じ、この悲嘆の声を発してわれわれが生涯を終るのではないかと思うて、失望の極に陥ることがある。しかれども、私はそれよりもっと大きい、今度は前の三つと違いまして、誰にも遺すことのできる最大遺物があると思う。
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『後世への最大遺物』第一回・土木事業を遺すそれですから金を溜めて金を遺すことができないならば、あるいは神が私に事業をなす天才を与えてくださったかも知れませぬ。もしそうならば、私は金を遺すことができませぬとも、事業を遺せば充分満足します。それで事業をなすということは、美しいことであるはもちろんです。どういう事業が一番誰にもわかるかというと、土木的の事業です。私は土木学者ではありませぬけれども、土木事業を見ることが非常に好きでございます。一つの土木事業を遺すことは、実にわれわれにとっても快楽であるし、また永遠の喜びと富とを後世に遺すことではないかと思います。今日も船に乗って、湖水の向こうまで往きました。その南の方に当って水門がある。その水門というは、山の裾をくぐっている一つの隧道であります。