師導古典を学びたいすべての人に

後世への最大遺物 / 第一回・卒業式に植えた一本の木

こういう考えは美しい考えであります。私がアメリカにおりましたときにも、その考えがたびたび私の心に起りました。私は私の卒業した米国の大学校を去るときに、同志とともに卒業式の当日に愛樹を一本校内に植えてきた。これは私が四年も育てられた私の学校に私の愛情を遺しておきたいためであった。なかには私の同級生で、金のあった人はそればかりでは満足しないで、あるいは学校に音楽堂を寄附するもあり、あるいは書籍館を寄附するもあり、あるいは運動場を寄附するもありました。

書き下し

こういう考えは美しい考えであります。私がアメリカにおりましたときにも、その考えがたびたび私の心に起りました。私は、私の卒業した米国の大学校を去るときに、同志とともに卒業式の当日に愛樹を一本、校内に植えてきた。これは私が四年も育てられた私の学校に、私の愛情を遺しておきたいためであった。なかには私の同級生で、金のあった人はそればかりでは満足しないで、あるいは学校に音楽堂を寄附するもあり、あるいは書籍館を寄附するもあり、あるいは運動場を寄附するもありました。

現代語訳

こういう考えは美しい考えです。私がアメリカにいたときにも、たびたび心に起こりました。卒業した米国の大学を去るとき、私は同志とともに卒業式の当日、記念の木を一本、校内に植えてきました。四年間育ててもらった学校に、自分の愛情を遺しておきたかったからです。同級生の中には、金のある人がそれだけでは満足せず、学校に音楽堂を寄付する者、図書館を寄付する者、運動場を寄付する者もありました。

解説

記念の品の実例が、自分の体験から出てきます。内村が植えたのは木一本、同級生が寄付したのは音楽堂や図書館。規模はまるで違いますが、内村はここで自分の木を卑下しません。前段で名誉ではなく愛した証拠だと定義したので、大きさは問題にならないからです。ただし次の段で話は、では世界という学校を去るときは何を遺すのかへ広がるので、この木は問いを大きくするための踏み台でもあります。身近な小さい例から、生涯という大きな話へ上がっていく運びに注意したいところです。

この章句が説くこと

記念学校愛情寄付感謝

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる