後世への最大遺物 / 第一回・この生涯は予備校である
しかしながらある意味からいいますれば、千載青史に列するを得んという考えは、私はそんなに悪い考えではない、ないばかりでなくそれは本当の意味にとってみまするならば、キリスト教信者が持ってもよい考えでございまして、それはキリスト信者が持つべき考えではないかと思います、なお、われわれの生涯の解釈から申しますると、この生涯はわれわれが未来に往く階段である。ちょうど大学校にはいる前の予備校である。もしわれわれの生涯がわずかこの五十年で消えてしまうものならば実につまらぬものである。私は未来永遠に私を準備するためにこの世の中に来て、私の流すところの涙も、私の心を喜ばしむるところの喜びも、喜怒哀楽のこの変化というものは、私の霊魂をだんだんと作り上げて、ついに私は死なない人間となってこの世を去ってから、もっと清い生涯をいつまでも送らんとするは、私の持っている確信でございます。しかしながらそのことは純粋なる宗教問題でございまして、それは私の今晩あなたがたにお話をいたしたいことではございません。
書き下し
しかしながら、ある意味からいいますれば、千載青史に列するを得んという考えは、私はそんなに悪い考えではない、ないばかりでなく、それは本当の意味にとってみまするならば、キリスト教信者が持ってもよい考えでございまして、それはキリスト信者が持つべき考えではないかと思います。なお、われわれの生涯の解釈から申しますると、この生涯は、われわれが未来に往く階段である。ちょうど大学校にはいる前の予備校である。もしわれわれの生涯が、わずかこの五十年で消えてしまうものならば、実につまらぬものである。私は未来永遠に私を準備するためにこの世の中に来て、私の流すところの涙も、私の心を喜ばしむるところの喜びも、喜怒哀楽のこの変化というものは、私の霊魂をだんだんと作り上げて、ついに私は死なない人間となってこの世を去ってから、もっと清い生涯をいつまでも送らんとするは、私の持っている確信でございます。しかしながら、そのことは純粋なる宗教問題でございまして、それは私の今晩あなたがたにお話をいたしたいことではございません。
現代語訳
しかしある意味では、千年の歴史に名を連ねたいという考えは、そんなに悪い考えではない。悪くないばかりか、本当の意味にとるなら、キリスト者が持ってよい考えであり、むしろ持つべき考えではないかと思います。さらに私たちの生涯の解釈から言えば、この一生は、未来へ行くための階段です。ちょうど大学に入る前の予備校のようなものです。もし私たちの生涯がこのわずか五十年で消えてしまうなら、実につまらないものです。私は永遠の未来に備えるためにこの世に来た。流す涙も、心を喜ばせる喜びも、この喜怒哀楽の変化は、私の魂を少しずつ作り上げていく。そしてついに死なない人間となって世を去ってから、もっと清い生涯をいつまでも送る。これが私の確信です。けれどもそれは純粋な宗教の問題で、今晩お話ししたいことではありません。
解説
この章句が説くこと
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『後世への最大遺物』第一回・千載青史に列するを得ん私のようにこんなに弱いもので、子供のときから身体が弱うございましたが、こういうような弱い身体であって、別に社会に立つ位置もなし、また私を社会に引っ張ってくれる電信線もございませぬけれども、どうぞ私も一人の歴史的の人間になって、そうして千載青史に列するを得るくらいの人間になりたいという心が、やはり私にも起ったのでございます。その欲望はけっして悪い欲望とは思っていませぬ。私がそのことを父に話し、友達に話したときに、彼らはたいへん喜んだ。「汝にそれほどの希望があったならば、汝の生涯はまことに頼もしい」といって喜んでくれました。ところが不意にキリスト教に接し、通常この国において説かれましたキリスト教の教えを受けたときには、青年のときに持ったところの、千載青史に列するを得んというこの欲望が、大分なくなってきました。
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『後世への最大遺物』第一回・清いがつまらない生涯それで何となく厭世的の考えが起ってきた。すなわち、人間が千載青史に列するを得んというのは、まことにこれは肉欲的、不信者的、ヒーゼン的の考えである、クリスチャンなどは功名を欲することはなすべからざることである、われわれは後世に名を伝えるとかいうことは、根こそぎ取ってしまわなければならぬ、というような考えが出てきました。それゆえに私の生涯は、実に前の生涯より清い生涯になったかも知れませぬ。けれども前のよりは、つまらない生涯になった。まあどうか、なるだけ罪を犯さないように、なるだけ神に逆らって汚らわしいことをしないように、ただただ立派にこの生涯を終って、キリストによって天国に救われて、未来永遠の喜びを得んと欲する考えが起ってきました。
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『後世への最大遺物』第一回・地球に記念を遺したいしかしながら、私にここに一つの希望がある。この世の中をずっと通り過ぎて安らかに天国に往き、私の予備学校を卒業して天国なる大学校にはいってしまったならば、それでたくさんかと己れの心に問うてみると、そのときに私の心に清い欲が一つ起ってくる。すなわち、私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起ってくる。どうぞ私は、死んでからただに天国に往くばかりでなく、私はここに一つの何かを遺して往きたい。それで、何もかならずしも後世の人が私を褒めたててくれというのではない、私の名誉を遺したいというのではない、ただ私がどれほどこの地球を愛し、どれだけこの世界を愛し、どれだけ私の同胞を思ったかという記念物を、この世に置いて往きたいのである。すなわち英語でいう Memento を残したいのである。
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『後世への最大遺物』第二回・誰にも遺すことのできる最大遺物ここにいたって、こういう問題が出てくる。文学者にもなれず、学校の先生にもなれなかったならば、それならば私は後世に何をも遺すことはできないかという問題が出てくる。何かほかに事業はないか、私もたびたびそれがために失望に陥ることがある。しからば私には何も遺すものはない。事業家にもなれず、金を溜めることもできず、本を書くこともできず、ものを教えることもできない。そうすれば私は無用の人間として、平凡の人間として消えてしまわなければならぬか。陸放翁のいったごとく「我死して骨すなわち朽ち、青史にまた名無し」と嘆じ、この悲嘆の声を発してわれわれが生涯を終るのではないかと思うて、失望の極に陥ることがある。しかれども、私はそれよりもっと大きい、今度は前の三つと違いまして、誰にも遺すことのできる最大遺物があると思う。
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『後世への最大遺物』第一回・ピラミッドを作った王私は諸君たちも、そういうような考えにどこかで出会ったことはないことはないだろうと思います。なるほど、千載青史に列するを得んということは、考えのいたしようによっては、まことに下等なる考えであるかも知れませぬ。われわれが名をこの世の中に遺したいというのでございます。この一代のわずかの生涯を終って、そのあとは後世の人にわれわれの名を褒め立ててもらいたいという考え、それはなるほど、ある意味からいいますると、私どもにとっては持ってはならない考えであると思います。ちょうどエジプトの昔の王様が、己れの名が万世に伝わるようにと思うてピラミッドを作った、すなわち世の中の人に、彼は国の王であったということを知らしむるために、万民の労力を使役して大きなピラミッドを作ったというようなことは、実にキリスト信者としては持つべからざる考えだと思われます。
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『後世への最大遺物』第二回・勇ましい高尚なる生涯それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに、人間が後世に遺すことのできる、そうしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば、勇ましい高尚なる生涯であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う。他の遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないと思います。しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここで申すまでもなく、諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。すなわち、この世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。