後世への最大遺物 / 第一回・ピラミッドを作った王
私は諸君たちもソウいうような考えにどこかで出会ったことはないことはないだろうと思います。なるほど千載青史に列するを得んということは、考えのいたしようによってはまことに下等なる考えであるかも知れませぬ。われわれが名をこの世の中に遺したいというのでございます。この一代のわずかの生涯を終ってそのあとは後世の人にわれわれの名を褒め立ってもらいたいという考え、それはなるほどある意味からいいますると私どもにとっては持ってはならない考えであると思います。ちょうどエジプトの昔の王様が己れの名が万世に伝わるようにと思うてピラミッドを作った、すなわち世の中の人に彼は国の王であったということを知らしむるために万民の労力を使役して大きなピラミッドを作ったというようなことは、実にキリスト信者としては持つべからざる考えだと思われます。
書き下し
私は諸君たちも、そういうような考えにどこかで出会ったことはないことはないだろうと思います。なるほど、千載青史に列するを得んということは、考えのいたしようによっては、まことに下等なる考えであるかも知れませぬ。われわれが名をこの世の中に遺したいというのでございます。この一代のわずかの生涯を終って、そのあとは後世の人にわれわれの名を褒め立ててもらいたいという考え、それはなるほど、ある意味からいいますると、私どもにとっては持ってはならない考えであると思います。ちょうどエジプトの昔の王様が、己れの名が万世に伝わるようにと思うてピラミッドを作った、すなわち世の中の人に、彼は国の王であったということを知らしむるために、万民の労力を使役して大きなピラミッドを作ったというようなことは、実にキリスト信者としては持つべからざる考えだと思われます。
現代語訳
皆さんもそういう考えにどこかで出会ったことがないわけではないでしょう。たしかに、千年の歴史に名を連ねたいというのは、考えようによっては実に下等な考えかもしれません。自分の名をこの世に遺したいというのですから。この一代のわずかな生涯を終えたあと、後世の人に自分の名を褒め立ててもらいたいという考えは、ある意味では、私たちが持ってはならない考えだと思います。ちょうどエジプトの昔の王が、自分の名が万代に伝わるようにと思ってピラミッドを作った、つまり、彼が国の王であったことを世の人に知らせるために、万民の労力を使ってあの大きなピラミッドを作った。そういうことは、キリスト者としては実に持ってはならない考えだと思われます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』非攻下則ち夫の攻伐を好むの君、又た其の説を飾りて曰く、我れ金玉子女壤地を以て足らずと為すに非ざるなり。我れ義の名を以て天下に立て、徳を以て諸侯を來さんと欲するなり、と。子墨子曰く、今、若し能く義の名を以て天下に立て、徳を以て諸侯を來す者有らば、天下の服すること立ちどころに待つ可きなり。夫れ天下、攻伐に處ること久し。譬うるに猶お傅子の馬を為るが然り。
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『墨子』非命下是の故に子墨子曰く、今、天下の君子の文章を為り言談を出だすは、将に其の頰舌を勤勞し、其の唇呡を利せんとするに非ざるなり。中に實に将に其の國家邑里萬民の刑政を為さんと欲する者なり。今や王公大人の早く朝し晏く退き、獄を聴き政を治め、終朝、均しく分かちて敢えて怠倦せざる所以の者は、何ぞや。曰く、彼れ以為えらく强ければ必ず治まり、强からざれば必ず亂れ、强ければ必ず寕く、强からざれば必ず危うしと。故に敢えて怠倦せず。
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論語・憲問篇微生畝、孔子に謂いて曰く、「丘、何為れぞ是れ栖栖たる者ぞ。乃ち佞を為すこと無からんや。」孔子曰く、「敢えて佞を為すに非ざるなり、固を疾むなり。」
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『墨子』兼愛下且つ惟だ泰誓のみ然りと為すにあらず、禹誓と雖も即ち亦た猶お是のごときなり。禹曰く、「濟濟たる有衆、咸な朕が言を聴け。惟だ小子のみ敢えて亂を稱するを行うに非ず。蠢たる茲の有苗、天の罰を用う。若し予れ既に爾の羣を率い、羣諸に對して以て有苗を征せん」と。禹の有苗を征するや、富貴を重ね、福禄を干め、耳目を樂しましむるを求むるに非ざるなり。以て天下の利を興し、天下の害を除かんことを求むるなり。即ち此れ禹の兼なり。子墨子の謂う所の兼なる者と雖も、禹に於て求めたり。
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司馬法・嚴位凡そ人は、愛に死し、怒りに死し、威に死し、義に死し、利に死す。
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『墨子』耕柱巫馬子、子墨子に謂いて曰く、「子は天下を兼愛するも、未だ利ありと云わず。我れは天下を愛せざるも、未だ賊すと云わず。功、皆な未だ至らざるに、子、何ぞ獨り自ら是として我を非とするや」と。子墨子曰く、「今、此に燎ゆる者有り。一人は水を奉じて将に之に灌がんとし、一人は火を摻りて将に之を益さんとす。功、皆な未だ至らざるも、子、何れをか二人に貴ばん」と。巫馬子曰く、「我れは彼の水を奉ずる者の意を是とし、夫の火を摻る者の意を非とす」と。子曰く、「吾れも亦た吾が意を是とし、子の意を非とするなり」と。