後世への最大遺物 / 第一回・天下之糸平の碑
有名な天下の糸平が死ぬときの遺言は「己れのために絶大の墓を立てろ」ということであったそうだ。そうしてその墓には天下の糸平と誰か日本の有名なる人に書いてもらえと遺言した。それで諸君が東京の牛の御前に往ってごらんなさると立派な花崗石で伊藤博文さんが書いた「天下之糸平」という碑が建っております。それは、その千載にまで天下の糸平をこの世の中に伝えよというた糸平の考えは、私はクリスチャン的の考えではなかろうと思います。またそういう例がほかにもたくさんある。このあいだアメリカのある新聞で見ましたに、ある貴婦人で大金持の寡婦が、「私はドウゾ死んだ後に私の名を国人に覚えてもらいたい、しかし自分の持っている金を学校に寄附するとかあるいは病院に寄附するとかいうことは普通の人のなすところなれば、私は世界中にないところの大なる墓を作ってみたい、そうして千載に記憶されたい」という希望を起した。
書き下し
有名な天下の糸平が死ぬときの遺言は「己れのために絶大の墓を立てろ」ということであったそうだ。そうしてその墓には「天下の糸平」と、誰か日本の有名なる人に書いてもらえと遺言した。それで諸君が東京の牛の御前に往ってごらんなさると、立派な花崗石で伊藤博文さんが書いた「天下之糸平」という碑が建っております。それは、その千載にまで天下の糸平をこの世の中に伝えよというた糸平の考えは、私はクリスチャン的の考えではなかろうと思います。またそういう例がほかにもたくさんある。このあいだアメリカのある新聞で見ましたに、ある貴婦人で大金持の寡婦が、「私はどうぞ死んだ後に私の名を国人に覚えてもらいたい、しかし自分の持っている金を学校に寄附するとか、あるいは病院に寄附するとかいうことは普通の人のなすところなれば、私は世界中にないところの大なる墓を作ってみたい、そうして千載に記憶されたい」という希望を起した。
現代語訳
有名な天下の糸平が死ぬときの遺言は、自分のために絶大な墓を立てろということだったそうです。しかもその墓には天下の糸平と、日本の有名な人に書いてもらえと遺言した。それで皆さんが東京の牛の御前へ行ってご覧になると、立派な花崗岩に伊藤博文さんが書いた天下之糸平という碑が建っています。千年のちまで天下の糸平を世に伝えよという彼の考えは、私はキリスト者的な考えではないと思います。そういう例はほかにもたくさんあります。先日アメリカのある新聞で見たのですが、ある大金持ちの未亡人が、どうか死んだ後に自分の名を国民に覚えていてもらいたい、しかし自分の金を学校や病院に寄付するのは普通の人のすることだから、私は世界中にない大きな墓を作ってみたい、そうして千年記憶されたい、という望みを起こしました。
解説
この章句が説くこと
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『後世への最大遺物』第一回・ピラミッドを作った王私は諸君たちも、そういうような考えにどこかで出会ったことはないことはないだろうと思います。なるほど、千載青史に列するを得んということは、考えのいたしようによっては、まことに下等なる考えであるかも知れませぬ。われわれが名をこの世の中に遺したいというのでございます。この一代のわずかの生涯を終って、そのあとは後世の人にわれわれの名を褒め立ててもらいたいという考え、それはなるほど、ある意味からいいますると、私どもにとっては持ってはならない考えであると思います。ちょうどエジプトの昔の王様が、己れの名が万世に伝わるようにと思うてピラミッドを作った、すなわち世の中の人に、彼は国の王であったということを知らしむるために、万民の労力を使役して大きなピラミッドを作ったというようなことは、実にキリスト信者としては持つべからざる考えだと思われます。
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『後世への最大遺物』第一回・第一の遺物は金である後世へわれわれの遺すもののなかに、まず第一番に大切のものがある。何であるかというと金です。われわれが死ぬときに遺産金を社会に遺して逝く、己の子供に遺して逝くばかりでなく、社会に遺して逝くということです。それは多くの人の考えにあるところではないかと思います。それでそういうことをキリスト信者の前にいいますると、金を遺すなどということは実につまらないことではないか、という反対がじきに出るだろうと思います。私は覚えております。明治十六年に初めて札幌から山男になって東京に出てきました。その時分に東京には奇体な現象があって、それを名づけてリバイバルというたのです。その時分、私は後世に何を遺さんかと思っておりしかというに、私は実業教育を受けたものであったから、もちろん金を遺したかった、億万の富を日本に遺して、日本を救ってやりたいという考えをもっておりました。
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『後世への最大遺物』第一回・二百万ドルの墓先日その墓が成ったそうでございます。どんなに立派な墓であるかは知りませぬけれども、その計算に驚いた。二百万ドルかかったというのでございます。二百万ドルの金をかけて自分の墓を建てたのは、確かにキリスト教的の考えではございません。
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『後世への最大遺物』第二回・誰にも遺すことのできる最大遺物ここにいたって、こういう問題が出てくる。文学者にもなれず、学校の先生にもなれなかったならば、それならば私は後世に何をも遺すことはできないかという問題が出てくる。何かほかに事業はないか、私もたびたびそれがために失望に陥ることがある。しからば私には何も遺すものはない。事業家にもなれず、金を溜めることもできず、本を書くこともできず、ものを教えることもできない。そうすれば私は無用の人間として、平凡の人間として消えてしまわなければならぬか。陸放翁のいったごとく「我死して骨すなわち朽ち、青史にまた名無し」と嘆じ、この悲嘆の声を発してわれわれが生涯を終るのではないかと思うて、失望の極に陥ることがある。しかれども、私はそれよりもっと大きい、今度は前の三つと違いまして、誰にも遺すことのできる最大遺物があると思う。
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『後世への最大遺物』第一回・地球に記念を遺したいしかしながら、私にここに一つの希望がある。この世の中をずっと通り過ぎて安らかに天国に往き、私の予備学校を卒業して天国なる大学校にはいってしまったならば、それでたくさんかと己れの心に問うてみると、そのときに私の心に清い欲が一つ起ってくる。すなわち、私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起ってくる。どうぞ私は、死んでからただに天国に往くばかりでなく、私はここに一つの何かを遺して往きたい。それで、何もかならずしも後世の人が私を褒めたててくれというのではない、私の名誉を遺したいというのではない、ただ私がどれほどこの地球を愛し、どれだけこの世界を愛し、どれだけ私の同胞を思ったかという記念物を、この世に置いて往きたいのである。すなわち英語でいう Memento を残したいのである。
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『後世への最大遺物』第一回・穢ない銭は一文もないまたそういう希望を持った人は、神がその人に命じたところの考えであると思うて、十分にそのことを自から奨励されんことを望む。あるアメリカの金持ちが「私は汝にこの金を譲り渡すが、このなかに穢ない銭は一文もない」というて子供に遺産を渡したそうですが、私どもはそういう金が欲しいのです。