後世への最大遺物 / 改版に附する序・三十一年前、三十三歳の壮年
この講演は明治二十七年、すなわち日清戦争のあった年、すなわち今より三十一年前、私がまだ三十三歳の壮年であったときに、海老名弾正君司会のもとに、箱根山上、蘆の湖の畔においてなしたものであります。その年に私の娘のルツ子が生まれ、私は彼女を彼女の母とともに京都の寓居に残して箱根へ来て講演したのであります。その娘はすでに世を去り、またこの講演を一書となして初めて世に出した私の親友京都便利堂主人中村弥左衛門君もツイこのごろ世を去りました。その他この書成って以来の世の変化は非常であります。多くの人がこの書を読んで志を立てて成功したと聞きます。その内に私と同じようにキリスト信者になった者もすくなくないとのことであります。
書き下し
この講演は明治二十七年、すなわち日清戦争のあった年、すなわち今より三十一年前、私がまだ三十三歳の壮年であったときに、海老名弾正君司会のもとに、箱根山上、蘆の湖の畔においてなしたものであります。その年に私の娘のルツ子が生まれ、私は彼女を彼女の母とともに京都の寓居に残して箱根へ来て講演したのであります。その娘はすでに世を去り、またこの講演を一書となして初めて世に出した私の親友、京都便利堂主人、中村弥左衛門君も、ついこのごろ世を去りました。その他この書成って以来の世の変化は非常であります。多くの人がこの書を読んで志を立てて成功したと聞きます。その内に、私と同じようにキリスト信者になった者も少なくないとのことであります。
現代語訳
この講演は明治二十七年、日清戦争のあった年、つまり今から三十一年前、私がまだ三十三歳の働き盛りだったときに、海老名弾正君の司会のもと、箱根の山の上、芦ノ湖のほとりで行ったものです。その年に私の娘のルツ子が生まれ、私は娘を母親とともに京都の仮住まいに残して箱根へ来て講演しました。その娘はもう世を去り、この講演を一冊の本にして初めて世に出してくれた親友、京都便利堂の主人・中村弥左衛門君も、つい先ごろ世を去りました。そのほか、この本ができてからの世の変化は大変なものです。多くの人がこの本を読んで志を立て、成功したと聞きます。その中には、私と同じようにキリスト者になった人も少なくないそうです。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
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啓発録・跋嗚呼如何せん、吾身刀圭の家に生れ、賤技に局々として、吾初年の志を遂る事を不得を。然れども所業は此に在りても、所志は彼に在り候へは、後世吾心を知り吾志を憐み吾道を信ずる者あらん歟。嘉永戊申季夏橋本左内誌。
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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『大和俗訓』巻之一・為学上されども芸は末なり、道義の学は本なり。芸をひたすら好めば、必学の志をうばはれて失ふものなり。いはんや私欲のなぐさみ好みにまかするをや。いましむべし。志を立つれば、たとへば西国の人のあづまへ行かんとおもひ立ちて、日々に行くに、其間昼夜あづまへ行かんと思ふ心は、念々つねにやまず。是あづまへ行く志たつなり。かくの如くなれば、つひに志す所に行きとどかずといふ事なし。道に志すも亦かくの如くなるべし。
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『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
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『慎思録』巻之一道に志す者は、須らく誠敬以て其の志を守るべし。然らざれば則ち流蕩放荒して道を忘れ、終にも亦必ず亡びんのみ。今の学者、大率人の不善を責むるの意思常に多くして、己の不善を責むるの意思常に少なし。此れ聖賢を以て人を律し、衆人を以て己を待すと謂ふ。是を以て学を為す者の、終に己に益無き所以なり。
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論語・公冶長篇顔淵・季路侍る。子曰く、「盍ぞ各々爾の志を言わざる。」子路曰く、「願わくは車馬衣裘、朋友と共にし、之を敝るとも憾み無からん。」顔淵曰く、「願わくは善に伐ること無く、労を施すこと無からん。」子路曰く、「願わくは子の志を聞かん。」子曰く、「老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん。」