講孟余話 / 盡心下 第三十八章
抑余大罪ノ餘、永ク世ノ棄物トナル、然トモ此道ヲ負荷シテ天下後世ニ傳ント欲スルニ至テハ、敢テ辞セサル所也、是時ニ當テ中道ノ士ノ遽カニ得ヘカラサルハ古今一也、故ニ此道ヲ興スニハ、狂者ニ非レハ興スコト能ハス、此道ヲ守ルニハ、猥者ニ非サレハ守ルコト能ハス、則チ其狂猥ヲ渴望スルコト、亦豈孔孟ト異ナランヤ、且郷原ノ害、今猶古ノ如シ、其人、口ニハ孔孟程朱ヲ唱ヘ、身ニハ忠信廉潔ヲ飾リ、其吾輩ヲ視ルコト鬼蜮ノ如ク、蛇蝎ノ如ク、国体ヲ尊ヒ、夷変ヲ憂ヒ、臣節ヲ勵マシ、人材ヲ育スルノ說ヲ惡ムコト、異端曲說外道邪魔ノ如シ、此說熄マスンハ天地ノ誣罔ニ陷リ、道義ノ荊榛ヲ生スル、勢禁スヘカラサルノミ、然トモ狂者猥者ヲ網羅シ、是ヲ中道ニ帰セハ、何ソ郷原ヲ惡ムニ足ラン、
新字:抑余大罪ノ余、永ク世ノ棄物トナル、然トモ此道ヲ負荷シテ天下後世ニ伝ント欲スルニ至テハ、敢テ辞セサル所也、是時ニ当テ中道ノ士ノ遽カニ得ヘカラサルハ古今一也、故ニ此道ヲ興スニハ、狂者ニ非レハ興スコト能ハス、此道ヲ守ルニハ、猥者ニ非サレハ守ルコト能ハス、則チ其狂猥ヲ渇望スルコト、亦豈孔孟ト異ナランヤ、且郷原ノ害、今猶古ノ如シ、其人、口ニハ孔孟程朱ヲ唱ヘ、身ニハ忠信廉潔ヲ飾リ、其吾輩ヲ視ルコト鬼蜮ノ如ク、蛇蝎ノ如ク、国体ヲ尊ヒ、夷変ヲ憂ヒ、臣節ヲ励マシ、人材ヲ育スルノ説ヲ悪ムコト、異端曲説外道邪魔ノ如シ、此説熄マスンハ天地ノ誣罔ニ陥リ、道義ノ荊榛ヲ生スル、勢禁スヘカラサルノミ、然トモ狂者猥者ヲ網羅シ、是ヲ中道ニ帰セハ、何ソ郷原ヲ悪ムニ足ラン、
書き下し
抑々余大罪の余、永く世の棄物となる。然れども此の道を負荷して天下後世に伝へんと欲するに至りては、敢へて辞せざる所なり。是の時に当りて中道の士の遽かに得べからざるは古今一なり。故に此の道を興すには、狂者に非ざれば興すこと能はず、此の道を守るには、獧者に非ざれば守ること能はず。則ち其の狂獧を渇望すること、亦豈に孔孟と異ならんや。且つ郷原の害、今猶古の如し。其の人、口には孔孟程朱を唱へ、身には忠信廉潔を飾り、其の吾が輩を視ること鬼蜮の如く、蛇蝎の如く、国体を尊び、夷変を憂ひ、臣節を励まし、人材を育するの説を悪むこと、異端曲説外道邪魔の如し。此の説熄まずんば、天地の誣罔に陥り、道義の荊榛を生ずる、勢ひ禁ずべからざるのみ。然れども狂者獧者を網羅し、是れを中道に帰せば、何ぞ郷原を悪むに足らん。
現代語訳
そもそも私は大罪を犯した身で、長く世の捨て物となっている。しかしこの道を担って天下と後世に伝えようとすることについては、決して辞退しない。この時にあたって、中道の士がにわかに得られないのは、昔も今も同じである。だからこの道を興すには狂者でなければ興せず、この道を守るには狷者でなければ守れない。その狂者と狷者を渇望することにおいて、どうして孔子や孟子と異なろうか。しかも郷原の害は、今もなお昔のとおりである。その人々は、口では孔子・孟子・程子・朱子を唱え、身には忠信や廉潔を飾りながら、われわれを鬼や化け物のように、蛇やさそりのように見て、国体を尊び、外国の脅威を憂い、臣下としての節義を励まし、人材を育てようという説を、異端や邪説、外道や悪魔のように憎む。この説がやまなければ、天地が偽りに覆われ、道義にいばらが生い茂る勢いは止められない。しかし狂者と狷者を広く集め、これを中道に導いていけば、郷原など憎むにも足りない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』盡心下 第三十八章「孔子は中道を得て之れに与せずんば、必ずや狂獧か」。中道の士は美質全徳、以て尚ふることなし、論ぜずして可なり。其の次は、常情を以て論ずれば、郷原の人、人に益ありて世に害なき者の如し。其の次は、獧者は世俗に異なる者ありと雖も、大過罪なきが如し。狂者に至りては礼法を乱り政教を害す。「子桑戸死し、琴張其の喪に臨みて歌ふ」「季武子死し、曾晳其の門に倚りて歌ふ」(朱註に見ゆ)。此の類全く晋宋清談の徒の礼法を乱り、政教を害する者に異なることなし。其の世俗の厭ひ悪むところとなる、亦宜ならずや。孟子の是非、頗る正義に謬戻するに似たり。是れ其の故何ぞや。云く、噫、是れ郷原の見なり。孟子戦国の時に生れ、其の道遂に流俗迂世に合はず。是の茫々たる宇宙、堯・舜・湯・文・孔子の道、払地して復た存する者あることなし、僅かに孟子の一身に存す。孟子の任至重至大、必ず気力雄健(狂者)・性質堅忍(獧者)の士を得て、其の盛業を羽翼するに非ずんば、何ぞ其の任を負荷することを得んや。是れを以て孟子の狂者を重んじ、獧者を之れに次ぎ、郷原を悪むの心事を忖度すべし。孔子と雖も亦同じ。
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『講孟余話』盡心下 第三十八章二章併せ論ずべし。後章は、堯・舜・湯・文・孔子を歴挙して、身大道を以て自ら任ずるの志を示す。所謂「往聖の為に絶学を継ぐ」と是れなり。而して其の後世に望む所の意、言表に隠然たり。結語に「有ること無くんば、則ち亦有ること無からん」と。前章は中道・狂獧・郷原を論列し、最も狂獧を渇思し、大道を伝へんと欲す。所謂「万世の為に太平を開く」と是れなり。而して其の孔子を宗とし、古人に継ぐの意、語中に躍如たり。通章、論語の孔子の語を以て主とし、是れが註釈を下す、其の意見るべし。孟子已に梁の恵・襄、斉の宣王に事へて、道を行ふことを得ず、退いて天下の英才を教育し、後世に伝へんと欲す。其の志悉く此の二章に見ゆ。熟読精思せずんばあるべからず。
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『講孟余話』盡心下 第三十八章「其の志嘐々然として、曰く、古の人、古の人と。夷に其の行ひを考ふれば掩はざる者なり」。唐の韓退之、常に孔子を得て師とせざるを恨み、顔淵を羨み、又酔郷の徒の不遇を悲しむ、是れ狂者の心なり。蓋し聖賢の狂者を思ふことは、老爺の強子に於けるが如く、狂者の聖賢を慕ふことは、孤子の父母に於けるが如し。韓退之の如きは豪傑の士なり。直ちに孔孟に謁せずと云へども、其の遺経に私淑する者亦浅からず。乃ち其の孔孟に遇はざる、深く恨むるに足らず。然れども退之をして孔孟に遇はしめば、其の学固より彼が如きに止まらざるべし。晋宋清談の流、或は酔郷に託し、或は竹林に遊び、高尚を希ひ、礼法を蔑棄する、皆狂者にして、孔孟に遇はず、又遺経に得ることなく、以て彼が如きに至る、実に憐れむべし。故に狂者は徒に郷原の徒の譏る所のみに非ず、乃ち大道正義に於ても容れざる者なり。但だ聖賢是れを教戒裁正して中道に帰するに至りては、其の志固より高く、其の意固より遠き者なれば、超然として聖人の道に進むこと、期して待つべし。然れば此の徒の聖賢に遇はざるは、不幸の甚しき云ふべき様もなし。其の聖賢を慕ふこと孤子の父母に於けるが如き、亦宜ならずや。
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孟子・盡心章句下萬章問いて曰く、「孔子、陳に在りて曰く、『盍ぞ歸らざる。吾が黨の士は、狂簡にして進取なり。其の初めを忘れず。』孔子、陳に在りて、何ぞ魯の狂士を思うや。」孟子曰く、「孔子は、『中道を得て之に與せずんば、必ずや狂獧か。狂者は進んで取り、獧者は為さざる所有るなり。』と。孔子豈に中道を欲せざらんや。必ずしも得可からず。故に其の次を思うなり。」「敢て問う何如なれば斯に狂と謂う可き。」曰く、「琴張・曾皙・牧皮の如き者は、孔子の所謂狂なり。」「何を以て之を狂と謂うや。」曰く、「其の志嘐嘐(コウ・コウ)然たり。古の人、古の人と曰うも、其の行いを夷考すれば、焉を掩わざる者なり。狂者又得可からず、不潔を屑(いさぎよし)しとせざるの士を得て、之に與せんと欲す。是れ獧なり。是れ又其の次なり。」「孔子曰く、『我が門を過ぎて我が室に入らざるも、我焉を憾みざる者は、其れ惟だ鄉原か。鄉原は、德の賊なり。』」曰く、「何如なれば斯に之を鄉原と謂う可き。」曰く、「『何を以て是れ嘐嘐たるや。言は行いを顧みず。行いは言を顧みず。則ち古の人、古の人と曰う。行い何為れぞ踽踽(ク・ク)涼涼たる。斯の世に生まれては斯の世を為す。善せらるれば斯に可なり。』と。閹然として世に媚ぶる者は、是れ鄉原なり。」萬子曰く、「一鄉皆原人と稱す。往く所として原人為らざる無し。孔子以て德の賊と為すは、何ぞや。」曰く、「之を非るに舉ぐべき無く、之を刺(そしる)るに刺るべき無し。流俗に同じくし、汙世に合す。之に居ること忠信に似、之を行うこと廉潔に似たり。衆皆之を悅び、自ら以て是と為すも、而も與に堯舜の道に入る可からず。故に德の賊と曰う。孔子曰く、『似て非なる者を惡む。莠(ユウ)を惡むは、其の苗を亂るを恐るればなり。佞を惡むは、其の義を亂るを恐るればなり。利口を惡むは、其の信を亂るを恐るればなり。鄭聲を惡むは、其の樂を亂るを恐るればなり。紫を惡むは、其の朱を亂るを恐るればなり。鄉原を惡むは、其の徳を亂るを恐るればなり。』君子は經に反るのみ。經正しければ、則ち庶民興る。庶民興れば、斯に邪慝無し。」
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『講孟余話』盡心下 第三十八章「狂者は進み取り、獧者は為さざる所有り」。狂獧の別、万事に就きて考索すべし。呉楚七国の反せし時、梁の将韓安国は持重し、張羽は力戦す、狂に以て敵兵を追ひ崩し、其の国を全うす。狂者は譬へば張羽の如し、獧者は譬へば韓安国の如し。両ながら相輔けて、以て大道を成就するに足る。
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『講孟余話』盡心下 第三十八章抑々吾が長門の国たる、西海の陬にあり、海を隔てて西のかた鄒魯と対持す。鄒魯の聖賢を喚起すこと、固より長門人の任なり。余又常に謂ふ、兵家の貴ぶ所は戦陣の魁殿にあり。魁は先馳なり、殿は後駆なり。今日に在りて此の道を起隆せん者は道の先駆なり、異日に至りて此の道を保守せん者は此の道の後殿なり。先駆は狂者の事なり、後殿は獧者の事なり。人生七十古来稀なり、今吾が輩已に其の二三十を失ふ、余る者日に減ず。已に先駆を憚り、又後殿を譲らば、其の恥辱、渤海を傾けて是れを濯ふとも、五百歳千歳を経て減ずることなし。如何如何。
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