国語 / 晋語四
公子曰:「吾不動矣,必死於此。」姜曰:「不然。《周詩》曰:『莘莘征夫,每懷靡及。』夙夜征行,不遑啟處,猶懼無及。況其順身縱欲懷安,將何及矣!人不求及,其能及乎?日月不處,人誰獲安?西方之書有之曰:『懷與安,實疚大事。』《鄭詩》云:『仲可懷也,人之多言,亦可畏也。』昔管敬仲有言,小妾聞之,曰:『畏威如疾,民之上也。從懷如流,民之下也。見懷思威,民之中也。畏威如疾,乃能威民。威在民上,弗畏有刑。從懷如流,去威遠矣,故謂之下。其在辟也,吾從中也。《鄭詩》之言,吾其從之。』此大夫管仲之所以紀綱齊國,裨輔先君而成霸者也。子而棄之,不亦難乎?齊國之政敗矣,晉之無道久矣,從者之謀忠矣,時日及矣,公子幾矣。君國可以濟百姓,而釋之者,非人也。敗不可處,時不可失,忠不可棄,懷不可從,子必速行。吾聞晉之始封也,歲在大火,閼伯之星也,實紀商人。商之饗國三十一王。瞽史之紀曰:『唐叔之世,將如商數。』今未半也。亂不長世,公子唯子,子必有晉。若何懷安?」公子弗聽。
新字:公子曰:「吾不動矣,必死於此。」姜曰:「不然。《周詩》曰:『莘莘征夫,毎懐靡及。』夙夜征行,不遑啓処,猶懼無及。況其順身縦欲懐安,将何及矣!人不求及,其能及乎?日月不処,人誰獲安?西方之書有之曰:『懐与安,実疚大事。』《鄭詩》云:『仲可懐也,人之多言,亦可畏也。』昔管敬仲有言,小妾聞之,曰:『畏威如疾,民之上也。従懐如流,民之下也。見懐思威,民之中也。畏威如疾,乃能威民。威在民上,弗畏有刑。従懐如流,去威遠矣,故謂之下。其在辟也,吾従中也。《鄭詩》之言,吾其従之。』此大夫管仲之所以紀綱斉国,裨輔先君而成覇者也。子而棄之,不亦難乎?斉国之政敗矣,晋之無道久矣,従者之謀忠矣,時日及矣,公子幾矣。君国可以済百姓,而釈之者,非人也。敗不可処,時不可失,忠不可棄,懐不可従,子必速行。吾聞晋之始封也,歳在大火,閼伯之星也,実紀商人。商之饗国三十一王。瞽史之紀曰:『唐叔之世,将如商数。』今未半也。乱不長世,公子唯子,子必有晋。若何懐安?」公子弗聴。
書き下し
公子曰く、「吾動かじ、必ず此に死せん」と。姜曰く、「然らず。周詩に曰く、『莘莘(しんしん)たる征夫、毎に懐いて及ばず』と。夙夜征行して、啓処(けいしょ)するに遑(いとま)あらざるも、猶及ぶ無きを懼る。況んや其れ身に順い欲を縦(ほしいまま)にし安きを懐わば、将た何ぞ及ばん。人及ばんことを求めずして、其れ能く及ばんや。日月は処(とど)まらず、人誰か安きを獲ん。西方の書に之有りて曰く、『懐と安とは、実に大事を疚(やま)しむ』と。鄭詩に云う、『仲懐うべきなり、人の多言も、亦畏るべきなり』と。昔管敬仲言有り、小妾之を聞けり。曰く、『威を畏るること疾(やまい)の如きは、民の上なり。懐に従うこと流るるが如きは、民の下なり。懐を見て威を思うは、民の中なり。威を畏るること疾の如くして、乃ち能く民を威す。威民の上に在り、畏れざれば刑有り。懐に従うこと流るるが如きは、威を去ること遠し、故に之を下と謂う。其の辟(つみ)に在るや、吾中に従わん。鄭詩の言、吾其れ之に従わん』と。此れ大夫管仲の斉国を紀綱し、先君を裨輔(ひほ)して霸を成さしめし所以の者なり。子にして之を棄つるは、亦難からずや。斉国の政敗れたり、晋の無道久し、従者の謀忠なり、時日及べり、公子幾(ちか)し。国に君として以て百姓を済うべきに、之を釈(す)つる者は、人に非ざるなり。敗は処るべからず、時は失うべからず、忠は棄つべからず、懐は従うべからず。子必ず速やかに行け。吾聞く、晋の始めて封ぜらるるや、歳大火に在り、閼伯(あつはく)の星なり、実に商人を紀す。商の国を饗(う)くること三十一王。瞽史(こし)の紀に曰く、『唐叔の世、将に商の数の如くならんとす』と。今未だ半ばならず。乱は世に長からず、公子唯子のみ、子必ず晋を有たん。若何(いかん)ぞ安きを懐わん」と。公子聴かず。
現代語訳
公子は言った。「わたしは動かない。ここで死ぬつもりだ。」姜氏は言った。「いけません。周の詩に『多くの旅ゆく人々は、いつも思いをいだいても及ばないことを恐れる』とあります。朝から晩まで旅を続け、腰を落ち着ける暇もなくても、なお間に合わないことを恐れるのです。まして身の欲するままに振る舞い、安楽を思っていては、どうして目的に届きましょう。人は届こうと求めなければ、届くことはできません。月日はとどまらないのに、誰が安楽を得られましょう。西方(周)の書にも『思いに引かれることと安楽とは、まことに大事を損なう』とあります。鄭の詩には『仲さんは慕わしいけれど、人のうわさもまた恐ろしい』とあります。昔、管敬仲(管仲)がこう言ったのを、わたしは聞いています。『威を病のように恐れる者は上の民である。思いのまま流れに従う者は下の民である。思いを見ても威を思う者は中の民である。威を病のように恐れる者であってこそ、民を威服させることができる。威が民の上にあり、恐れなければ刑罰がある。思いのまま流れに従う者は威から遠く離れているので、下と呼ぶのだ。罪を避けるにあたっては、わたしは中に従おう。鄭の詩の言葉に、わたしは従おう』と。これこそ大夫管仲が斉の国を治め、先君(桓公)を補佐して覇業を成し遂げさせたゆえんです。あなたがこれを捨てるのは、難しい道を選ぶことではありませんか。斉の政治は崩れ、晋の無道は久しく続き、従者たちのはかりごとは忠義から出たもので、時も来ており、あなたの帰国は近いのです。国君となって民を救えるのに、それを投げ出すのは人の道ではありません。崩れた国にとどまってはならず、時を失ってはならず、忠義を捨ててはならず、思いに流されてはなりません。あなたは必ず早く出発するのです。晋が初めて封ぜられたとき、歳星は大火の宿にあったと聞いています。大火は閼伯(殷の祖先を祭った人)の星で、殷の人々の命運を記す星です。殷が国を保ったのは三十一代の王でした。瞽史(天文と史をつかさどる盲目の楽官)の記録に『唐叔(晋の始祖)の子孫の世は、殷の代数と同じになるだろう』とあります。今はまだその半ばにもなっていません。乱れは長くは続きません。公子はあなたしか残っていません。あなたは必ず晋を手にするでしょう。どうして安楽を思っているのですか。」公子は聞き入れなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
呂氏春秋・贊能②管子は束縛せられて魯に在り。桓公、鮑叔を相にせんと欲す。鮑叔曰く、「吾が君、霸王たらんと欲すれば、則ち管夷吾、彼に在り。臣は若かざるなり。」桓公曰く、「夷吾は寡人の賊なり。我を射し者なり。不可なり。」鮑叔曰く、「夷吾は其の君の為に人を射し者なり。君若し得て之を臣とせば、則ち彼も亦た將に君の為に人を射んとせん。」桓公聽かず、強いて鮑叔を相とせんとす。固く辭して相を讓る,桓公果して之を聽く。是に於てか人をして魯に告げしめて曰く、「管夷吾は寡人の讎なり。願わくば之を得て親ら手を加えん。」魯君許諾し、乃ち吏をして其の拳を鞹し、其の目を膠し、之を盛るに鴟夷を以てし、之を車中に置かしむ。齊の境に至るや、桓公、人をして朝車を以て之を迎え、祓うに爟火を以てし、釁するに犧猳を以てし、生かして之と國に如かしむ。有司に命じて廟を除わしめ、筵几して之に薦めて曰く、「孤の夷吾の言を聞きし自り、目は益々明らかに、耳は益々聰なり。孤敢て專らにせず。敢て以て先君に告ぐ。」因りて顧みて管子に命じて曰く、「夷吾、予を佐けよ。」管仲還り走り、再拜稽首して、令を受けて出づ。管子、齊國を治め、事を舉げて功有れば、桓公必ず先づ鮑叔を賞して曰く、「齊國をして管子を得しめし者は、鮑叔なり。」桓公は賞を行うことを知れりと謂う可し。凡そ賞を行うには其の本を欲す。本なれば則ち過ち由りて生ずること無ければなり。
-
説苑・辨物斉の桓公北のかた孤竹を征す。未だ卑耳谿中に至らざること十里、闟然(こうぜん)として止まり、瞠然(どうぜん)として視ること頃(しばら)く有り、矢を奉じて未だ敢えて発せず。喟然として歎じて曰わく、「事其れ済(な)らざるか。人の長さ尺なる有り、冠冕大人の物具わる。左袪(きょ)して衣し馬前を走る者あり。」管仲曰わく、「事必ず済らん。此の人は道を知るの神なり。馬前を走る者は導くなり。左に衣を袪する者は、前に水有るなり。」左方より渡り、行くこと十里にして果たして水有り、遼水と曰う。之を表し、左方より渡れば踝(くるぶし)に至り、右方より渡れば膝に至る。已に渡りて、事果たして済る。桓公馬前に管仲を拝して曰わく、「仲父の聖此くの如きに至る、寡人罪を得ること久し。」管仲曰わく、「夷吾之を聞く、聖人は先に無形を知る、今已に形有りて乃ち之を知る、是れ夷吾教えを承くるに善きなり、聖に非ざるなり。」
-
論語・八佾篇子曰く、『管仲の器、小なる哉!』或曰く、『管仲は倹なりや。』曰く、『管氏に三帰有り。』曰く、『然らば礼を知るや。』曰く、『邦君、塞門を樹つ、管氏も亦塞門を樹つ。邦君、二君の好を為すに反坫有り、管氏も亦反坫有り。管仲、その器小なる哉!』
-
呂氏春秋・知接②管仲疾有り。桓公往きて之に問いて曰く、「仲父の疾病なり。將に何を以てか寡人に教えんとす。」管仲曰く、「齊の鄙人に諺有り、曰く、『居る者は載すること無く、行く者は埋むること無し。』今臣將に遠く行くこと有らんとす。胡ぞ以て問う可けん。」桓公曰く、「願わくは仲父の讓る無きことを。」管仲對えて曰く、「願わくは君の易牙・豎刀・常之巫・衛の公子啓方を遠ざけんことを。」公曰く、「易牙は其の子を烹て以て寡人を慊らしむ。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の子を愛せざるに非ざるなり。其の子に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「豎刀は自ら宮して以て寡人に近づく。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の身を愛せざるに非ざるなり。其の身に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「常之巫は死生を審らかにし、能く苛病を去る。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「死生は命なり。苛病は失なり。君、其の命に任じて、其の本を守らず、而して常之巫に恃む。彼將た此を以て為さざる無からん。」公又曰く、「衛の公子啓方は寡人に事うること十五年、其の父死するも敢て歸りて哭せず。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の父を愛せざるに非ざるなり。其の父に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公曰く、「諾。」管仲死し、盡く之を逐う。食甘からず、宮治まらず、苛病起こり、朝肅ならず。居ること三年、公曰く、「仲父亦た過たずや。孰か仲父之を盡くせりと謂うや。」是に於て皆復召して反す。明年、公病有り。常之巫中從り出でて曰く、「公將に某日を以て薨ぜんとす。」易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。矯るに公の令を以てす。一婦人有り、垣を踰えて入り、公の所に至る。公曰く、「我食を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公又曰く、「我飲を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公曰く、「何の故ぞ。」對えて曰く、「常之巫中從り出でて曰く、『公將に某日を以て薨ぜんとす。』易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。故に得る所無し。衛の公子啓方、書社四十を以て衛に下る。」公慨焉として歎じ、涕出でて曰く、「嗟乎。聖人の見る所、豈に遠からずや。若し死者知る有らば、我將た何の面目ありて以て仲父に見えん。」衣袂を蒙りて壽宮に絶えたり。蟲流れて戶より出づ。上蓋うに楊門の扇を以てす。三月葬らず。此れ卒に管仲の言を聽かざればなり。桓公、難を輕んじて管子を惡むに非ざるなり。由りて接すること無ければなり。由りて接する無く、固より其の忠言を卻けて、其の尊貴する所を愛するなり。
-
説苑・指武齊の桓公の時、霖雨十旬。桓公漅陵を伐たんと欲するも、其の城の雨に值うや、未だ合わず。管仲・隰朋卒徒を以て門に造る、桓公曰く、「徒眾何を以て為すか」と。管仲對えて曰く、「臣之を聞く、雨あれば則ち事有りと。夫れ漅陵雨に能わず、臣請う之を攻めん」と。公曰く、「善し」と。遂に師を興して之を伐つ。既に至れば、大卒外に間して士內に在り、桓公曰く、「其れ聖人有るか」と。乃ち旗を還して之を去る。
-
孔子家語・致思子路孔子に問いて曰わく、「管仲の人と為り何如。」 子曰わく、「仁なり。」 子路曰わく、「昔管仲襄公に説くも、公受けず、是れ辯ならざるなり。公子糾を立てんと欲するも能わず、是れ智ならざるなり。家斉に残わるるも、憂色無し、是れ慈ならざるなり。桎梏せられて檻車に居るも、慚づる心無し、是れ醜無きなり。射る所の君に事う、是れ貞ならざるなり。召忽之に死し、管仲死せず、是れ忠ならざるなり。仁人の道、固より是くの若きか。」 孔子曰わく、「管仲襄公に説くも、襄公受けざるは、公の闇きなり。子糾を立てんと欲するも能わざるは、時に遇わざるなり。家斉に残わるるも憂色無きは、是れ権命を知ればなり。桎梏せられて慚づる心無きは、自ら裁くこと審らかなればなり。射る所の君に事うるは、変に通ずればなり。子糾に死せざるは、軽重を量ればなり。夫れ子糾未だ君と成らず、管仲未だ臣と成らず。管仲は義を才度し、管仲束縛に死せずして功名を立つるは、未だ非とす可からざるなり。召忽死すと雖も、過ちて仁を取る、未だ多しとするに足らざるなり。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る