国語 / 斉語
「令夫農,群萃而州處,察其四時,權節其用,耒、耜、耞、芟,及寒,擊菒除田,以待時耕;及耕,深耕而疾耰之,以待時雨;時雨既至,挾其槍、刈、耨、鎛,以旦暮從事於田野。脫衣就功,首戴茅蒲,身衣襏襫,霑體塗足,暴其髮膚,盡其四支之敏,以從事於田野。少而習焉,其心安焉,不見異物而遷焉。是故其父兄之教不肅而成,其子弟之學不勞而能。夫是,故農之子恆為農,野處而不暱。其秀民之能為士者,必足賴也。有司見而不以告,其罪五。有司已於事而竣。」 桓公曰:「定民之居若何?」管子對曰:「制國以為二十一鄉。」桓公曰:「善。」管子於是制國以為二十一鄉:工商之鄉六;士鄉十五,公帥五鄉焉,國子帥五鄉焉,高子帥五鄉焉。參國起案,以為三官,臣立三宰,工立三族,市立三鄉,澤立三虞,山立三衡。
新字:「令夫農,群萃而州処,察其四時,権節其用,耒、耜、耞、芟,及寒,撃菒除田,以待時耕;及耕,深耕而疾耰之,以待時雨;時雨既至,挟其槍、刈、耨、鎛,以旦暮従事於田野。脱衣就功,首戴茅蒲,身衣襏襫,霑体塗足,暴其髪膚,尽其四支之敏,以従事於田野。少而習焉,其心安焉,不見異物而遷焉。是故其父兄之教不粛而成,其子弟之学不労而能。夫是,故農之子恒為農,野処而不暱。其秀民之能為士者,必足頼也。有司見而不以告,其罪五。有司已於事而竣。」 桓公曰:「定民之居若何?」管子対曰:「制国以為二十一郷。」桓公曰:「善。」管子於是制国以為二十一郷:工商之郷六;士郷十五,公帥五郷焉,国子帥五郷焉,高子帥五郷焉。参国起案,以為三官,臣立三宰,工立三族,市立三郷,沢立三虞,山立三衡。
書き下し
「夫の農をして、群萃して州処せしむれば、其の四時を察し、其の用を権節し、耒(らい)・耜(し)・耞(か)・芟(さん)、寒に及べば、菒(こう)を撃ち田を除きて、以て時耕を待つ。耕に及べば、深く耕して疾(と)く之を耰(ゆう)し、以て時雨を待つ。時雨既に至れば、其の槍(そう)・刈(がい)・耨(どう)・鎛(はく)を挟みて、以て旦暮に田野に事に従う。衣を脱ぎて功に就き、首に茅蒲(ぼうほ)を戴き、身に襏襫(はつせき)を衣(き)、体を霑(うるお)し足を塗(まみ)れさせ、其の髪膚を暴(さら)し、其の四支の敏を尽くして、以て田野に事に従う。少くして焉に習い、其の心焉に安んじ、異物を見て遷らず。是の故に其の父兄の教えは粛しからずして成り、其の子弟の学は労せずして能くす。夫れ是れ、故に農の子は恒に農と為り、野に処りて暱(なじ)まず。其の秀民の能く士と為る者は、必ず頼るに足るなり。有司見て以て告げずんば、其の罪五。有司已に事において竣(お)う」と。 桓公曰く、「民の居を定むること若何」と。管子対えて曰く、「国を制して以て二十一郷と為す」と。桓公曰く、「善し」と。管子是に於いて国を制して以て二十一郷と為す。工商の郷六、士の郷十五。公は五郷を帥い、国子は五郷を帥い、高子は五郷を帥う。国を参にして案を起こし、以て三官と為す。臣には三宰を立て、工には三族を立て、市には三郷を立て、沢には三虞(ぐ)を立て、山には三衡(こう)を立つ。
現代語訳
(管仲は続けた。)「農民たちを集めて同じ区域にまとめて住まわせれば、四季の移り変わりを見て、道具の使い方を加減し、すき・くわ・からざお・大鎌を用意し、寒くなれば枯れ草を打ち払って田を清め、耕す時期を待ちます。耕す時期になれば、深く耕して素早く土をならし、恵みの雨を待ちます。雨が降れば、鋤や鎌、草取りの鍬を携えて、朝から晩まで田畑で働きます。上着を脱いで仕事にかかり、頭には茅(かや)で編んだ笠をかぶり、身には粗い蓑をまとい、体を濡らし足を泥まみれにし、髪も肌も日に晒して、手足の働きを尽くして田畑で働きます。若いうちからこれに習い、心がそこに落ち着くので、よそのものを見ても心が移りません。だから父兄の教えは厳しくしなくても身につき、子弟の学びは苦労しなくてもものになります。こういうわけで、農民の子はいつまでも農民となり、田野に住んで悪い者と交わりません。そのなかで士となりうる秀でた民は、必ず頼りにするに足ります。役人がそういう者を見ながら報告しなければ、その罪は五刑にあたります。役人がこの務めを果たしたところで、ことは終わります。」 桓公が「民の住まいを定めるとはどういうことか」と問うと、管子は「都を区切って二十一の郷とします」と答えた。桓公が「よろしい」と言ったので、管子は都を二十一郷に分けた。工人と商人の郷が六つ、士の郷が十五。公がそのうち五郷を率い、国子(斉の世襲の上卿、国氏)が五郷を率い、高子(同じく上卿の高氏)が五郷を率いた。都を三つに分けて治める帳簿を作り、三つの官を置いた。臣下には三人の宰を、工人には三つの族を、市場には三つの郷を、沢地には三人の虞(沢の管理官)を、山地には三人の衡(山林の管理官)を立てた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・贊能②管子は束縛せられて魯に在り。桓公、鮑叔を相にせんと欲す。鮑叔曰く、「吾が君、霸王たらんと欲すれば、則ち管夷吾、彼に在り。臣は若かざるなり。」桓公曰く、「夷吾は寡人の賊なり。我を射し者なり。不可なり。」鮑叔曰く、「夷吾は其の君の為に人を射し者なり。君若し得て之を臣とせば、則ち彼も亦た將に君の為に人を射んとせん。」桓公聽かず、強いて鮑叔を相とせんとす。固く辭して相を讓る,桓公果して之を聽く。是に於てか人をして魯に告げしめて曰く、「管夷吾は寡人の讎なり。願わくば之を得て親ら手を加えん。」魯君許諾し、乃ち吏をして其の拳を鞹し、其の目を膠し、之を盛るに鴟夷を以てし、之を車中に置かしむ。齊の境に至るや、桓公、人をして朝車を以て之を迎え、祓うに爟火を以てし、釁するに犧猳を以てし、生かして之と國に如かしむ。有司に命じて廟を除わしめ、筵几して之に薦めて曰く、「孤の夷吾の言を聞きし自り、目は益々明らかに、耳は益々聰なり。孤敢て專らにせず。敢て以て先君に告ぐ。」因りて顧みて管子に命じて曰く、「夷吾、予を佐けよ。」管仲還り走り、再拜稽首して、令を受けて出づ。管子、齊國を治め、事を舉げて功有れば、桓公必ず先づ鮑叔を賞して曰く、「齊國をして管子を得しめし者は、鮑叔なり。」桓公は賞を行うことを知れりと謂う可し。凡そ賞を行うには其の本を欲す。本なれば則ち過ち由りて生ずること無ければなり。
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説苑・辨物斉の桓公北のかた孤竹を征す。未だ卑耳谿中に至らざること十里、闟然(こうぜん)として止まり、瞠然(どうぜん)として視ること頃(しばら)く有り、矢を奉じて未だ敢えて発せず。喟然として歎じて曰わく、「事其れ済(な)らざるか。人の長さ尺なる有り、冠冕大人の物具わる。左袪(きょ)して衣し馬前を走る者あり。」管仲曰わく、「事必ず済らん。此の人は道を知るの神なり。馬前を走る者は導くなり。左に衣を袪する者は、前に水有るなり。」左方より渡り、行くこと十里にして果たして水有り、遼水と曰う。之を表し、左方より渡れば踝(くるぶし)に至り、右方より渡れば膝に至る。已に渡りて、事果たして済る。桓公馬前に管仲を拝して曰わく、「仲父の聖此くの如きに至る、寡人罪を得ること久し。」管仲曰わく、「夷吾之を聞く、聖人は先に無形を知る、今已に形有りて乃ち之を知る、是れ夷吾教えを承くるに善きなり、聖に非ざるなり。」
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論語・八佾篇子曰く、『管仲の器、小なる哉!』或曰く、『管仲は倹なりや。』曰く、『管氏に三帰有り。』曰く、『然らば礼を知るや。』曰く、『邦君、塞門を樹つ、管氏も亦塞門を樹つ。邦君、二君の好を為すに反坫有り、管氏も亦反坫有り。管仲、その器小なる哉!』
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呂氏春秋・知接②管仲疾有り。桓公往きて之に問いて曰く、「仲父の疾病なり。將に何を以てか寡人に教えんとす。」管仲曰く、「齊の鄙人に諺有り、曰く、『居る者は載すること無く、行く者は埋むること無し。』今臣將に遠く行くこと有らんとす。胡ぞ以て問う可けん。」桓公曰く、「願わくは仲父の讓る無きことを。」管仲對えて曰く、「願わくは君の易牙・豎刀・常之巫・衛の公子啓方を遠ざけんことを。」公曰く、「易牙は其の子を烹て以て寡人を慊らしむ。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の子を愛せざるに非ざるなり。其の子に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「豎刀は自ら宮して以て寡人に近づく。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の身を愛せざるに非ざるなり。其の身に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「常之巫は死生を審らかにし、能く苛病を去る。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「死生は命なり。苛病は失なり。君、其の命に任じて、其の本を守らず、而して常之巫に恃む。彼將た此を以て為さざる無からん。」公又曰く、「衛の公子啓方は寡人に事うること十五年、其の父死するも敢て歸りて哭せず。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の父を愛せざるに非ざるなり。其の父に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公曰く、「諾。」管仲死し、盡く之を逐う。食甘からず、宮治まらず、苛病起こり、朝肅ならず。居ること三年、公曰く、「仲父亦た過たずや。孰か仲父之を盡くせりと謂うや。」是に於て皆復召して反す。明年、公病有り。常之巫中從り出でて曰く、「公將に某日を以て薨ぜんとす。」易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。矯るに公の令を以てす。一婦人有り、垣を踰えて入り、公の所に至る。公曰く、「我食を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公又曰く、「我飲を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公曰く、「何の故ぞ。」對えて曰く、「常之巫中從り出でて曰く、『公將に某日を以て薨ぜんとす。』易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。故に得る所無し。衛の公子啓方、書社四十を以て衛に下る。」公慨焉として歎じ、涕出でて曰く、「嗟乎。聖人の見る所、豈に遠からずや。若し死者知る有らば、我將た何の面目ありて以て仲父に見えん。」衣袂を蒙りて壽宮に絶えたり。蟲流れて戶より出づ。上蓋うに楊門の扇を以てす。三月葬らず。此れ卒に管仲の言を聽かざればなり。桓公、難を輕んじて管子を惡むに非ざるなり。由りて接すること無ければなり。由りて接する無く、固より其の忠言を卻けて、其の尊貴する所を愛するなり。
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説苑・指武齊の桓公の時、霖雨十旬。桓公漅陵を伐たんと欲するも、其の城の雨に值うや、未だ合わず。管仲・隰朋卒徒を以て門に造る、桓公曰く、「徒眾何を以て為すか」と。管仲對えて曰く、「臣之を聞く、雨あれば則ち事有りと。夫れ漅陵雨に能わず、臣請う之を攻めん」と。公曰く、「善し」と。遂に師を興して之を伐つ。既に至れば、大卒外に間して士內に在り、桓公曰く、「其れ聖人有るか」と。乃ち旗を還して之を去る。
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孔子家語・致思子路孔子に問いて曰わく、「管仲の人と為り何如。」 子曰わく、「仁なり。」 子路曰わく、「昔管仲襄公に説くも、公受けず、是れ辯ならざるなり。公子糾を立てんと欲するも能わず、是れ智ならざるなり。家斉に残わるるも、憂色無し、是れ慈ならざるなり。桎梏せられて檻車に居るも、慚づる心無し、是れ醜無きなり。射る所の君に事う、是れ貞ならざるなり。召忽之に死し、管仲死せず、是れ忠ならざるなり。仁人の道、固より是くの若きか。」 孔子曰わく、「管仲襄公に説くも、襄公受けざるは、公の闇きなり。子糾を立てんと欲するも能わざるは、時に遇わざるなり。家斉に残わるるも憂色無きは、是れ権命を知ればなり。桎梏せられて慚づる心無きは、自ら裁くこと審らかなればなり。射る所の君に事うるは、変に通ずればなり。子糾に死せざるは、軽重を量ればなり。夫れ子糾未だ君と成らず、管仲未だ臣と成らず。管仲は義を才度し、管仲束縛に死せずして功名を立つるは、未だ非とす可からざるなり。召忽死すと雖も、過ちて仁を取る、未だ多しとするに足らざるなり。」
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