国語 / 魯語下
叔孫穆子聘於晉,晉悼公饗之,樂及《鹿鳴》之三,而後拜樂三。晉侯使行人問焉,曰:「子以君命鎮撫弊邑,不腆先君之禮,以辱從者,不腆之樂以節之。吾子舍其大而加禮於其細,敢問何禮也?」 對曰:「寡君使豹來繼先君之好,君以諸侯之故,貺使臣以大禮。夫先樂金奏《肆夏·樊》、《遏》、《渠》,天子所以饗元侯也;夫歌《文王》、《大明》、《綿》,則兩君相見之樂也。皆昭令德以合好也,皆非使臣之所敢聞也。臣以為肄業及之,故不敢拜。今伶簫詠歌及《鹿鳴》之三,君之所以貺使臣,臣敢不拜貺。夫《鹿鳴》,君之所以嘉先君之好也,敢不拜嘉。《四牡》,君之所以章使臣之勤也,敢不拜章。《皇皇者華》,君教使臣曰:『每懷靡及,諏、謀、度、詢,必咨於周。』敢不拜教。臣聞之曰:『懷和為每懷,咨才為諏,咨事為謀,咨義為度,咨親為詢,忠信為周。』君貺使臣以大禮,重之以六德敢不重拜。」
新字:叔孫穆子聘於晋,晋悼公饗之,楽及《鹿鳴》之三,而後拝楽三。晋侯使行人問焉,曰:「子以君命鎮撫弊邑,不腆先君之礼,以辱従者,不腆之楽以節之。吾子舎其大而加礼於其細,敢問何礼也?」 対曰:「寡君使豹来継先君之好,君以諸侯之故,貺使臣以大礼。夫先楽金奏《肆夏·樊》、《遏》、《渠》,天子所以饗元侯也;夫歌《文王》、《大明》、《綿》,則両君相見之楽也。皆昭令徳以合好也,皆非使臣之所敢聞也。臣以為肄業及之,故不敢拝。今伶簫詠歌及《鹿鳴》之三,君之所以貺使臣,臣敢不拝貺。夫《鹿鳴》,君之所以嘉先君之好也,敢不拝嘉。《四牡》,君之所以章使臣之勤也,敢不拝章。《皇皇者華》,君教使臣曰:『毎懐靡及,諏、謀、度、詢,必咨於周。』敢不拝教。臣聞之曰:『懐和為毎懐,咨才為諏,咨事為謀,咨義為度,咨親為詢,忠信為周。』君貺使臣以大礼,重之以六徳敢不重拝。」
書き下し
叔孫穆子(しゅくそんぼくし)、晋に聘(へい)す。晋の悼公(とうこう)之を饗す。楽、『鹿鳴(ろくめい)』の三に及びて、而る後に楽に拝すること三たびす。晋侯、行人をして焉(これ)に問わしめて曰く、「子は君命を以て弊邑を鎮撫す。先君の礼を腆(あつ)くせずして、以て従者を辱しめ、不腆の楽以て之を節す。吾子其の大を舎(す)てて礼を其の細に加う。敢えて問う、何の礼ぞや」と。 対えて曰く、「寡君、豹(ひょう)をして来たりて先君の好(よしみ)を継がしむ。君、諸侯の故を以て、使臣に貺(たま)うに大礼を以てす。夫れ先楽の金奏『肆夏(しか)・樊(はん)』・『遏(あつ)』・『渠(きょ)』は、天子の元侯を饗する所以なり。夫れ『文王』・『大明』・『綿(めん)』を歌うは、則ち両君相見るの楽なり。皆令徳を昭らかにして以て好を合わするなり。皆使臣の敢えて聞く所に非ざるなり。臣以為(おも)えらく、肄業(いぎょう)して之に及ぶと。故に敢えて拝せず。今、伶(れい)簫(しょう)詠歌して『鹿鳴』の三に及ぶは、君の使臣に貺う所以なり。臣敢えて貺に拝せざらんや。夫れ『鹿鳴』は、君の先君の好を嘉する所以なり。敢えて嘉に拝せざらんや。『四牡(しぼ)』は、君の使臣の勤めを章(あら)わす所以なり。敢えて章に拝せざらんや。『皇皇者華(こうこうしゃか)』は、君、使臣に教えて曰く、『毎懐(まいかい)及ぶ靡(な)し。諏(しゅ)・謀・度(たく)・詢(じゅん)、必ず周(しゅう)に咨(はか)れ』と。敢えて教えに拝せざらんや。臣之を聞けり、曰く、『和を懐うを毎懐と為し、才に咨るを諏と為し、事に咨るを謀と為し、義に咨るを度と為し、親に咨るを詢と為し、忠信を周と為す』と。君、使臣に貺うに大礼を以てし、之を重ぬるに六徳を以てす。敢えて重ねて拝せざらんや」と。
現代語訳
叔孫穆子(魯の卿、名は豹)が使者として晋を訪れ、晋の悼公がこれをもてなした。演奏が『鹿鳴』など三曲に及んだところで、穆子ははじめて楽に対して三度拝礼した。晋侯は接待役の行人を遣わして尋ねさせた。「あなたは君命を受けてわが国をねぎらいに来られた。先君以来の礼で手厚くおもてなしすることもできず、お供の方々にも失礼をしたうえ、つたない音楽で宴の節目としました。ところがあなたは大きな曲は見過ごし、小さな曲に対して礼をなさった。それはどういう礼なのか、うかがいたい」。 穆子は答えた。「わが君は私をここへ遣わして、先君以来のよしみを継がせました。晋の君は諸侯の手前もあって、使者の私に大きな礼をもってもてなしてくださいました。はじめに鐘で奏された『肆夏』の『樊』『遏』『渠』は、天子が諸侯の長をもてなすための楽です。続いて歌われた『文王』『大明』『綿』は、二国の君どうしが会見するときの楽です。どちらも立派な徳を明らかにして友好を結ぶためのもので、使者の身で聞くべきものではありません。私は楽人が稽古のついでに演奏したのだと思いましたので、あえて拝礼しなかったのです。いま楽人が笛を吹いて歌い、『鹿鳴』などの三曲に及んだのは、君が使者の私にお与えくださったものです。どうして賜り物に拝礼せずにいられましょう。『鹿鳴』は、君がわが先君とのよしみをよみしてくださる歌です。どうしてそのおよろこびに拝礼せずにいられましょう。『四牡』は、君が使者の苦労をたたえてくださる歌です。どうしてそのおほめに拝礼せずにいられましょう。『皇皇者華』は、君が使者に教えて『いつも思いがけず及ばぬことがある。才を問い、事を謀り、義を量り、親しい者に尋ね、必ず忠信の人に相談せよ』とおっしゃる歌です。どうしてその教えに拝礼せずにいられましょう。私はこう聞いております。『和を思うことを毎懐といい、才ある人に問うことを諏といい、事について問うことを謀といい、義について問うことを度といい、親しい者に問うことを詢といい、忠信を周という』と。君は使者の私に大きな礼を賜り、さらに六つの徳を重ねてくださいました。どうして重ねて拝礼せずにいられましょうか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』定公十年 夾谷の会十年春、齊と平ぐ。夏、公、齊侯に祝其に會す。實は夾谷なり。孔丘、相たり。犁彌、齊侯に言ひて曰く、「孔丘は禮を知れども勇無し。若し萊人をして兵を以て魯侯を劫かさしめば、必ず志を得ん」と。齊侯、之に從ふ。孔丘、公を以て退きて曰く、「士、之に兵せよ。兩君好を合はするに、裔夷の俘、兵を以て之を亂す。齊君の諸侯に命ずる所以に非ざるなり。裔は夏を謀らず、夷は華を亂さず、俘は盟を干さず、兵は好に偪らず。神に於いては不祥と為し、德に於いては義を愆つと為し、人に於いては禮を失ふと為す。君必ず然らざらん」と。齊侯、之を聞き、遽かに之を辟く。將に盟はんとす。齊人、載書に加へて曰く、「齊の師、竟を出づるに、甲車三百乘を以て我に從はざる者は、此の盟の如き有らん」と。孔丘、茲無還をして揖して對へしめて曰く、「而、我が汶陽の田を反さずして、吾をして以て命に共せしむる者も、亦た之の如くならん」と。齊侯、將に公を享せんとす。孔丘、梁丘據に謂ひて曰く、
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『春秋左氏伝』文公十二年 国に陋なし春、郕伯卒す。郕人君を立つ。大子夫鍾と郕邽とを以って來奔す。公諸侯を以って之を逆ふ、禮に非ざるなり。故に書して曰く、「郕伯來奔す」と。地を書せざるは、諸侯を尊ぶなり。杞の桓公來朝す、始めて公に朝するなり。且つ叔姬を絕たんことを請ひて、昏を絕つこと無からんとす、公之を許す。二月、叔姬卒す。杞と言はざるは、絕てばなり。叔姬と書するは、女に非ざるを言ふなり。楚の令尹大孫伯卒し、成嘉令尹と為る。群舒楚に叛く。夏、子孔舒子平、及び宗子を執へ、遂に巢を圍む。秋、滕の昭公來朝す、亦た始めて公に朝するなり。秦伯西乞術をして來聘せしめ、且つ將に晉を伐たんとするを言ふ。襄仲玉を辭して曰く、「君先君の好を忘れず、魯國を照臨し、其の社稷を鎮撫し、之に重ぬるに大器を以ってす。寡君敢へて玉を辭す」と。對へて曰く、「不腆(ふてん)の敝器、辭するに足らざるなり」と。主人三たび辭す。賓答へて曰く、「寡君周公・魯公に福を徼(もと)めて、以って君に事へんことを願ふ。不腆なる先君の敝器、下臣をして諸を執事に致さしめ、以って瑞節と為し、好命を要結す。寡君の命を藉(し)きて、二國の好を結ぶ所以なり。是を以って敢へて之を致す」と。襄仲曰く、「君子有らずんば、其れ能く國せんや。國陋なること無し」と。厚く之に賄す。秦令狐の役の為の故に、
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『春秋左氏伝』昭公五年 始めを敬して終はりを思ふ晉の韓宣子楚に如きて女を送る。叔向介為り。鄭の子皮・子大叔、諸を索氏に勞ふ。大叔叔向に謂ひて曰く、「楚王の汏侈已甚し。子其れ之を戒めよ」と。叔向曰く、「汏侈已甚しきは、身の災ひなり。焉んぞ能く人に及ばん。若し吾が幣帛を奉じ、吾が威儀を慎み、之を守るに信を以てし、之を行ふに禮を以てし、始めを敬して終はりを思はば、終に復せざる無し。從ひて儀を失はず、敬して威を失はず、之を道くに訓辭を以てし、之を奉ずるに舊法を以てし、之を考ふるに先王を以てし、之を度るに二國を以てせば、汏侈と雖も我を若何せん」と。楚に及ぶ。楚子其の大夫を朝せしめて曰く、「晉は吾が仇敵なり。苟も志を得ば、其の他を恤ふる無けん。今其の來たる者は、上卿・上大夫なり。若し吾韓起を以て閽と為し、羊舌肸を以て司宮と為さば、以て晉を辱むるに足り、吾も亦た志を得ん。可ならんか」と。大夫對ふる莫し。薳啟彊曰く、「可なり。苟も其の備へ有らば、何の故に可ならざらん。匹夫を恥づかしむるすら以て備へ無かるべからず、況んや國を恥づかしむるをや。是を以て聖王は禮を行ふに務めて、人を恥づかしむるを求めず。
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『春秋左氏伝』昭公三十年 大に事え小を字しむ三十年春、王の正月、公乾侯に在り。先に鄆と乾侯とを書かざるは、公を非とし、且つ過ちを徵(あきら)かにするなり。夏、六月、晉の頃公卒す。秋、八月、晉の頃公を葬る。鄭の游吉弔し、且つ葬を送る。魏獻子、士景伯をして之を詰らしめて曰く、「悼公の喪には、子西弔し、子蟜葬を送る。今吾子貳無し、何の故ぞ」と。對へて曰く、「諸侯の晉君に歸する所以は、禮なり。禮なる者は、小大に事へ、大小を字(いつく)しむの謂なり。大に事ふるは其の時命を共するに在り、小を字しむは其の無き所を恤むに在り。敝邑の大國の間に居るを以って、其の職貢と、其の不虞の患ひに備御するとを共す。豈に命を共することを忘れんや。先王の制に、諸侯の喪には、士弔し、大夫葬を送る。唯だ嘉好・聘享・三軍の事にのみ、是に於いてか卿を使はす。晉の喪事に、敝邑の間あるときは、
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