古事記 / 中巻・赤玉の乙女と渡来
爾問其人曰。何汝飲食負牛。入山谷。汝必殺食是牛。即捕其人。將入獄囚。其人答曰。吾非殺牛。唯送田人之食耳。然猶不赦。爾解其腰之玉。幣其國主之子。故赦其賤夫。將來其玉。置於床邊。即化美麗孃子。仍婚爲嫡妻。爾其孃子。常設種種之珍味。恆食其夫。故其國主之子心奢詈妻。其女人言。凡吾者。非應爲汝妻之女。將行吾祖之國。即竊乘小舩。逃遁渡來。留于難波。(此者坐難波之比賣碁曾社。謂阿加流比賣神者也。)於是。天之日矛聞其妻遁。乃追渡來。將到難波之間。其渡之神塞以不入。故更還。泊多遲摩國。即留其國而。娶多遲摩之俣尾之女名前津見。生子多遲摩母呂須玖。此之子多遲摩斐泥。此之子多遲摩比那良岐。此之子多遲麻毛理。次多遲摩比多訶。
新字:爾問其人曰。何汝飲食負牛。入山谷。汝必殺食是牛。即捕其人。将入獄囚。其人答曰。吾非殺牛。唯送田人之食耳。然猶不赦。爾解其腰之玉。幣其国主之子。故赦其賤夫。将来其玉。置於床辺。即化美麗嬢子。仍婚為嫡妻。爾其嬢子。常設種種之珍味。恒食其夫。故其国主之子心奢詈妻。其女人言。凡吾者。非応為汝妻之女。将行吾祖之国。即窃乗小舩。逃遁渡来。留于難波。(此者坐難波之比売碁曽社。謂阿加流比売神者也。)於是。天之日矛聞其妻遁。乃追渡来。将到難波之間。其渡之神塞以不入。故更還。泊多遅摩国。即留其国而。娶多遅摩之俣尾之女名前津見。生子多遅摩母呂須玖。此之子多遅摩斐泥。此之子多遅摩比那良岐。此之子多遅麻毛理。次多遅摩比多訶。
書き下し
ここに問ひてその人に曰く、「何ぞ汝、飲食を牛に負せて山谷に入る。汝必ずこの牛を殺し食はむ」といひて、すなはちその人を捕へて、獄に入れ囚へむとす。その人答へて曰く、「吾は牛を殺さず。ただ田人の食を送るのみ」といふ。然れどもなほ赦さず。ここにその腰の玉を解きて、その国主の子に幣へば、その賤しき夫を赦しつ。その玉を持ち来て、床の辺に置けば、すなはち美麗しき嬢子と化りぬ。仍りて婚ひして嫡妻と為つ。ここにその嬢子、常に種々の珍味を設けて、恒にその夫に食はしむ。故、その国主の子、心奢りて妻を詈りしかば、その女人言はく、「凡そ吾は、汝の妻と為るべき女に非ず。吾が祖の国に行かむ」といひて、すなはち竊かに小船に乗りて、逃げ遁れて渡り来て、難波に留まれり。(これは難波の比売碁曽の社に坐す、阿加流比売神といふ者なり。)ここに天之日矛、その妻の遁れしを聞き、乃ち追ひ渡り来て、難波に到らむとする間に、その渡りの神塞へて入れざりき。故、更に還りて、多遅摩国に泊てき。すなはちその国に留まりて、多遅摩の俣尾の女、名は前津見を娶り、子を生みき。多遅摩母呂須玖。この子は多遅摩斐泥。この子は多遅摩比那良岐。この子は多遅麻毛理、次に多遅摩比多訶、
現代語訳
天之日矛はその男に尋ねました。「おまえはなぜ飲食物を牛に背負わせて山谷に入るのか。きっとこの牛を殺して食べるのだろう」。そして男を捕らえ、牢に入れようとしました。男は「私は牛を殺しません。ただ田の人の食事を送るだけです」と答えましたが、許してもらえません。そこで腰の玉を解いて、国主の子に贈ったところ、その男は許されました。その玉を持ち帰り、寝床のそばに置くと、玉は美しい娘に変わりました。そこで結婚して正妻としました。娘はいつも種々の珍しい料理を用意して夫に食べさせました。ところが国主の子は驕って妻を罵りました。すると妻は「そもそも私は、あなたの妻になるべき女ではありません。私の祖先の国へ行きます」と言い、ひそかに小舟に乗って逃げ、日本に渡って難波に留まりました。(これは難波の比売碁曽の社にいる阿加流比売神です。)天之日矛は妻が逃げたと聞き、追って渡って来て、難波に着こうとしたとき、その渡しの神がさえぎって入れませんでした。そこで引き返し、多遅摩国に停泊しました。そのまま国に留まり、多遅摩の俣尾の娘で名を前津見という人を娶り、子を生みました。その子が多遅摩母呂須玖です。この子は多遅摩斐泥、この子は多遅摩比那良岐、この子は多遅麻毛理、次に多遅摩比多訶、
解説
この章句が説くこと
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『古事記』中巻・譲り合いと天之日矛故、その大山守命の骨は、那良山に葬りき。この大山守命は、(土形君・弊岐君・榛原君らの祖なり。)ここに大雀命と宇遅能和紀郎子と二柱、各天の下を譲りたまふ間に、海人、大贄を貢りき。ここに兄は辞びて弟に貢らしめ、弟は辞びて兄に貢らしむ。相譲りたまふ間に、既に多日を経き。かく相譲りたまふこと、一二たびに非ず。故、海人、既に往還に疲れて泣きき。故、諺に曰く、「海人なれや、己が物によりて泣く」。然るに宇遅能和紀郎子は早く崩りましき。故、大雀命、天の下を治めたまひき。また昔、新羅の国主の子有り、名は天之日矛と謂ふ。この人参り渡り来つ。参り渡り来し所以は、新羅の国に一つの沼有り、名は阿具奴摩と謂ふ。(阿より下の四字は音を以ゐる)この沼の辺に、一の賤しき女、昼寝せり。ここに日の耀き虹の如く、その陰上に指しき。また一の賤しき夫有り、その状を異しと思ひて、恒にその女人の行を伺ひき。故、この女人、その昼寝せし時より姙身みて、赤き玉を生みき。ここにその伺へる賤しき夫、その玉を乞ひ取りて、恒に裹みて腰に着けたり。この人、田を山谷の間に営れり。故、耕人らの飲食を一つの牛に負せて、山谷の中に入るに、その国主の子、天之日矛に遇ひ逢ひき。
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『古事記』中巻・伊豆志袁登売と兄弟の賭け次に清日子、三柱。この清日子、当摩の咩斐を娶りて、子を生む。酢鹿之諸男、次に妹菅竈上由良度美。(この四字は音を以ゐる)故、上に云ふ多遅摩比多訶、その姪、由良度美を娶りて、子を生む。葛城之高額比売命。(これは息長帯比売命の御祖なり。)故、その天之日矛の持ち渡り来し物は、玉津宝と云ひて、珠二貫、また振浪比礼・切浪比礼・振風比礼・切風比礼、また奥津鏡・辺津鏡、并せて八種なり。(これは伊豆志の八前の大神なり。)故、この神の女、名は伊豆志袁登売神坐す。故、八十神、この伊豆志袁登売を得むと欲へども、皆婚ふことを得ず。ここに二神有り、兄は秋山之下氷壮夫と号け、弟は春山之霞壮夫と名づく。故、その兄、その弟に謂ひて、「吾、伊豆志袁登売を乞へども、婚ふことを得ず。汝、この嬢子を得むや」といへば、答へて曰く、「易く得む」といふ。ここにその兄曰く、「若し汝、この嬢子を得ば、上下の衣服を避き、身の高さを量りて甕の酒を醸み、また山河の物を悉に備へ設けて、宇礼豆玖(自宇至玖以音。下効此)を為む」と云ふ。ここにその弟、兄の言の如く、具さにその母に白しき。すなはちその母、布遅葛を取りて、一宿の間に、衣褌及び襪沓を織り縫ひ、
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『古事記』上巻・豊玉毘売の出産と別れ故、今に至るまで、その溺れし時の種種の態、絶えず仕へ奉るなり。ここに海神の女豊玉毘売命、自ら参出て白ししく、「妾、已に妊身めり。今産む時に臨みて、此を念ふ。天つ神の御子は、海原に生むべからず。故、参出到れり」とまをしき。ここに即ちその海辺の波限に、鵜の羽を葺草にして、産殿を造りき。ここにその産殿、未だ葺き合へぬに、御腹の急しきに忍へず、故、産殿に入り坐しき。ここに産まむとする時に、その日子に白して言ひしく、「凡そ佗し国の人は、産む時に臨みて、本つ国の形を以ちて産生むなり。故、妾今、本の身を以ちて産まむとす。願はくは、妾を見ること勿かれ」といひき。ここにその言を奇しと思ひて、窃かにその方に産むを伺へば、八尋和邇に化りて、匍匐ひ委蛇ひき。即ち見驚き畏みて遁げ退きたまひき。ここに豊玉毘売命、その伺ひ見たまひし事を知りて、心恥しと以為ひ、乃ちその御子を生み置きて、白ししく、「妾は恒に海つ道を通りて往来はむと欲ひき。然れども吾が形を伺ひ見たまひし、これいと怍し」とまをして、即ち海坂を塞ぎて返り入りき。ここを以ちてその産みし御子を名づけて、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と謂ふ。(波限を訓みて那芸佐と云ひ、葺草を訓みて加夜と云ふ)然れども後は、その伺ひたまひし情を恨みつつも、恋ふる心に忍へずて、その御子を治め養ふ縁に因りて、その弟玉依毘売に附けて歌を献りき。
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『古事記』上巻・綿津見神の宮と豊玉毘売その綿津見神の宮なり。その神の御門に到りたまはば、傍の井の上に、湯津香木有らむ。故、その木の上に坐さば、その海神の女、見て相議らむものぞ」といひき。(香木を訓みて加都良と云ふ)故、教への随に少し行きしに、備さに言の如くなりき。即ちその香木に登りて坐しき。ここに海神の女豊玉毘売の従婢、玉器を持ちて水を酌まむとする時に、井に光有りき。仰ぎ見れば麗しき壮夫有り。(壮夫を訓みて遠登古と云ふ。下もこれに効へ)いと異しと奇びき。ここに火遠理命、その婢を見て、水を得まく欲しと乞ひたまひき。婢乃ち水を酌みて、玉器に入れて貢進りき。ここに水を飲まさずて、御頸の璵を解き、口に含みて、その玉器に唾き入れたまひき。ここにその璵、器に著きて、婢、璵を離つこと得ず。故、璵を著けながらに、豊玉毘売命に進りき。ここにその璵を見て、婢に問ひて曰ひしく、「もし人、門の外に有りや」といひき。答へて曰ひしく、「人有り、我が井の上の香木の上に坐す。いと麗しき壮夫なり。我が王に益して甚だ貴し。故、その人水を乞ひしかば、水を奉りしに、水を飲まずて、この璵を唾き入れつ。これ離つこと得ず。故、入れながらに将ち来て献る」といひき。ここに豊玉毘売命、奇しと思ひて、出で見て、乃ち見感でて、目合して、その父に白して曰ひしく、「吾が門に麗しき人有り」といひき。
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