古事記 / 中巻・応神天皇の子孫と崩御
於是其身如本以安平也。(此者神宇禮豆玖之言本者也。)又此品陀天皇之御子。若野毛二俣王。娶其母弟百師木伊呂辨。亦名弟日賣眞若比賣命。生子大郎子。亦名意富富杼王。次忍坂之大中津比賣命。次田井之中比賣。次田宮之中比賣。次藤原之琴節郎女。次取賣王。次沙禰王。七王。故意富富杼王者。三國君。波多君。息長君。坂田酒人君。山道君。筑紫之米多君。布勢君等之祖也。又根鳥王娶庶妹三腹郎女。生子中日子王。次伊和島王。二柱。又堅石王之子者。久奴王也。凡此品陀天皇。御年壹佰參拾歲。(甲午歲九月九日崩)御陵在川內惠賀之裳伏岡也。
新字:於是其身如本以安平也。(此者神宇礼豆玖之言本者也。)又此品陀天皇之御子。若野毛二俣王。娶其母弟百師木伊呂弁。亦名弟日売真若比売命。生子大郎子。亦名意富富杼王。次忍坂之大中津比売命。次田井之中比売。次田宮之中比売。次藤原之琴節郎女。次取売王。次沙祢王。七王。故意富富杼王者。三国君。波多君。息長君。坂田酒人君。山道君。筑紫之米多君。布勢君等之祖也。又根鳥王娶庶妹三腹郎女。生子中日子王。次伊和島王。二柱。又堅石王之子者。久奴王也。凡此品陀天皇。御年壱佰参拾歳。(甲午歳九月九日崩)御陵在川内恵賀之裳伏岡也。
書き下し
ここにその身、本の如く安平らぎき。(これは神の宇礼豆玖の言の本なり。)また、この品陀天皇の御子、若野毛二俣王、その母の弟、百師木伊呂弁、またの名は弟日売真若比売命を娶りて、子を生む。大郎子、またの名は意富富杼王、次に忍坂之大中津比売命、次に田井之中比売、次に田宮之中比売、次に藤原之琴節郎女、次に取売王、次に沙禰王、七王。故、意富富杼王は、三国君・波多君・息長君・坂田酒人君・山道君・筑紫之米多君・布勢君らの祖なり。また根鳥王、庶妹、三腹郎女を娶りて、子を生む。中日子王、次に伊和島王、二柱。また堅石王の子は、久奴王なり。凡そこの品陀天皇の御年は壱佰参拾歳。(甲午の歳の九月九日に崩りましき。)御陵は川内の恵賀の裳伏岡に在り。
現代語訳
こうして兄の身はもとのように安らかになりました。(これが神の宇礼豆玖という言葉の起こりです。)また、この品陀天皇(応神天皇)の御子の若野毛二俣王は、母の妹の百師木伊呂弁、またの名を弟日売真若比売命を娶り、子を生みました。大郎子、またの名を意富富杼王、次に忍坂之大中津比売命、次に田井之中比売、次に田宮之中比売、次に藤原之琴節郎女、次に取売王、次に沙禰王の、あわせて七王です。意富富杼王は、三国君・波多君・息長君・坂田酒人君・山道君・筑紫之米多君・布勢君らの祖先です。また根鳥王が異母妹の三腹郎女を娶り、中日子王、次に伊和島王の二柱が生まれました。また堅石王の子は久奴王です。およそこの品陀天皇の享年は百三十歳で、甲午の年の九月九日に崩御しました。御陵は川内の恵賀の裳伏岡にあります。
解説
この章句が説くこと
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