古事記 / 中巻・御子の名と后の遺言
是以取獲其御子。不得其御祖。故其軍士等還來奏言。御髮自落。御衣易破。亦所纒御手之玉緒便絶。故。不獲御祖。取得御子。爾天皇悔恨而。惡作玉人等。皆奪其地。故諺曰。不得地玉作也。亦天皇命詔其后言。凡子名必母名。何稱是子之御名。爾答白。今當火燒稻城之時而。火中所生故。其御名。宜稱本牟智和氣御子。又命詔。何爲日足奉。答白。取御母。定大湯坐。若湯坐。宜日足奉。故隨其后白。以日足奉也。又問其后曰。汝所堅之美豆能小佩者誰解。(美豆能三字以音也)答白。旦波比古多多須美智能宇斯王(日子坐王子、開化孫也、沙本毘賣之異母兄弟)之女。名兄比賣。弟比賣。茲二女王。淨公民。故宜使也。然遂殺其沙本比古王。其伊呂妹亦從也。
新字:是以取獲其御子。不得其御祖。故其軍士等還来奏言。御髪自落。御衣易破。亦所纒御手之玉緒便絶。故。不獲御祖。取得御子。爾天皇悔恨而。悪作玉人等。皆奪其地。故諺曰。不得地玉作也。亦天皇命詔其后言。凡子名必母名。何称是子之御名。爾答白。今当火焼稲城之時而。火中所生故。其御名。宜称本牟智和気御子。又命詔。何為日足奉。答白。取御母。定大湯坐。若湯坐。宜日足奉。故随其后白。以日足奉也。又問其后曰。汝所堅之美豆能小佩者誰解。(美豆能三字以音也)答白。旦波比古多多須美智能宇斯王(日子坐王子、開化孫也、沙本毘売之異母兄弟)之女。名兄比売。弟比売。茲二女王。浄公民。故宜使也。然遂殺其沙本比古王。其伊呂妹亦従也。
書き下し
ここをもちてその御子を取り獲て、その御祖を得ず。かれその軍士等還り来て奏して言さく、「御髪自ら落ち、御衣は易く破れ、また纒かせる御手の玉の緒便ち絶えぬ。かれ御祖を獲ずて、御子を取り得たり」とまをしき。爾して天皇悔い恨みたまひて、玉を作る人等を悪(にく)みて、皆その地を奪ひたまひき。かれ諺に「地を得ぬ玉作」といふなり。また天皇、その后に命詔(のりたま)はく、「すべて子の名は必ず母の名づくるを、何(いか)にかこの子の御名を称(い)はむ」とのりたまひき。爾して答へ白さく、「今まさに火をもちて稲城を焼く時に、火の中に生まれませるが故に、その御名は、本牟智和気御子と称ふべし」とまをしたまひき。また命詔はく、「何(いか)にしてか日足(ひた)し奉らむ」とのりたまひき。答へ白さく、「御母を取り、大湯坐(おほゆゑ)、若湯坐(わかゆゑ)を定めて、日足し奉るべし」とまをしたまひき。かれその后の白したまひし随(まにま)に、日足し奉りき。また、その后に問ひて曰はく、「汝(なれ)の堅めし美豆能小佩(みづのをひも)は誰か解かむ」とのりたまひき。(美豆能の三字は音をもちてす。)答へ白さく、「旦波比古多多須美智能宇斯王(日子坐王の子、開化の孫なり。沙本毘売の異母兄弟)の女、名は兄比売、弟比売、この二柱の女王、浄き公民(おほみたから)なり。かれ使ふべし」とまをしたまひき。然れども遂にその沙本毘古王を殺しつ。その伊呂妹(いろも)もまた従ひたまひき。
現代語訳
こうして兵たちは御子は受け取ったものの、母君は捕らえられませんでした。兵たちは戻って報告しました。「御髪は自然に抜け落ち、御衣は簡単に破れ、手に巻かれた玉の緒もすぐに切れました。それで母君は捕らえられず、御子だけを受け取りました」。天皇は悔やみ恨んで、玉を作る職人たちを憎み、その土地をすべて取り上げました。そのため「土地を得られない玉作り」という諺が生まれました。天皇は后に言いました。「子の名は必ず母がつけるものだが、この子の名は何としようか」。后は答えました。「ちょうど稲の砦に火をつけて焼く時、火の中でお生まれになりましたから、御名は本牟智和気御子とするのがよいでしょう」。天皇はまた尋ねました。「どのようにお育てしようか」。后は答えました。「乳母を定め、大湯坐と若湯坐という産湯の世話役をおいて、お育てください」。天皇は后の言うとおりにして御子を育てました。また天皇は后に尋ねました。「おまえが固く結んだ下着の紐は、誰がほどくのか」。后は答えました。「旦波比古多多須美智能宇斯王(日子坐王の子で、開化天皇の孫、沙本毘売の異母兄弟)の娘、兄比売と弟比売の二人の王女は、清らかな民です。この二人をお召しください」。しかし結局、天皇は沙本毘古王を殺しました。その妹である后もまた、兄に従って死にました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古事記』中巻・稲城の戦いと后の覚悟その王稲城(いなき)を作りて待ち戦ひき。この時沙本毘売命、その兄に忍びずて、後つ門より逃げ出でて、その稲城に納(い)りましき。この時その后妊身(はら)みませり。ここに天皇、その后の懐妊(はら)めるに忍びず、また重く愛しみたまふこと三年に至りき。かれその軍を廻らして、急(には)かに攻め追はざりき。かく逗留(とどま)れる間に、その妊(はら)めりし御子既に産まれましぬ。かれその御子を出して、稲城の外に置き、天皇に白さしめたまひしく、「もしこの御子を、天皇の御子と思ほし看さば、治め賜ふべし」とまをしたまひき。ここに天皇、その兄を怨みたまへども、なほその后を愛しむことに忍びたまはざる故に、即ち后を得むの心あり。ここをもちて軍士の中の力士(ちからびと)の軽く捷(はや)きを選(え)り聚(あつ)めて、宣(のたま)はく、「その御子を取らむ時に、乃ちその母王をも掠(かす)め取れ。或いは髪、或いは手、当(まさ)に取り獲むに随(まにま)に、掬(すく)ひて控(ひ)き出せ」とのりたまひき。爾してその后、豫(あらかじ)めその情(こころ)を知りて、悉(ことごと)くその髪を剃り、その髪をもちてその頭を覆ひ、また玉の緒を腐(くた)して三重に手に纒き、また酒をもちて御衣を腐して、全き衣のごとく服(き)たまへり。かく設け備へて、その御子を抱きて、城の外に刺し出したまひき。爾してその力士等その御子を取り、即ちその御祖(みおや)を握りき。爾してその御髪を握れば、御髪自ら落ち、その御手を握れば、玉の緒また絶え、その御衣を握れば、御衣便ち破れき。
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『古事記』中巻・言葉を発しない御子かれその御子を率(ゐ)て遊ばせし状(さま)は、尾張の相津に在る二俣榲(ふたまたすぎ)をもちて二俣小舟を作りて、持ち上り来て、倭の市師池(十市郡)、軽池に浮かべて、その御子を率て遊ばせき。然れどもこの御子、八拳鬚(やつかひげ)心の前に至るまで、真事(まこと)(御言)とは受(え)ず。(この三字は音をもちてす。)かれ今、高く行く鵠(くぐひ)の音を聞きて、始めて阿芸登比(あぎとひ)をなす。(小児の初めて語るなり。)(阿より下の四字は音をもちてす。)爾して山辺の大鶙(おほたか)(これは人の名なり)を遣はして、その鳥を取らしめたまひき。かれこの人、その鵠を追ひ尋ねて、木国より針間国に到り、また稲羽国に追ひ越えて、即ち旦波国、多遅麻国に到り、東方に追ひ廻りて、近淡海国に到り、乃ち三野国を越えて、尾張国より伝ひて、科野国に追ひ、遂に高志国に追ひ到りて、和那美の水門に網を張り、その鳥を取りて持ち上りて献りき。かれその水門を号(なづ)けて和那美の水門といふ。また、その鳥を見たまへば、物言はむと思ひて言はず、思ふごとくならず、言ふこと勿し。ここに天皇患へたまひて、御寝(みね)したまふ時に、御夢に覚(さと)して曰はく、「我が宮を修理(をさ)めて、天皇の御舎(みあらか)のごとくせば、御子は必ず真事とはむ」。(登より下の三字は音をもちてす。)かく覚(さと)したまふ時に、布斗麻邇邇(ふとまに)(太占)に占相(うらな)ひて、いづれの神の心ぞと求めき。
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『古事記』上巻・火中の出産と三柱の誕生また木花之佐久夜毘売を使はば、木の花の栄ゆるが如く栄え坐さむと、うけひて(うけひの四字は音を以ちてす)貢進りき。此に石長比売を返さしめて、独り木花之佐久夜毘売を留めたまへり。故、天つ神の御子の御寿は、木の花のあまひの微く(五字は音を以ちてす)坐さむ。故、ここを以ちて今に至るまで、天皇命らの御命長からざるなり。故、後に木花之佐久夜毘売、参出て白さく、「妾は妊身めり。今産む時に臨みぬ。これ天つ神の御子は、私に産むべからず。故、請す」とまをしき。ここに詔りたまひしく、「佐久夜毘売、一宿にや妊める。これ我が子には非じ。必ず国つ神の子ならむ」とのりたまひき。ここに答へ白ししく、「吾が妊める子、もし国つ神の子ならば、産むこと幸からじ。もし天つ神の御子ならば、幸からむ」とまをして、即ち戸無き八尋殿を作りて、その殿の内に入り、土を以ちて塗り塞ぎて、方に産む時に、火をその殿に著けて産みき。故、その火の盛りに焼ゆる時に生める子の名は、火照命(こは隼人阿多君の祖)、次に生める子の名は、火須勢理命(須勢理の三字は音を以ちてす)、次に生める子の御名は、火遠理命、またの名は天津日高日子穂穂手見命(三柱)。故、火照命は海佐知毘古(この四字は音を以ちてす。下もこれに効へ)として、鰭の広物・鰭の狭物を取り、火遠理命は山佐知毘古として、毛の麁物・毛の柔物を取りたまふ。
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『古事記』中巻・日子坐王の子孫(一)次に讃岐垂根王、二王。この二王の女、五柱坐しき。次に日子坐王、山代の荏名津比売、亦の名は苅幡戸弁(此の一字は音を以ゐよ)を娶して、子、大俣王、次に小俣王、次に志夫美宿禰王、三柱を生みたまひき。また春日建国勝戸売の女、名は沙本之大闇見戸売を娶して、子、沙本毘古王、次に袁邪本王、次に沙本毘売命、亦の名は佐波遅比売命(この沙本毘売命は、伊久米天皇(垂仁)の后と為る。沙本毘古より以下の三王の名は皆音を以ゐよ)、次に室毘古王、四柱を生みたまひき。また近淡海の御上の祝が以ち伊都玖(此の三字は音を以ゐよ)天之御影神の女、息長水依比売を娶して、子、丹波比古多多須美知能宇斯王(この王の名は音を以ゐよ)、次に水穂真若王、次に神大根王、亦の名は八瓜入日子王、次に水穂五百依比売、次に御井津比売、五柱を生みたまひき。また、その母の弟袁祁都比売命を娶して、子、山代之大筒木真若王、次に比古意須王、
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『古事記』中巻・皇后選びと伊須気余理比売故、日向に坐しし時、阿多の小椅君の妹、名は阿比良比売(阿より以下の五字は音を以ちてす)を娶りて、生める子、多芸志美美命、次に岐須美美命、二柱坐しき。然れども更に大后と為む美人を求ぎたまひし時、大久米命曰ひしく、「ここに媛女有り。こを神の御子と謂ふ。その神の御子と謂ふ所以は、三島の湟咋の女、名は勢夜陀多良比売、その容姿麗美しきが故に、美和の大物主神、見感でて、その美人の大便為れる時、丹塗矢に化りて、その大便為れる溝より流れ下りて、その美人の富登(この二字は音を以ちてす。下もこれに効ふ)を突きき。ここにその美人驚きて、立ち走りいすすきき(この五字は音を以ちてす)。乃ちその矢を将ち来て、床の辺に置けば、忽ちに麗しき壮夫に成りて、即ちその美人を娶して生める子、名は富登多多良伊須須岐比売命、またの名は比売多多良伊須気余理比売と謂ふ。(こは、その富登と云ふ事を悪みて、後に名を改めつるなり。)ここを以ちて神の御子と謂ふなり」といひき。ここに七媛女、高佐士野(佐士の二字は音を以ちてす)に遊行びき。伊須気余理比売その中に在りき。
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