古事記 / 中巻・稲城の戦いと后の覚悟
其王作稻城以待戰。此時沙本毘賣命。不得忍其兄。自後門逃出而。納其之稻城。此時其后姙身。於是。天皇不忍其后懷姙。及重愛至于三年。故廻其軍。不急攻追。如此逗留之間。其所姙之御子既産。故出其御子。置稻城外。令白天皇。若此御子矣。天皇之御子所思看者。可治賜。於是天皇雖怨其兄。猶不得忍愛其后故。即有得后之心。是以選聚軍士之中力士輕捷提而。宣者。取其御子之時。乃掠取其母王。或髮或手。當隨取獲而。掬以控出。爾其后豫知其情。悉剃其髮。以髮覆其頭。亦腐玉緒。三重纒手。且以酒腐御衣。如全衣服。如此設備而。抱其御子。刺出城外。爾其力士等取其御子。即握其御祖。爾握其御髮者。御髮自落。握其御手者。玉緒且絶。握其御衣者。御衣便破。
新字:其王作稲城以待戦。此時沙本毘売命。不得忍其兄。自後門逃出而。納其之稲城。此時其后姙身。於是。天皇不忍其后懐姙。及重愛至于三年。故廻其軍。不急攻追。如此逗留之間。其所姙之御子既産。故出其御子。置稲城外。令白天皇。若此御子矣。天皇之御子所思看者。可治賜。於是天皇雖怨其兄。猶不得忍愛其后故。即有得后之心。是以選聚軍士之中力士軽捷提而。宣者。取其御子之時。乃掠取其母王。或髪或手。当随取獲而。掬以控出。爾其后予知其情。悉剃其髪。以髪覆其頭。亦腐玉緒。三重纒手。且以酒腐御衣。如全衣服。如此設備而。抱其御子。刺出城外。爾其力士等取其御子。即握其御祖。爾握其御髪者。御髪自落。握其御手者。玉緒且絶。握其御衣者。御衣便破。
書き下し
その王稲城(いなき)を作りて待ち戦ひき。この時沙本毘売命、その兄に忍びずて、後つ門より逃げ出でて、その稲城に納(い)りましき。この時その后妊身(はら)みませり。ここに天皇、その后の懐妊(はら)めるに忍びず、また重く愛しみたまふこと三年に至りき。かれその軍を廻らして、急(には)かに攻め追はざりき。かく逗留(とどま)れる間に、その妊(はら)めりし御子既に産まれましぬ。かれその御子を出して、稲城の外に置き、天皇に白さしめたまひしく、「もしこの御子を、天皇の御子と思ほし看さば、治め賜ふべし」とまをしたまひき。ここに天皇、その兄を怨みたまへども、なほその后を愛しむことに忍びたまはざる故に、即ち后を得むの心あり。ここをもちて軍士の中の力士(ちからびと)の軽く捷(はや)きを選(え)り聚(あつ)めて、宣(のたま)はく、「その御子を取らむ時に、乃ちその母王をも掠(かす)め取れ。或いは髪、或いは手、当(まさ)に取り獲むに随(まにま)に、掬(すく)ひて控(ひ)き出せ」とのりたまひき。爾してその后、豫(あらかじ)めその情(こころ)を知りて、悉(ことごと)くその髪を剃り、その髪をもちてその頭を覆ひ、また玉の緒を腐(くた)して三重に手に纒き、また酒をもちて御衣を腐して、全き衣のごとく服(き)たまへり。かく設け備へて、その御子を抱きて、城の外に刺し出したまひき。爾してその力士等その御子を取り、即ちその御祖(みおや)を握りき。爾してその御髪を握れば、御髪自ら落ち、その御手を握れば、玉の緒また絶え、その御衣を握れば、御衣便ち破れき。
現代語訳
沙本毘古王は稲を積んだ砦を築いて迎え撃ちました。このとき沙本毘売命は兄を見捨てるに忍びず、裏門から逃げ出して、その砦に入りました。后はそのとき身ごもっていました。天皇は后が身重であることに耐えられず、またとても深く愛していたので、三年にわたって攻めあぐね、軍をめぐらせるだけで急いで攻め立てませんでした。そうして時が過ぎる間に、身ごもっていた御子が生まれました。后はその御子を砦の外に出して置き、天皇にこう伝えさせました。「もしこの御子を天皇の御子とお思いになるなら、お引き取りください」。天皇は兄を恨みながらも、后を愛する気持ちを断ち切れず、后を取り戻したいと考えました。そこで兵士の中から力が強くて身軽な者を選び集め、命じました。「御子を受け取るとき、そのまま母君もさらってこい。髪でも手でも、つかめたところを、すくい上げて引き出せ」。后はあらかじめその心を察していました。髪をすべて剃り、その髪でかつらのように頭を覆い、玉飾りの緒を腐らせて手に三重に巻き、酒で衣を腐らせて、無事な衣のように着ていました。こうして備えたうえで、御子を抱いて城の外へ差し出しました。力士たちは御子を受け取ると、すぐに母君をつかみました。髪をつかめば髪が抜け落ち、手をつかめば玉の緒が切れ、衣をつかめば衣が破れてしまいました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『古事記』中巻・沙本毘古の謀反と后の涙爾(そ)して沙本毘古王謀(はか)りて曰はく、「汝(いまし)まことに我を思ひ愛(うつく)しむ者ならば、吾と汝と天の下を治めむ」といひて、即ち八塩折(やしおをり)の紐小刀(ひもがたな)を作りて、その妹に授けて曰はく、「この小刀をもちて、天皇の寝(い)ねたるを刺し殺せ」といふ。かれ天皇その謀を知らずして、その后の御膝を枕(ま)きて、御寝(みね)坐(ま)しき。爾してその后、紐小刀をもちて、その天皇の御頸を刺さむとして、三度挙げしが、哀(かな)しき情に忍びず、頸を刺すこと能はずて、泣く涙御面に落ち溢れき。乃ち天皇驚き起きて、その后に問ひて曰はく、「吾は異(あや)しき夢を見つ。沙本(さほ)(城上)の方より暴雨(にはかあめ)降り来て、急(にはか)に吾が面を濡らす。また錦色の小蛇、我が頸に纒(まつ)はり繞(めぐ)る。かくの夢は、これ何の表(しるし)ならむ」と。爾してその后、争ふべからずと以為(おも)ひて、即ち天皇に白して言はく、「妾(われ)の兄沙本毘古王、妾に問ひて、『夫(せ)と兄とは孰(いづれ)か愛(うつく)しき』といひき。これ面(まのあた)り問ふに勝(あ)へざる故に、妾答へて『兄を愛しけむ』と曰ひき。爾して妾に誂(あつら)へて『吾と汝と共に天の下を治めむ。かれ当に天皇を殺すべし』と云ひて、八塩折の紐小刀を作りて、妾に授けき。ここをもちて御頸を刺さむと欲(し)て、三度挙げたりといへども、哀しき情忽ちに起こりて、頸を刺すこと得ずて、泣く涙落ちて、御面を濡らしき。必ずこの表あらむ」とまをしき。爾して天皇詔りたまひしく、「吾は殆(ほとほと)欺かれつるかも」とのりたまひて、乃ち軍を興して沙本毘古王を撃ちたまひし時、
-
『古事記』中巻・御子の名と后の遺言ここをもちてその御子を取り獲て、その御祖を得ず。かれその軍士等還り来て奏して言さく、「御髪自ら落ち、御衣は易く破れ、また纒かせる御手の玉の緒便ち絶えぬ。かれ御祖を獲ずて、御子を取り得たり」とまをしき。爾して天皇悔い恨みたまひて、玉を作る人等を悪(にく)みて、皆その地を奪ひたまひき。かれ諺に「地を得ぬ玉作」といふなり。また天皇、その后に命詔(のりたま)はく、「すべて子の名は必ず母の名づくるを、何(いか)にかこの子の御名を称(い)はむ」とのりたまひき。爾して答へ白さく、「今まさに火をもちて稲城を焼く時に、火の中に生まれませるが故に、その御名は、本牟智和気御子と称ふべし」とまをしたまひき。また命詔はく、「何(いか)にしてか日足(ひた)し奉らむ」とのりたまひき。答へ白さく、「御母を取り、大湯坐(おほゆゑ)、若湯坐(わかゆゑ)を定めて、日足し奉るべし」とまをしたまひき。かれその后の白したまひし随(まにま)に、日足し奉りき。また、その后に問ひて曰はく、「汝(なれ)の堅めし美豆能小佩(みづのをひも)は誰か解かむ」とのりたまひき。(美豆能の三字は音をもちてす。)答へ白さく、「旦波比古多多須美智能宇斯王(日子坐王の子、開化の孫なり。沙本毘売の異母兄弟)の女、名は兄比売、弟比売、この二柱の女王、浄き公民(おほみたから)なり。かれ使ふべし」とまをしたまひき。然れども遂にその沙本毘古王を殺しつ。その伊呂妹(いろも)もまた従ひたまひき。
-
『古事記』中巻・垂仁の御子と沙本毘古また鳥取(和泉日根郡)の河上宮に坐しまして、横刀一千口を作らしめき。これを石上神宮に奉納めき。すなはちその宮に坐しまして、河上部を定めたまひき。次に大中津日子命は、(山辺(大和郡名)の別、三枝の別、稲木の別、阿太の別、尾張国の三野(中島郡)別、吉備の石无別、許呂母の別、高巣鹿の別、飛島君、牟礼の別らの祖なり。)次に倭比売命は、(伊勢大神宮を拝き祭りたまひき。)次に伊許婆夜和気王は、(沙本の穴太部の別の祖なり。)次に阿邪美都比売命は、(稲瀬毘古王に嫁ぎたまひき。)次に落別王は、(小月の山君、三川の衣君の祖なり。)次に五十日帯日子王は、(春日山君、高志の池君、春日部君の祖なり。)次に伊登志和気王は、(子無きに因りて、子代として、伊登志部を定めたまひき。)次に石衝別王は、(羽咋君、三尾君の祖なり。)次に布多遅能伊理毘売命は、(倭建命の后と為りたまひき。)この天皇、沙本毘売命を以ちて后と為したまひし時に、沙本毘売命の兄、沙本毘古王、その伊呂妹に問ひて曰く、「夫と兄と孰れか愛しき」と。答へて曰く、「兄を愛しぶ」と。
-
『古事記』中巻・日子坐王の子孫(一)次に讃岐垂根王、二王。この二王の女、五柱坐しき。次に日子坐王、山代の荏名津比売、亦の名は苅幡戸弁(此の一字は音を以ゐよ)を娶して、子、大俣王、次に小俣王、次に志夫美宿禰王、三柱を生みたまひき。また春日建国勝戸売の女、名は沙本之大闇見戸売を娶して、子、沙本毘古王、次に袁邪本王、次に沙本毘売命、亦の名は佐波遅比売命(この沙本毘売命は、伊久米天皇(垂仁)の后と為る。沙本毘古より以下の三王の名は皆音を以ゐよ)、次に室毘古王、四柱を生みたまひき。また近淡海の御上の祝が以ち伊都玖(此の三字は音を以ゐよ)天之御影神の女、息長水依比売を娶して、子、丹波比古多多須美知能宇斯王(この王の名は音を以ゐよ)、次に水穂真若王、次に神大根王、亦の名は八瓜入日子王、次に水穂五百依比売、次に御井津比売、五柱を生みたまひき。また、その母の弟袁祁都比売命を娶して、子、山代之大筒木真若王、次に比古意須王、
-
『古事記』中巻・当芸志美美の謀反と母の歌天皇の御歌に曰く、「葦原の しけしき小屋に 菅畳 いや清敷きて 我が二人寝し」と。然して阿礼坐しし御子の名は、日子八井命、次に神八井耳命、次に神沼河耳命、三柱なり。かれ天皇崩りて後に、その庶兄当芸志美美命、その嫡后伊須気余理比売を娶りし時に、その三の弟を殺さむとして謀る間に、その御祖伊須気余理比売患へ苦しびて、歌を以てその御子等に知らしめき。歌に曰く、「狭井河よ 雲立ち渡り 畝火山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす」と。また歌ひて曰く、「畝火山 昼は雲とゐ 夕されば 風吹かむとぞ 木の葉さやげる」と。ここにその御子聞き知りて、驚きて、すなはち当芸志美美を殺さむとしたまふ時に、神沼河耳命、その兄神八井耳命に曰く、「那泥(此の二字は音を以ゐよ)、汝命、兵を持ちて入りて、当芸志美美を殺したまへ」と。かれ兵を持ちて入り、殺さむとする時に、手足わななきて(此の五字は音を以ゐよ)、殺すことを得ざりき。
-
『古事記』中巻・倭比売の囊と野の火「天皇、既に吾を死ねと思ほすゆゑか。何ぞ西の方の悪しき人等を撃ちに遣はして、返り参上り来し間、未だ幾時も経ぬに、軍衆(いくさびと)を賜はずて、今更に東の方十二道の悪しき人等を平らげに遣はすらむ。これによりて思惟(おもひ)みるに、なほ吾既に死ねと思ほし看すなり」と患ひ泣きて罷りたまふ時に、倭比売命、草那芸剣を賜ひ、また御囊を賜ひて詔りたまはく、「もし急かなる事あらば、この囊の口を解け」とのりたまひき。かれ尾張国に到りて、尾張国造の祖、美夜受比売の家に入り坐しき。乃ち婚はむと思ほせども、また還り上らむ時に婚はむと思ほして、期(ちぎ)り定めて東国に幸でまし、悉く山河の荒ぶる神、また伏ろはぬ人等を言向け和平したまひき。かれここに相武国に到りし時に、その国造詐りて白さく、「この野の中に大沼あり。この沼の中に住む神、甚だ道速振る神なり」とまをしき。ここにその神を看に行きたまひて、その野に入り坐しき。爾してその国造、その野に火を著けき。かれ欺かれたりと知りて、その姨倭比売命の給へる囊の口を解き開けて見たまへば、火打ちその裏にありき。ここに先づその御刀をもちて草を刈り撥ひ、その火打ちをもちて火を打ち出して、向火(むかへび)を著けて焼き退け、還り出でて、皆その国造等を切り滅ぼし、即ち火を著けて焼きたまひき。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る