古事記 / 上巻・笠沙の宮と海鼠の口
手挾天之眞鹿兒矢。立御前而仕奉。故其天忍日命。(此者大伴連等之祖)天津久米命。(此者久米直等之祖也)於是詔之。此地者。向韓國眞來通笠沙之御前而。朝日之直刺國。夕日之日照國也。故此地甚吉地詔而。於底津石根。宮柱布斗斯理。於高天原氷椽多迦斯理而坐也。故爾詔天宇受賣命。此立御前所仕奉猨田毘古大神者。專所顯申之汝送奉。亦其神御名者。汝負仕奉。是以。猨女君等負其猨田毘古之男神名而。女呼猨女君之事是也。故其猨田毘古神坐阿邪訶(此三字以音。地名)時。爲漁而。於比良夫貝(自比至夫以音)其手見咋合而。沈溺海鹽。故其沈居底之時名。謂底度久御魂。(度久二字以音)其海水之都夫多都時名。謂都夫多都御魂。(自都下四字以音)其阿和佐久時名。謂阿和佐久御魂。(自阿至久以音)於是送猨田毘古神而還到。乃悉追聚鰭廣物鰭狹物以。問言汝者天神御子仕奉耶之時。諸魚皆仕奉白之中。海鼠不白。
新字:手挟天之真鹿児矢。立御前而仕奉。故其天忍日命。(此者大伴連等之祖)天津久米命。(此者久米直等之祖也)於是詔之。此地者。向韓国真来通笠沙之御前而。朝日之直刺国。夕日之日照国也。故此地甚吉地詔而。於底津石根。宮柱布斗斯理。於高天原氷椽多迦斯理而坐也。故爾詔天宇受売命。此立御前所仕奉猨田毘古大神者。専所顕申之汝送奉。亦其神御名者。汝負仕奉。是以。猨女君等負其猨田毘古之男神名而。女呼猨女君之事是也。故其猨田毘古神坐阿邪訶(此三字以音。地名)時。為漁而。於比良夫貝(自比至夫以音)其手見咋合而。沈溺海塩。故其沈居底之時名。謂底度久御魂。(度久二字以音)其海水之都夫多都時名。謂都夫多都御魂。(自都下四字以音)其阿和佐久時名。謂阿和佐久御魂。(自阿至久以音)於是送猨田毘古神而還到。乃悉追聚鰭広物鰭狭物以。問言汝者天神御子仕奉耶之時。諸魚皆仕奉白之中。海鼠不白。
書き下し
手に天の真鹿児矢を挟み、御前に立ちて仕へ奉りき。故、その天忍日命(こは大伴連らの祖)、天津久米命(こは久米直らの祖なり)。ここに詔りたまひしく、「此地は、韓国に向ひ、真来通りて、笠沙の御前にして、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、此地はいと吉き地」と詔りたまひて、底つ石根に宮柱ふとしり、高天原に氷椽たかしりて坐しき。ここに天宇受売命に詔りたまひしく、「此の御前に立ちて仕へ奉れる猨田毘古大神は、専ら顕はし申せし汝、送り奉れ。またその神の御名は、汝負ひて仕へ奉れ」とのりたまひき。ここを以ちて猨女君らは、その猨田毘古の男神の名を負ひて、女を猨女君と呼ぶ事これなり。故、その猨田毘古神、阿邪訶(この三字は音を以ちてす。地名)に坐しし時、漁して、比良夫貝(ひよりふまでは音を以ちてす)にその手を咋ひ合はさえて、海塩に沈溺れき。故、その底に沈み居し時の名は、底どく御魂(どくの二字は音を以ちてす)と謂ひ、その海水のつぶたつ時の名は、つぶたつ御魂(つよりしも四字は音を以ちてす)と謂ひ、その泡咲く時の名は、あわさく御魂(あよりくまでは音を以ちてす)と謂ふ。ここに猨田毘古神を送りて還り到りて、乃ち悉に鰭の広物・鰭の狭物を追ひ聚めて、問ひて言ひしく、「汝は天つ神の御子に仕へ奉らむや」といひし時、諸の魚、皆「仕へ奉らむ」と白す中に、海鼠は白さざりき。
現代語訳
天の立派な鹿児矢を手にはさみ、御前に立ってお仕えしました。この天忍日命は大伴連らの祖、天津久米命は久米直らの祖です。そこで邇邇芸命は、「この地は、韓国に向かい、笠沙の岬にまっすぐ通じていて、朝日がまっすぐにさし、夕日が照る国である。だからこの地はたいへん良い土地だ」と仰せになり、地底の岩盤に太い宮柱を立て、高天原に届くほど高く千木を掲げて宮を営み、お住まいになりました。それから邇邇芸命は天宇受売命に命じました。「ここで御前に立ってお仕えした猿田毘古大神は、先に正体を明らかにして申し出たあなたが、送り届けなさい。またその神の御名はあなたが受け継いでお仕えしなさい」。こうして猿女君らは猿田毘古神の名を受け継ぎ、女性を猿女君と呼ぶようになりました。さて猿田毘古神は阿邪訶という所におられたとき、漁をして比良夫貝に手を挟まれ、海水に沈んで溺れました。その底に沈んでいたときの名を底どく御魂といい、海水がつぶつぶと立つときの名をつぶたつ御魂といい、泡が咲くときの名をあわさく御魂といいます。さて猿田毘古神を送り届けて戻った天宇受売命は、すぐにあらゆる大小の魚を残らず集めて、「あなたたちは天つ神の御子にお仕えするか」と問いました。魚たちはみな「お仕えします」と答えた中で、ナマコだけは答えませんでした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古語拾遺』猿田彦と蟹守乃ち其の胸乳を露わし、裳帯を臍の下に抑え下げて、向かい立ちて咲噱う。是の時、衢神問いて曰く、「汝何の故に然か為すや」と。天鈿女命反りて問いて曰く、「天孫の幸す所の路に居る者は誰ぞ」と。衢神対えて曰く、「天孫降りますべしと聞く。故に迎え奉りて相待つ。吾が名は是れ猿田彦大神なり」と。時に天鈿女命復た問いて曰く、「汝先に行くべきか、将た吾先に行くべきか」と。対えて曰く、「吾先に啓き行かん」と。天鈿女復た問いて曰く、「汝何処に到るべきか、将た天孫何処に到るべきか」と。対えて曰く、「天孫は当に筑紫の日向の高千穂の槵触の峰に到るべし。吾は伊勢の狭長田の五十鈴の川上に到るべし」と。因りて曰く、「吾を発顕せる者は汝なり。吾を送りて致すべし」と。天鈿女命還りて報す。天孫降臨、果たして皆期の如し。天鈿女命、乞うに随いて侍り送る。是を以て群神勅を奉じて天孫に陪従し、世を歴て相承け、各々其の職に供す。天祖彦火尊、海神の女豊玉姫命を娉りて、彦瀲尊を生む。誕育の日、海浜に室を立つ。時に掃守連の遠祖天忍人命、供奉して陪侍し、箒を作りて蟹を掃う。仍りて鋪設を掌り、遂に以て職と為す。号して蟹守と曰う。
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『古事記』上巻・天孫降臨の命と邇邇芸命故、建御雷神、返り参上りて、葦原中国を言向け和平しし状を復奏しき。ここに天照大御神、高木神の命以ちて、太子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命に詔りたまひしく、「今、葦原中国を平け訖へぬと白す。故、言依さし賜へるまにまに、降り坐して知らせ」とのりたまひき。ここにその太子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命、答へ白ししく、「僕は降らむ装束せしむる間に、子生れ出でぬ。名は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命。この子を降すべし」とまをしき。この御子は、高木神の女、万幡豊秋津師比売命に御合ひて、生める子、天火明命、次に日子番能邇邇芸命(二柱)なり。ここを以ちて白しし随に、日子番能邇邇芸命に科せ詔りたまひしく、「この豊葦原水穂国は、汝が知らさむ国ぞと言依さし賜ふ。故、命のまにまに天降るべし」とのりたまひき。ここに日子番能邇邇芸命、天降りせむとする時に、天の八衢に居て、上は高天原を光らし、下は葦原中国を光らす神、ここにありき。故、ここに天照大御神、高木神の命以ちて、天宇受売神に詔りたまひしく、「汝は手弱女人にはあれども、い向かふ神と(伊より布までは音を以ちてす)面勝つ神なり。
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『古事記』中巻・東征の道のりと土地の神故、豊国の宇沙に到りましし時、その土人、名は宇沙都比古・宇沙都比売(この十字は音を以ちてす)二人、足一騰宮を作りて、大御饗を献りき。その地より遷り移りて、竺紫の岡田宮に一年坐しき。また、その国より上り幸でまして、阿岐国の多祁理宮(多より下の三字は音を以ちてす)に七年坐しき。また、その国より遷り上り幸でまして、吉備の高嶋宮に八年坐しき。故、その国より上り幸でます時に、亀の甲に乗りて釣りしつつ、羽挙き来る人に、速吸門に遇ひき。ここに喚び帰せて問ひたまひしく、「汝は誰ぞ」とのりたまひき。答へ曰ひしく、「僕は国つ神、名は宇豆毘古」といひき。また問ひたまひしく、「汝は海道を知れりや」とのりたまひき。答へ曰ひしく、「能く知れり」といひき。また問ひたまひしく、「従ひて仕へ奉らむや」とのりたまひき。答へ曰ひしく、「仕へ奉らむ」といひき。故、ここに槁機を指し度し、その御船に引き入れて、即ち名を賜ひて槁根津日子と号けたまひき。(こは倭国造らの祖)故、その国より上り行でます時に、浪速の渡を経て、青雲の白肩津(河内)に泊てたまひき。この時、登美能那賀須泥毘古(登より下の九字は音を以ちてす)、軍を興して、待ち向へて戦ひき。ここに御船に入れる楯を取りて、下り立ちたまひき。
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『古事記』中巻・神託と新羅への渡海また建内宿禰、沙庭に居て、神の命を請ひき。ここに教へ覚したまふ状、具さに先の日の如し。「凡そこの国は、汝命の御腹に坐す御子の知らさむ国なり」とのりたまひき。ここに建内宿禰白さく、「恐し、我が大神、その神の腹に坐す御子は、何れの子ぞや」とまをししかば、答へて詔りたまはく、「男子ぞ」とのりたまひき。ここに具さに請ひまをさく、「今かく言ひ教へたまふ大神は、その御名を知らまくほし」とまをししかば、すなはち答へて詔りたまはく、「これは天照大神の御心ぞ。また底筒男・中筒男・上筒男の三柱の大神ぞ。(この時、その三柱の大神の御名は顕れき。)今まことにその国を求めむと思ほさば、天つ神・地つ祇、また山の神及び河海の諸の神に、悉に幣帛を奉り、我が御魂を船の上に坐せて、真木の灰を瓠に納れ、また箸及び比羅伝(この三字は音を以ゐる)を多に作りて、皆々大海に散らし浮けて渡るべし」とのりたまひき。故、教へ覚したまひし如く、軍を整へ船を雙べて渡り幸でましし時、海原の魚、大小を問はず、悉に御船を負ひて渡りき。ここに順風大きに起こり、御船、浪のまにまに行きぬ。故、その御船の波瀾、新羅の国に押し騰りて、既に国の半ばに到りき。ここにその国主、畏れ惶みて奏言さく、「今より以後、天皇の命のまにまに、御馬甘と為りて、年ごとに船を雙べて、船腹を乾さず、柂檝を乾さず、天地のむた、退くことなく仕へ奉らむ」とまをしき。

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