古語拾遺 / 所遺十一
又勝寶九歲。左辨官口宣。自今以後。伊勢大神宮幣帛使。專用中臣勿差他姓者。其事雖不行。猶所載官例未刊除。所遺十一也。
新字:又勝宝九歳。左弁官口宣。自今以後。伊勢大神宮幣帛使。専用中臣勿差他姓者。其事雖不行。猶所載官例未刊除。所遺十一也。
書き下し
又勝宝九歳、左弁官の口宣すらく、「今より以後、伊勢大神宮の幣帛使は、専ら中臣を用いて他姓を差すこと勿かれ」と。其の事行われずと雖も、猶お官例に載する所、未だ刊除せず。遺す所の十一なり。
現代語訳
また天平勝宝九歳に、左弁官が口頭で命を伝えて言った。「今より後、伊勢大神宮への幣帛使には、もっぱら中臣氏を用いて、他の姓の者を遣わしてはならない」と。このことは実際には行われていないが、それでも官の先例集に載ったまま、いまだ削除されていない。これが漏れの第十一である。
解説
「遺りたる所」の最後の条である。天平勝宝九歳に、伊勢神宮への幣帛使を中臣氏に限るという口頭の命が出された。広成自身が認めるように、この命は実際には守られていない。それでも問題にするのは、官の先例集に載ったまま削られていないからである。今は運用されていなくても、記録に残っている限り、いつでも持ち出されて根拠になりうる。広成は現に起きている不利益だけでなく、将来の不利益の芽まで数え上げている。神部の氏が減ったことを訴える第十条とあわせ、訴えはこの十一条で締めくくられ、書は御歳神の由来譚を経て跋へ進む。死文化した規定でも、文書に残る限り力を持つ。規則を見直すときには、使われていない条文こそ確かめて削っておく必要がある。
関連する章句
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『古語拾遺』所遺三〜九天照大神は本帝と殿を同じくす。故に供奉の儀、君と神と一体なり。始め天上より、中臣・斎部の二氏、相副いて日神に祷り奉り、猨女の祖も亦神の怒りを解く。然らば則ち三氏の職は相離るべからず。而るに今、伊勢の宮司は独り中臣氏に任じて、二氏を預からしめず。遺す所の三なり。凡そ神殿を造り奉るは、皆須らく神代の職に依るべし。斎部の官、御木・麁香の二郷の斎部を率いて、伐るに斎斧を以てし、掘るに斎鉏を以てす。然る後に工夫手を下し、造り畢るの後、斎部、殿祭及び門祭訖りて、乃ち御座すべし。而るに伊勢の宮及び大嘗の由紀・主基の宮を造るに、皆斎部を預からしめず。遺す所の四なり。又殿祭・門祭は、元太玉命供奉の儀にして、斎部氏の職とする所なり。然りと雖も中臣・斎部は共に神祇官に任じ、相副いて供奉す。故に宮内省の奏詞に、「将に御殿祭を供奉せんとして、中臣・斎部御門に候う」と偁す。宝亀年中に至りて、初めて宮内少輔従五位下中臣朝臣常、恣に奏詞を改めて曰く、「中臣、斎部を率いて御門に候う」と。彼の省因循して永く後例と為し、今に未だ改めず。遺す所の五なり。又神代より肇めて、中臣・斎部、神事に供奉すること、差降有ること無し。中間以来、権一氏に移る。斎宮寮の主神司の中臣・斎部は、元同じく七位の官なり。而るに延暦の初め、朝原内親王斎に奉るの日、殊に斎部を降して八位の官と為し、今に未だ復せず。遺す所の六なり。凡そ諸神に幣を奉るは、中臣・斎部共に其の事に預かる。而るに今、大宰の主神司は独り中臣に任じて、斎部を預からしめず。遺す所の七なり。諸国の大社も亦中臣に任じて、斎部を預からしめず。遺す所の八なり。凡そ鎮魂の儀は、天鈿女命の遺跡なり。然らば則ち御巫の職は旧氏に任ずべし。而るに今選ぶ所は他氏を論ぜず。遺す所の九なり。
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