古語拾遺 / 作賀斯の神官頭
至於小治田朝。太玉之胤不絕如帶。天恩興廢繼絕纔供其職。至于難波長柄豐前朝白鳳四年。以小華下諱齋部首作賀斯。拜神官頭。令掌敍王族宮内禮儀婚姻卜筮事。夏冬二季御卜之式始起此時。作賀斯之胤不能繼其職。陵遲衰微以至今。至于淨御原朝。
新字:至於小治田朝。太玉之胤不絶如帯。天恩興廃継絶纔供其職。至于難波長柄豊前朝白鳳四年。以小華下諱斎部首作賀斯。拝神官頭。令掌叙王族宮内礼儀婚姻卜筮事。夏冬二季御卜之式始起此時。作賀斯之胤不能継其職。陵遅衰微以至今。至于浄御原朝。
書き下し
小治田朝に至りて、太玉の胤、絶えざること帯の如し。天恩、廃を興し絶を継ぎて、纔かに其の職に供す。難波長柄豊前朝の白鳳四年に至りて、小華下を以て、諱は斎部首作賀斯、神官頭を拝す。王族・宮内の礼儀・婚姻・卜筮の事を叙し掌らしむ。夏冬二季の御卜の式、始めて此の時に起こる。作賀斯の胤、其の職を継ぐこと能わず。陵遅衰微して以て今に至る。浄御原朝に至りて、
現代語訳
推古天皇(小治田朝)の御代になると、太玉命の子孫は細い帯のように、かろうじて絶えずに続いていた。天皇の恩によって、廃れたものを興し絶えたものを継いで、わずかにその職を務めることができた。孝徳天皇(難波長柄豊前朝)の白鳳四年になって、小華下の位で、名を斎部首作賀斯(いんべのおびとさかし)という者が神官頭に任じられ、王族と宮中の礼儀・婚姻・占いのことをつかさどらせた。夏と冬の二季に行う御卜の儀式は、この時に始まった。しかし作賀斯の子孫はその職を継ぐことができず、次第に衰えて今に至っている。天武天皇(浄御原朝)の御代になって、
解説
斎部氏の衰えを、広成自身の言葉で書いた段である。推古天皇の代には、太玉命の血筋は帯のように細くかろうじて続いていた。孝徳天皇の代に斎部首作賀斯が神官頭に任じられ、宮中の礼儀や卜筮を担い、夏冬二季の御卜もこの時に始まった。一時は家の地位が回復した。しかし子孫はその職を継げず、衰えて今に至る、と広成は隠さずに書く。白鳳は正史に見えない年号で、この書はそれを用いている。自家の功績を訴える書でありながら、職を継げなかった自家の力不足も記録している。衰えの原因をすべて他氏のせいにはしていない。この直後に天武天皇の八色の姓が来て、斎部は第三等に置かれる。回復の機会を生かせなかった家が、次の制度改定で序列を固定される流れである。
関連する章句
-
『古語拾遺』御木と麁香皇孫命の美豆の御殿を造り奉り仕えまつるなり。故に其の裔、今紀伊国名草郡の御木・麁香の二郷に在り。材を採る斎部の居る所、之を御木と謂い、殿を造る斎部の居る所、之を麁香と謂う。是れ其の証なり。又天富命をして斎部の諸氏を率いて、種々の神宝、鏡・玉・矛・盾・木綿・麻等を作らしむ。櫛明玉命の孫は御祈玉を造る。其の裔、今出雲国に在り。毎年、調物と与に其の玉を貢進す。天日鷲命の孫は木綿及び麻并びに織布を造る。
-
『古語拾遺』所遺三〜九天照大神は本帝と殿を同じくす。故に供奉の儀、君と神と一体なり。始め天上より、中臣・斎部の二氏、相副いて日神に祷り奉り、猨女の祖も亦神の怒りを解く。然らば則ち三氏の職は相離るべからず。而るに今、伊勢の宮司は独り中臣氏に任じて、二氏を預からしめず。遺す所の三なり。凡そ神殿を造り奉るは、皆須らく神代の職に依るべし。斎部の官、御木・麁香の二郷の斎部を率いて、伐るに斎斧を以てし、掘るに斎鉏を以てす。然る後に工夫手を下し、造り畢るの後、斎部、殿祭及び門祭訖りて、乃ち御座すべし。而るに伊勢の宮及び大嘗の由紀・主基の宮を造るに、皆斎部を預からしめず。遺す所の四なり。又殿祭・門祭は、元太玉命供奉の儀にして、斎部氏の職とする所なり。然りと雖も中臣・斎部は共に神祇官に任じ、相副いて供奉す。故に宮内省の奏詞に、「将に御殿祭を供奉せんとして、中臣・斎部御門に候う」と偁す。宝亀年中に至りて、初めて宮内少輔従五位下中臣朝臣常、恣に奏詞を改めて曰く、「中臣、斎部を率いて御門に候う」と。彼の省因循して永く後例と為し、今に未だ改めず。遺す所の五なり。又神代より肇めて、中臣・斎部、神事に供奉すること、差降有ること無し。中間以来、権一氏に移る。斎宮寮の主神司の中臣・斎部は、元同じく七位の官なり。而るに延暦の初め、朝原内親王斎に奉るの日、殊に斎部を降して八位の官と為し、今に未だ復せず。遺す所の六なり。凡そ諸神に幣を奉るは、中臣・斎部共に其の事に預かる。而るに今、大宰の主神司は独り中臣に任じて、斎部を預からしめず。遺す所の七なり。諸国の大社も亦中臣に任じて、斎部を預からしめず。遺す所の八なり。凡そ鎮魂の儀は、天鈿女命の遺跡なり。然らば則ち御巫の職は旧氏に任ずべし。而るに今選ぶ所は他氏を論ぜず。遺す所の九なり。
-
『古語拾遺』当年の労のみを序して天下の万姓を改めて分かちて八等と為す。唯だ当年の労を序して、天降の績に本づかず。其の二に曰く朝臣、以て中臣氏に賜い、命ずるに大刀を以てす。其の三に曰く宿禰、以て斎部氏に賜い、命ずるに小刀を以てす。
-
『古語拾遺』安房社と宮門の祭阿波の忌部の居る所、便ち安房郡と名づく。天富命、即ち其の地に太玉命の社を立つ。今之を安房社と謂う。故に其の神戸に斎部氏有り。又手置帆負命の孫は矛竿を造る。其の裔、今分かれて讃岐国に在り。毎年、調庸の外に八百竿を貢ず。是れ其の事等の証なり。爰に皇天二祖の詔に仰ぎ従いて、神籬を建て樹つ。所謂る高皇産霊・神皇産霊・魂留産霊・生産霊・足産霊・大宮売神・事代主神・御膳神、櫛磐間戸神・豊磐間戸神、生島、坐摩なり。日臣命、来目部を帥いて宮門を衛護し、其の開闔を掌る。饒速日命、内物部を帥いて矛盾を造り備う。其の物既に備わりて、天富命、諸の斎部を率いて天璽の鏡・剣を捧げ持ち、正殿に安んじ奉り、并びに瓊玉を懸け、其の幣物を陳ねて、殿祭の祝詞す。次に宮門を祭る。然る後に物部乃ち矛盾を立て、大伴・来目、仗を建てて門を開き、四方の国を朝せしめて、以て天位の貴きを観しむ。
-
『古語拾遺』所遺十凡そ大幣を造るは、亦た須らく神代の職に依るべし。斎部の官、供作の諸氏を率い、例に准じて造備す。然らば則ち神祇官の神部には、中臣・斎部・猨女・鏡作・玉作・盾作・神服・倭文・麻続等の氏有るべし。而るに今は唯だ中臣・斎部等二三氏有るのみ。自余の諸氏は考選に預からず。神裔亡散して、其の葉将に絶えんとす。遺す所の十なり。
-
『古語拾遺』所遺十一又勝宝九歳、左弁官の口宣すらく、「今より以後、伊勢大神宮の幣帛使は、専ら中臣を用いて他姓を差すこと勿かれ」と。其の事行われずと雖も、猶お官例に載する所、未だ刊除せず。遺す所の十一なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る