古語拾遺 / 所遺二
夫尊祖敬宗禮敎所先。故皇聖登極。受終文祖。類于上帝禋于六宗。望于山川徧于羣神。然則天照大神者惟祖惟宗。尊無二。因自餘諸神者。乃子乃臣。孰能敢抗。而今神祇官班幣之日。諸神之後敍伊勢神宮。所遺二也。
新字:夫尊祖敬宗礼教所先。故皇聖登極。受終文祖。類于上帝禋于六宗。望于山川遍于羣神。然則天照大神者惟祖惟宗。尊無二。因自余諸神者。乃子乃臣。孰能敢抗。而今神祇官班幣之日。諸神之後叙伊勢神宮。所遺二也。
書き下し
夫れ祖を尊び宗を敬うは礼教の先んずる所なり。故に皇聖登極せば、終を文祖に受け、上帝に類し六宗に禋し、山川に望み群神に徧くす。然らば則ち天照大神は惟れ祖惟れ宗にして、尊きこと二つ無し。因りて自余の諸神は、乃ち子乃ち臣なり。孰か能く敢えて抗せん。而るに今、神祇官班幣の日、諸神の後に伊勢神宮を叙す。遺す所の二なり。
現代語訳
そもそも祖を尊び宗を敬うことは、礼の教えが第一とするところである。だから天子が位に即けば、まず文祖に受け、上帝に告げ、六宗を祀り、山川を望み祭り、あらゆる神に及ぼす。それならば天照大神は祖であり宗であって、これに並ぶ尊さはない。したがってその他の神々は子であり臣である。誰がこれに並び立てようか。ところが今、神祇官が幣を配る日に、諸神の後に伊勢神宮を並べている。これが漏れの第二である。
解説
序列の話である。最も尊いはずの伊勢神宮が、幣を配る順で諸神の後になっている、と広成は指摘する。指摘の根拠に礼の原則を置いているのが特徴で、感情ではなく制度の内的な矛盾を突いている。順序は形式にすぎない、と思われがちだが、儀式の順序は組織の序列の可視化である。だから順序が実態と合っていないことは、制度が壊れている証拠になる。広成の訴えの多くはこの型を取る。あるべき原則を先に立て、現状がそれと食い違っていることを示す。相手を責めるのではなく、制度の自己矛盾を並べていく。
この章句が説くこと
所遺二尊祖敬宗班幣の順序列の可視化