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古語拾遺 / 所遺三〜九

天照大神本與帝同殿。故供奉之儀。君神一體。始自天上中臣齋部二氏。相副奉祷日神。猨女之祖亦解神怒。然則三氏之職不可相離。而今伊勢宮司獨任中臣氏。不預二氏。所遺三也。凡奉造神殿者皆須依神代之職。齋部官率御木麁香二鄕齋部。伐以齋斧。堀以齋鉏。然後工夫下手造畢之後。齋部殿祭及門祭訖。乃可御座。而造伊勢宮及大嘗由紀主基宮。皆不預齋部。所遺四也。又殿祭門祭者。元太玉命供奉之儀。齋部氏之所職也。雖然中臣齋部共任神祇宮。相副供奉。故宮内省奏詞。偁將供奉御殿祭。而中臣齋部候御門。至寶龜年中。初宮内少輔從五位下中臣朝臣常恣改奏詞曰。中臣率齋部候御門者。彼省因循永爲後例。于今未改。所遺五也。又肇自神代。中臣齋部供奉神事。無有差降。中閒以來權移一氏。齋宮寮主神司中臣齋部者。元同七位官。而延曆初。朝原内親王奉齋之日。殊降齋部爲八位官。于今未復。所遺六也。凡奉幣諸神者。中臣齋部共預其事。而今太宰主神司獨任中臣。不預齋部。所遺七也。諸國大社亦任中臣。不預齋部。所遺八也。凡鎭魂之儀者天鈿女命之遺蹟。然則御巫之職應任舊氏。而今所選不論他氏。所遺九也。

新字:天照大神本与帝同殿。故供奉之儀。君神一体。始自天上中臣斎部二氏。相副奉祷日神。猨女之祖亦解神怒。然則三氏之職不可相離。而今伊勢宮司独任中臣氏。不預二氏。所遺三也。凡奉造神殿者皆須依神代之職。斎部官率御木麁香二郷斎部。伐以斎斧。堀以斎鉏。然後工夫下手造畢之後。斎部殿祭及門祭訖。乃可御座。而造伊勢宮及大嘗由紀主基宮。皆不預斎部。所遺四也。又殿祭門祭者。元太玉命供奉之儀。斎部氏之所職也。雖然中臣斎部共任神祇宮。相副供奉。故宮内省奏詞。偁将供奉御殿祭。而中臣斎部候御門。至宝亀年中。初宮内少輔従五位下中臣朝臣常恣改奏詞曰。中臣率斎部候御門者。彼省因循永為後例。于今未改。所遺五也。又肇自神代。中臣斎部供奉神事。無有差降。中閒以来権移一氏。斎宮寮主神司中臣斎部者。元同七位官。而延暦初。朝原内親王奉斎之日。殊降斎部為八位官。于今未復。所遺六也。凡奉幣諸神者。中臣斎部共預其事。而今太宰主神司独任中臣。不預斎部。所遺七也。諸国大社亦任中臣。不預斎部。所遺八也。凡鎮魂之儀者天鈿女命之遺跡。然則御巫之職応任旧氏。而今所選不論他氏。所遺九也。

書き下し

天照大神は本帝と殿を同じくす。故に供奉の儀、君と神と一体なり。始め天上より、中臣・斎部の二氏、相副いて日神に祷り奉り、猨女の祖も亦神の怒りを解く。然らば則ち三氏の職は相離るべからず。而るに今、伊勢の宮司は独り中臣氏に任じて、二氏を預からしめず。遺す所の三なり。凡そ神殿を造り奉るは、皆須らく神代の職に依るべし。斎部の官、御木・麁香の二郷の斎部を率いて、伐るに斎斧を以てし、掘るに斎鉏を以てす。然る後に工夫手を下し、造り畢るの後、斎部、殿祭及び門祭訖りて、乃ち御座すべし。而るに伊勢の宮及び大嘗の由紀・主基の宮を造るに、皆斎部を預からしめず。遺す所の四なり。又殿祭・門祭は、元太玉命供奉の儀にして、斎部氏の職とする所なり。然りと雖も中臣・斎部は共に神祇官に任じ、相副いて供奉す。故に宮内省の奏詞に、「将に御殿祭を供奉せんとして、中臣・斎部御門に候う」と偁す。宝亀年中に至りて、初めて宮内少輔従五位下中臣朝臣常、恣に奏詞を改めて曰く、「中臣、斎部を率いて御門に候う」と。彼の省因循して永く後例と為し、今に未だ改めず。遺す所の五なり。又神代より肇めて、中臣・斎部、神事に供奉すること、差降有ること無し。中間以来、権一氏に移る。斎宮寮の主神司の中臣・斎部は、元同じく七位の官なり。而るに延暦の初め、朝原内親王斎に奉るの日、殊に斎部を降して八位の官と為し、今に未だ復せず。遺す所の六なり。凡そ諸神に幣を奉るは、中臣・斎部共に其の事に預かる。而るに今、大宰の主神司は独り中臣に任じて、斎部を預からしめず。遺す所の七なり。諸国の大社も亦中臣に任じて、斎部を預からしめず。遺す所の八なり。凡そ鎮魂の儀は、天鈿女命の遺跡なり。然らば則ち御巫の職は旧氏に任ずべし。而るに今選ぶ所は他氏を論ぜず。遺す所の九なり。

現代語訳

天照大神は、もとは天皇と同じ御殿に祭られていた。だから神に仕える儀礼は、君に仕えることと神に仕えることが一体であった。はじめ天上にあったときから、中臣・斎部の二氏は並んで日の神に祈り、猨女の祖もまた神の怒りを解いた。それならば三氏の職は互いに切り離してはならない。ところが今、伊勢の宮司はもっぱら中臣氏だけを任じ、他の二氏を関わらせていない。これが漏れの第三である。そもそも神殿を造り申し上げるときは、すべて神代の職に依るべきである。斎部の官が御木・麁香の二郷の斎部を率いて、斎み清めた斧で木を伐り、斎み清めた鋤で地を掘る。その後に工人が手を下し、造り終えた後、斎部が殿祭と門祭を済ませて、はじめて神や天皇がお移りになれる。ところが伊勢の宮や、大嘗祭の由紀・主基の宮を造るときには、いずれも斎部を関わらせていない。これが漏れの第四である。また殿祭と門祭は、もともと太玉命が奉仕した儀式であり、斎部氏の職とするところである。とはいえ中臣と斎部はともに神祇官に任じられ、並んで奉仕してきた。だから宮内省の奏上の詞には「御殿祭を奉仕しようとして、中臣・斎部が御門に控えている」と称していた。ところが宝亀年間になって、宮内少輔従五位下の中臣朝臣常が、勝手に奏上の詞を改めて「中臣が斎部を率いて御門に控えている」とした。宮内省はそれをそのまま踏襲して永く後の例とし、今もまだ改めていない。これが漏れの第五である。また神代以来、中臣と斎部が神事に奉仕することに上下の差はなかった。ところが中ごろから権限が一氏に移った。斎宮寮の主神司の中臣と斎部は、もとは同じ七位の官であった。ところが延暦の初め、朝原内親王が斎王となった日に、特に斎部を下げて八位の官とし、今もまだ元に戻していない。これが漏れの第六である。そもそも諸神に幣を奉るときは、中臣と斎部がともにそのことに関わる。ところが今、大宰府の主神司はもっぱら中臣だけを任じ、斎部を関わらせていない。これが漏れの第七である。諸国の大社もまた中臣を任じ、斎部を関わらせていない。これが漏れの第八である。そもそも鎮魂の儀は、天鈿女命が遺した事跡である。それならば御巫の職は、もとの氏(猨女君氏)に任じるべきである。ところが今は選ぶにあたって、他の氏であるかどうかを問わない。これが漏れの第九である。

解説

「遺りたる所」のうち第三から第九までの七条が一続きに並ぶ。どの条も、神代の由来を先に示し、今の扱いがそれと食い違っていることを述べ、番号を打って締める同じ型を取る。伊勢の宮司、神殿の造営、殿祭の奏詞、斎宮寮の位階、大宰府と諸国の大社、御巫の選任と対象は多岐にわたるが、筋は一本である。もとは中臣・斎部・猨女の三氏が並んで担っていた職が、中臣一氏に寄せられていった。とくに第五条は具体的で、宝亀年間に中臣朝臣常が奏詞を「中臣・斎部」から「中臣、斎部を率いて」へ勝手に改め、それが前例として定着したと名指しで記す。わずかな文言の変更が、対等の関係を上下の関係に変えてしまう。書式や呼称の変化を、いつ誰が変えたかまで記録しておく大切さがわかる。

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