古語拾遺 / 望秩の礼未だ制せず
其四曰忌寸。以爲秦漢二氏。及百濟文氏等之姓。至大寶年中。初有記文。神祇之簿猶無明案。望秩之禮未制其式。
新字:其四曰忌寸。以為秦漢二氏。及百済文氏等之姓。至大宝年中。初有記文。神祇之簿猶無明案。望秩之礼未制其式。
書き下し
其の四に曰く忌寸。以て秦・漢の二氏及び百済の文氏等の姓と為す。大宝年中に至りて、初めて記文有り。神祇の簿、猶お明案無く、望秩の礼、未だ其の式を制せず。
現代語訳
第四等は忌寸である。これを秦・漢の二氏、および百済系の文氏などの姓とした。大宝年間になって、初めて成文の法(大宝令)ができた。しかし神々の帳簿には、なお明確な案がなく、山川の神々を序列に従って祭る礼は、まだその式が定められていなかった。
解説
八色の姓の続きと、大宝令の時代への移りである。第四等の忌寸は秦・漢・文氏など渡来系の氏に与えられた。広成はここでも渡来の諸氏の位置を書き落とさない。続いて大宝年間に初めて成文の法ができたが、神々の帳簿は定まらず、望秩の礼、すなわち神々を序列に従って祭る式はまだ作られていなかった、とする。この望秩の礼の語は跋でもう一度現れ、いま式を作る年にこの礼を定めなければ、後の世が今を見るのは今が古を見るのと同じことになる、と結ばれる。広成の訴えの目当ては、この未整備の部分にあった。法が整っても、肝心の部分が空白のまま残ることがある。その空白を誰かが自分に都合よく埋める前に、基準を定めておく必要がある。
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