古語拾遺 / 内附の民
至於輕島豐明朝。百濟王貢博士王仁。是河内文首始祖也。秦公祖弓月率百廿縣民而歸化矣。漢直祖阿知使主率十七縣民而來朝焉。秦漢百濟内附之民。各以萬計。足可襃賞。皆有其祠未預幣例也。
新字:至於軽島豊明朝。百済王貢博士王仁。是河内文首始祖也。秦公祖弓月率百廿県民而帰化矣。漢直祖阿知使主率十七県民而来朝焉。秦漢百済内附之民。各以万計。足可褒賞。皆有其祠未預幣例也。
書き下し
軽島豊明朝に至りて、百済王、博士王仁を貢ず。是れ河内文首の始祖なり。秦公の祖弓月、百廿県の民を率いて帰化す。漢直の祖阿知使主、十七県の民を率いて来朝す。秦・漢・百済内附の民、各々万を以て計う。褒賞するに足る。皆な其の祠有るも、未だ幣の例に預からざるなり。
現代語訳
応神天皇の御代になって、百済王が博士の王仁を貢った。これが河内文首の始祖である。秦公の祖である弓月は、百二十県の民を率いて帰化した。漢直の祖である阿知使主は、十七県の民を率いて来朝した。秦・漢・百済から内に付いた民は、それぞれ万を数える。褒賞するに十分である。いずれも自分たちの祠を持っているが、いまだ幣を配る例には入れられていない。
解説
渡来した人々の数を、万単位で数えて記録している。弓月は百二十県、阿知使主は十七県の民を率いてきた。そして王仁は文字と学問をもたらし、後に三蔵の帳簿を記した。この書で会計制度を作ったとされる人々である。それだけの働きがありながら「未だ幣の例に預からざるなり」——公の祀りの対象に入っていない、と広成は書く。彼は自家の待遇だけを訴えているのではない。外から来て国の実務を担った人々についても、同じ論法で処遇の欠落を指摘している。功があるなら記録し、記録があるなら報いよ。その原則を、出自にかかわらず適用しているところにこの書の見識がある。
この章句が説くこと
内附の民王仁弓月と阿知使主褒賞するに足る
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