古語拾遺 / 橿原の帝宅
妖氣既晴無復風塵。建都橿原經營帝宅。
新字:妖気既晴無復風塵。建都橿原経営帝宅。
書き下し
妖気既に晴れて、復た風塵無し。都を橿原に建てて、帝宅を経営す。
現代語訳
災いをなす気はすっかり晴れ、もはや戦乱の風塵も起こらなくなった。そこで橿原に都を建てて、天皇の宮殿を造営した。
解説
神武天皇の東征が終わり、橿原に都が定まる場面を、わずか二句で告げる。前段には日臣命・饒速日命・椎根津彦・八咫烏ら、東征で功のあった諸氏の祖が並べられていた。その戦いが終わり、世を乱す気が晴れて、ようやく腰を据えて宮を造ることができる。「帝宅を経営す」の経営は、土地を測り建物を造り営むことをいう語で、大己貴神と少彦名神が天下を経営したとされる段と同じ字が使われている。戦いの記述から造営の記述へ、ここで書の調子が切り替わる。この後、斎部氏の祖である天富命が諸氏を率いて宮殿を建て、祭具を整える話が続く。平定の後にこそ、祭りと宮を整える者の出番が来る、という構成である。組織でも、立ち上げの戦いが終わった後の基盤づくりには、別の担い手が要る。
関連する章句
-
『古語拾遺』佐命の勲神武天皇東征の年に逮びて、大伴氏の遠祖日臣命、将元戎を帥督し、兇渠を剪除す。佐命の勲、比肩する有る無し。物部氏の遠祖饒速日命、殺虜し、衆を帥いて官軍に帰順す。忠誠の効、殊に襃寵を蒙る。大和氏の遠祖椎根津彦は皇舟を迎え引き、績を香山の巓に表す。賀茂県主の遠祖八咫烏は、宸駕を奉導し、瑞を菟田の径に顕す。
-
『古語拾遺』斎斧斎鉏仍りて天富命をして手置帆負・彦狭知二神の孫を率い、斎斧・斎鉏を以て始めて山材を採り、正殿を構え立てしむ。所謂る底つ磐根に宮柱立て、高天の原に搏風高知りて。
-
『古語拾遺』笠縫邑と五十鈴川仍りて倭の笠縫邑に就きて、殊に磯城の神籬を立て、天照大神及び草薙剣を遷し奉り、皇女豊鍬入姫命をして斎い奉らしむ。其の遷し祭る夕、宮人皆参りて、終夜宴楽す。歌いて曰く、「美夜比登能(みやひとの)、於保与須我良爾(おほよすがらに)、伊佐登保志(いさとほし)、由伎能与呂志茂(ゆきのよろしも)、於保与須我良爾(おほよすがらに)」と。又六年、八十万の群神を祭り、仍りて天社・国社及び神地・神戸を定む。始めて男の弭の調、女の手末の調を貢らしむ。今、神祇の祭に熊の皮・鹿の皮・角・布等を用うるは、此の縁なり。巻向玉城朝に洎びて、皇女倭姫命をして天照大神を斎い奉らしむ。仍りて神の教えに随いて、其の祠を伊勢国の五十鈴の川上に立て、因りて斎宮を興して倭姫命をして居らしむ。始め天上に在りて、預め幽契を結ぶ。衢神先に降る、深く以有るかな。此の御世、始めて弓矢・刀を以て神祇を祭り、更に神地・神戸を定む。又新羅の王子海檜槍来帰す。今但馬国出石郡に在りて大社と為るなり。纏向日代朝に至りて、
-
『古語拾遺』宝祚の隆え是に於て二神、諸の順わざる鬼神等を誅伏し、果たして以て復命す。時に天祖天照大神・高皇産霊尊、乃ち相語りて曰く、「夫れ葦原の瑞穂国は、吾が子孫の王たるべき地なり。皇孫就きて治めよ。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮まり無かるべし」と。
-
『古語拾遺』御木と麁香皇孫命の美豆の御殿を造り奉り仕えまつるなり。故に其の裔、今紀伊国名草郡の御木・麁香の二郷に在り。材を採る斎部の居る所、之を御木と謂い、殿を造る斎部の居る所、之を麁香と謂う。是れ其の証なり。又天富命をして斎部の諸氏を率いて、種々の神宝、鏡・玉・矛・盾・木綿・麻等を作らしむ。櫛明玉命の孫は御祈玉を造る。其の裔、今出雲国に在り。毎年、調物と与に其の玉を貢進す。天日鷲命の孫は木綿及び麻并びに織布を造る。
-
『古語拾遺』鳥見山の霊畤又天富命をして供作の諸氏を率いて、大幣を造作せしむること訖りて、天種子命をして天罪・国罪の事を解除せしむ。所謂る天罪は、上に既に説き訖る。国罪は、国中の人民の犯す所の罪なり。其の事、具さに中臣の祓詞に在り。爾に乃ち霊畤を鳥見山の中に立て、天富命幣を陳ね、祝詞して皇天を禋祀し、徧く群望を秩して、以て神祇の恩に答う。是を以て中臣・斎部の二氏、倶に祠祀の職を掌り、猨女君氏は神楽の事に供す。自余の諸氏も各々其の職有り。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る