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近思録 / 巻14 観聖賢

其志道精思、未始須臾息、亦未嘗須臾忘也。學者有問、多告以知禮成性、變化氣質之道。學必如聖人而後已。聞者莫不動心有進。嘗謂門人曰:「吾學既得於心、則脩其辭。命辭無差、然後斷事。斷事無失、吾乃沛然。精義入神者、豫而已矣。」先生氣質剛毅、德成貌嚴。然與人居久而日親。其治家接物、大要正己以感人。人未之信、反躬自治、不以語人。雖有未諭、安行而無悔。故識與不識、聞風而畏。非其義也、不敢以一毫及之。橫渠先生曰:二程從十四五時、便脫然欲學聖人。

新字:其志道精思、未始須臾息、亦未嘗須臾忘也。学者有問、多告以知礼成性、変化気質之道。学必如聖人而後已。聞者莫不動心有進。嘗謂門人曰:「吾学既得於心、則脩其辞。命辞無差、然後断事。断事無失、吾乃沛然。精義入神者、予而已矣。」先生気質剛毅、徳成貌厳。然与人居久而日親。其治家接物、大要正己以感人。人未之信、反躬自治、不以語人。雖有未諭、安行而無悔。故識与不識、聞風而畏。非其義也、不敢以一毫及之。横渠先生曰:二程従十四五時、便脱然欲学聖人。

書き下し

其の道に志し精しく思うこと、未だ始めより須臾も息まず、亦未だ嘗て須臾も忘れず。学者問う有れば、多く告ぐるに礼を知り性を成し、気質を変化するの道を以てす。学は必ず聖人の如くにして後に已む。聞く者動心して進む有らざるは莫し。嘗て門人に謂いて曰く、「吾が学既に心に得れば、則ち其の辞を修む。辞を命じて差い無くして、然る後に事を断ず。事を断じて失い無くして、吾乃ち沛然たり。義を精しくして神に入る者は、豫(あらかじ)めするのみ。」先生は気質剛毅にして、徳成り貌厳なり。然れども人と居ること久しくして日に親しむ。其の家を治め物に接するは、大要己を正して以て人を感ぜしむ。人未だ之を信ぜざれば、躬に反りて自ら治め、以て人に語らず。未だ諭らざる有りと雖も、安んじて行いて悔い無し。故に識ると識らざると、風を聞きて畏る。其の義に非ざれば、敢えて一毫も之に及ぼさず。横渠先生曰く、二程は十四五の時より、便ち脱然として聖人を学ばんと欲す。

現代語訳

(呂大臨による張載の行状の続き)張載は道に志して精しく思うことを、少しの間もやめたことがなく、少しの間も忘れたことがなかった。学ぶ者が質問すれば、多くは礼を知って性を完成させ、気質を変化させる道を告げた。学問は必ず聖人のようになってはじめてやめるものだとした。聞いた者で心を動かされて進歩しない者はいなかった。かつて門人に言った。「私の学問が心に会得されてから、その言葉を整える。言葉を定めて誤りがなくなってから、事を判断する。事を判断して失敗がなくなってから、私はようやくよどみなくなる。義を精しくして神妙の境に入るとは、前もって準備することにほかならない。」先生は気質が剛毅で、徳が完成して容貌は厳かであった。しかし人と長く一緒にいると、日ごとに親しまれた。家を治め人や物に接するには、おおむね自分を正して人を感化した。人がまだ信じなければ、我が身に返って自分を治め、それを人に語らなかった。まだ人にわかってもらえないことがあっても、安んじて行い、悔いることがなかった。だから先生を知る者も知らない者も、評判を聞いて畏敬した。義にかなわないことには、少しも手を出さなかった。張載(横渠先生)は言う。程顥・程頤は十四、五歳の時から、きっぱりと聖人を学ぼうとしていた。

解説

張載の行状の結びと、張載自身が二程を評した一句である。張載は学ぶ者に、礼を知り気質を変化させる道を説いた。気質の変化は張載の学問の要で、朱熹に引き継がれて朱子学の修養論の柱となる。「心に得てから言葉を整え、言葉が定まってから事を断じる」という順序は、考え・言葉・判断を一つずつ固めていく仕事の作法として示唆に富む。剛毅で厳かな容貌ながら長く付き合うほど親しまれ、人に信じられないときは自分を省みて人に語らなかったという描写も、指導者の姿として重い。すぐに理解されなくても自分を正して待つ態度は、急いで評価を求めがちな今の働き方への静かな対照である。

この章句が説くこと

聖賢気質変化反躬横渠

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