管子 / 輕重戊
桓公問於管子曰:「吾欲制衡山之術,為之奈何?」管子對曰:「公其令人貴買衡山之械器而賣之,燕、代必從公而買之。秦、趙聞之,必與公爭之,衡山之械器必倍其賈。天下爭之,衡山械器必什倍以上。」公曰:「諾。」因令人之衡山求買械器,不敢辯其貴賈。齊修械器於衡山十月,燕、代聞之,果令人之衡山求買械器。燕、代修三月,秦國聞之,果令人之衡山求買械器。衡山之君告其相曰:「天下爭吾械器,令其買再什以上。」衡山之民釋其本,修械器之巧。齊即令隰朋漕粟於趙。趙糴十五,隰朋取之石五十。天下聞之,載粟而之齊。齊修械器十七月,修糶五月,即閉闗不與衡山通使。燕、代、秦、趙即引其使而歸。衡山械器盡,魯削衡山之南,齊削衡山之北。内自量無械器以應二敵,即奉國而歸齊矣。
新字:桓公問於管子曰:「吾欲制衡山之術,為之奈何?」管子対曰:「公其令人貴買衡山之械器而売之,燕、代必従公而買之。秦、趙聞之,必与公争之,衡山之械器必倍其賈。天下争之,衡山械器必什倍以上。」公曰:「諾。」因令人之衡山求買械器,不敢弁其貴賈。斉修械器於衡山十月,燕、代聞之,果令人之衡山求買械器。燕、代修三月,秦国聞之,果令人之衡山求買械器。衡山之君告其相曰:「天下争吾械器,令其買再什以上。」衡山之民釈其本,修械器之巧。斉即令隰朋漕粟於趙。趙糴十五,隰朋取之石五十。天下聞之,載粟而之斉。斉修械器十七月,修糶五月,即閉関不与衡山通使。燕、代、秦、趙即引其使而帰。衡山械器尽,魯削衡山之南,斉削衡山之北。内自量無械器以応二敵,即奉国而帰斉矣。
書き下し
桓公管子に問いて曰く、「吾れ衡山を制するの術を為さんと欲す、之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「公其れ人をして衡山の械器を貴く買いて之を賣らしめば、燕・代は必ず公に從いて之を買わん。秦・趙之を聞かば、必ず公と之を爭わん、衡山の械器は必ず其の賈を倍せん。天下之を爭わば、衡山の械器は必ず什倍以上ならん」と。公曰く、「諾」と。因りて人をして衡山に之きて械器を買い求めしめ、敢えて其の貴賈を辯ぜず。齊械器を衡山に修むること十月、燕・代之を聞き、果たして人をして衡山に之きて械器を買い求めしむ。燕・代修むること三月、秦國之を聞き、果たして人をして衡山に之きて械器を買い求めしむ。衡山の君其の相に告げて曰く、「天下吾が械器を爭う、其の買を再び什以上ならしめよ」と。衡山の民其の本を釋てて、械器の巧を修む。齊即ち隰朋をして粟を趙に漕がしむ。趙の糴は十五、隰朋之を取ること石ごとに五十。天下之を聞き、粟を載せて齊に之く。齊械器を修むること十七月、糶を修むること五月、即ち闗を閉じて衡山と使を通ぜず。燕・代・秦・趙即ち其の使を引きて歸る。衡山の械器盡き、魯は衡山の南を削り、齊は衡山の北を削る。内自ら量るに械器の以て二敵に應ずる無く、即ち國を奉じて齊に歸せり。
現代語訳
桓公が管子に問うた。私は衡山を制する手立てを立てたい。どうすればよいか。管子が答えた。公が人をやって衡山の武具や道具を高く買い、それを売らせれば、燕と代は必ず公にならって買います。秦と趙がこれを聞けば、必ず公と競って買う。衡山の武具の値は必ず倍になります。天下が争えば、衡山の武具は必ず十倍以上になるでしょう。桓公は、よし、と言った。そこで人を衡山へやって武具を買い求めさせ、その高い値を値切ろうとしなかった。斉が衡山で武具を買い集めて十か月、燕と代がこれを聞き、案の定人を衡山へやって買い求めた。燕と代が買って三か月、秦がこれを聞き、案の定人をやって買い求めた。衡山の君は宰相に告げた。天下が我が国の武具を争っている。値をさらに十倍以上にせよ、と。衡山の民は生業を捨てて、武具作りの腕を磨いた。斉はすぐ隰朋に粟を趙から船で運ばせた。趙の買値は十五、隰朋はそれを一石五十で買った。天下がこれを聞き、粟を積んで斉へ来た。斉は武具を買い集めて十七か月、穀物を買い集めて五か月、そこで関所を閉じて衡山と使者を通わせなくした。燕、代、秦、趙はすぐ使者を引き上げた。衡山の武具は売り尽くされ、魯は衡山の南を削り、斉は北を削った。自分で数えても二方の敵に応じるだけの武具がなく、そのまま国を捧げて斉に帰した。
解説
この章句が説くこと
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『管子』輕重戊桓公曰く、「魯・梁の齊に於けるや、千榖なり、蠭螫なり、齒の脣有るがごときなり。今吾れ魯・梁を下さんと欲す、何を行いて可ならん」と。管子對えて曰く、「即ち戰鬬の道を以て之に與えん」と。公曰く、「何の謂いぞや」と。管子對えて曰く、「魯・梁の民は、俗として綈を為る。公綈を服し、左右をして之を服せしめば、民從いて之を服せん。公因りて齊に令して敢えて為る勿からしめば、必ず魯・梁に仰がん、則ち是れ魯・梁は其の農事を釋てて綈を作らん」と。桓公曰く、「諾」と。即ち泰山の陽に服を為り、十日にして之を服す。管子魯・梁の賈人に告げて曰く、「子我が為に綈千匹を致さば、子に金三百斤を賜わん。什至らば金三千斤なり」と。則ち是れ魯・梁は民に賦らずして、財用足るなり。
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『管子』輕重戊桓公管子に問いて曰く、「萊・莒と柴田と相い并す、之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「萊・莒の山は柴を生ず。君其れ白徒の卒を率い、莊山の金を鑄て以て幣と為し、萊の柴の賈を重くせよ」と。萊の君之を聞き、左右に告げて曰く、「金幣なる者は、人の重んずる所なり。柴なる者は、吾が國の竒出なり。吾が國の竒出を以て、齊の重寶を盡くさば、則ち齊は并すべきなり」と。萊即ち其の耕農を釋てて柴を治む。管子即ち隰朋をして農に反らしむ。二年にして、桓公柴を止む、萊・莒の糴は三百七十、齊の糶は十錢、萊・莒の民の齊に降る者十分の七。二十八月にして、萊・莒の君服するを請う。
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『管子』輕重戊桓公管子に問いて曰く、「楚なる者は、山東の强國なり、其の人民は戰鬭の道に習う。兵を舉げて之を伐たば、恐らくは力の過ぐる能わず、楚に兵して、功は周に成らざらん。之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「即ち戰鬬の道を以て之に與えん」と。公曰く、「何の謂いぞや」と。管子對えて曰く、「公其の鹿を貴く買え」と。桓公即ち百里の城を為り、人をして楚に之きて生鹿を買わしむ。楚の生鹿は一に當たりて八萬。管子即ち桓公をして民と輕重を通じ、榖の什の六を藏せしむ。左司馬伯公をして白徒を將いて莊山に錢を鑄しむ。中大夫王邑をして錢二千萬を載せ、生鹿を楚に求めしむ。楚王之を聞き、其の相に告げて曰く、「彼の金錢は、人の重んずる所なり、國の存する所以、明王の功有るを賞する所以なり。禽獸なる者は、羣害なり、明王の棄て逐う所なり。今齊は其の重寶を以て吾が羣害を貴く買う、則ち是れ楚の福なり。天且に齊を以て楚に私せんとするなり。子吾が民に告げ、急ぎ生鹿を求めて、以て齊の寶を盡くさしめよ」と。
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『管子』輕重戊魯・梁の君之を聞き、則ち其の民に教えて綈を為らしむ。十三月にして、管子人をして魯・梁に之かしむ。魯・梁の郭中の民、道路塵あり、十步にして相い見えず、繑を絏ぎて踵相い隨い、車轂騎連なり伍して行く。管子曰く、「魯・梁下すべし」と。公曰く、「奈何」と。管子對えて曰く、「公宜しく帛を服し、民を率いて綈を去るべし。闗を閉じ、魯・梁と使を通ずる毋かれ」と。公曰く、「諾」と。後十月、管子人をして魯・梁に之かしむ。魯・梁の民餓餒相い及び、應聲の正上に給する無し。魯・梁の君即ち其の民に令して綈を去り農を修めしむ。榖は三月を以て得べからざるなり。魯・梁の人は糴すること十百、齊は糶すること十錢。二十四月にして、魯・梁の民の齊に歸する者十分の六。三年にして、魯・梁の君服するを請う。
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『管子』輕重戊楚の民即ち其の耕農を釋てて鹿を田る。管子楚の賈人に告げて曰く、「子我が為に生鹿を致さば、二十にして子に金百斤を賜わん、什至らば金千斤なり」と。則ち是れ楚は民に賦らずして財用足るなり。楚の男子は外に居り、女子は涂に居る。隰朋は民に教えて粟を藏すること五倍せしむ。楚は生鹿を以て錢を藏すること五倍す。管子曰く、「楚下すべし」と。公曰く、「奈何」と。管子對えて曰く、「楚の錢五倍なれば、其の君且に自ら得て榖錢五倍を修めんとす、是れ楚强きなり」と。桓公曰く、「諾」と。因りて人をして闗を閉じ、楚と使を通ぜざらしむ。楚王果たして自得して榖を修むるも、榖は三月にして得べからざるなり、楚の糴は四百。齊因りて人をして粟を載せて芊の南に處らしむ、楚人の齊に降る者十分の四。三年にして楚服す。
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『管子』輕重乙桓公曰く、「衡寡人に謂いて曰く、一農の事には、必ず一耜・一銚・一鎌・一鎒・一椎・一銍有りて、然る後に成りて農と為る。一車には必ず一斤・一鋸・一釭・一鑽・一鑿・一銶・一軻有りて、然る後に成りて車と為る。一女には必ず一刀・一錐・一箴・一鉥有りて、然る後に成りて女と為る。請う令を以て山木を斷り、山鐵を鼓せば、是れ以て籍る毋くして用足るべしと」と。管子對えて曰く、「不可なり。今徒を發して之を作らば、則ち逃亡して守らず。民を發せば、則ち下疾く上を怨む。邊竟に兵有らば、則ち宿怨を懷きて戰わず。未だ山鐡の利を見ずして内に敗るるなり。故に善き者は民と其の重を量り、其の贏を計り、民は其の十を得、君は其の三を得るに如かず。之に襍うるに輕重を以てし、之を守るに髙下を以てす、此くの若くんば、則ち民は疾く作して上の虜と為らん」と。